僕と個性と自分らしさと_

僕と個性と自分らしさと。 丨 自分らしさとは?

空がどんよりと曇っている。
偏頭痛持ちの僕はそれだけで憂鬱になる。
今日は大事な予定があるというのになんだかやる気がでない。

やる気がでない。しんどい。憂鬱だ。
最近、これらを口に出す回数が増えた気がする。SNSでは強がって見せているが、本当の僕は寂しがりで面倒くさがりでコミュ障だ。

僕は小学校から高校卒業まであまり友達が多いとは言えなかった。いつの日からか人の目を気にするようになり、人の目を気にするあまり自分が分からなくなっていった。色んな自分を演じ分けて生きていてしんどくなっていた。

小学校の時に塾に通い中学受験をしたのも、中学の時にゴルフを頑張ったのも、高校の時に進学校だったが部活に打ち込んだのも、周りとは違うことをして何か自分を形づくる存在を探し求めていた。

それに比べて、今は一本筋の通った自分を”演じれている”気がする。誰に対しても無理なく接することが出来る。自己防衛本能が働いたらその場を立ち去ることも出来るようになった。死にたいと思うこともなくなった。

昔から個性とか自分らしさといったものを渇望してきたからか、自分のことは多少なりとも理解出来ていると思っている。まだまだ理解出来ていないことだらけなのも分かっている。

最近、“自分らしく生きよう”とか”ありのままで生きよう”とかいう言説をよく聞くようになった。時代を反映すると言われるネットビジネスでの謳い文句も、大体そのような生き方に言及している。

自分らしさとかありのままの姿とかを求められすぎている。迎合する形で自分を作っていて苦しんでいる人も多い気がする。大事なことだからこそ、周りに惑わされずにゆっくりと探していく必要がある気がする。

自分らしさってなに?

そもそも、"自分らしさ"とは何であろうか。"自分らしさ=個性”だと主張している人もいるが、僕は少し違和感を感じてしまう。

まずは、"自分らしさ"を理解するために、"らしさ"という表現の氾濫に言及していこうと思う。

"らしさ"とは、使いやすい言葉である。その使いやすさゆえに、多種多様な物事における判断基準になっている。"らしさ"には、本来性,自然性,主観性,習慣性/慣習性,納得のシステムとしての"らしさ"がある(2009,村瀬)。中でも、納得のシステムとしての"らしさ"に翻弄される人が多いと感じる。

納得のシステムとしての"らしさ"とは、個別的なものを一般的な本質を介して包摂することである。例えば、「私は男らしい」ことを証明する為に、「男はよくお酒を飲む」という世間一般の男の本質に適合するか吟味する。そして、先ほどの本質が結果として適合されれば、「私は男らしい」と認識される。

ここで言う"らしさ"は、社会性を反映していない。逆に"らしさ"に縛られ、自分を見失っているのではないかと感じる。なぜなら、世間一般の本質を介するということは、普遍的な考えを基準に"らしさ"を当てはめているからである。

次に、フランスの哲学者ポール・リクールのアイデンティティ論に着目して”自分らしさ”を考察してみる。ポール・リクールは、アイデンティティ(自我同一性)における同一性と自己性の違いに言及している。

同一性とは、対象が「同じひとつのもの」であることを意味する(Paul Ricouer,1923-2005)。直観や様々な手段を用いて同定であると確認することである。例えば、殺人事件の際、指紋の採取、アリバイの証明などで犯人そのものを特定することが挙げられる。

一方で、自己性とは、対象が「自分にふさわしいもの」であることを意味する。先ほどの殺人事件を例にすると、犯人はAさんと特定される。しかし、殺人行為はAさんにとってふさわしいか、というとまた別の問題であり立証することは困難である。

先ほどの"らしさ"と絡めて考えてみると、納得のシステムとしての"らしさ"は、普遍的な事実に基づいたものと考えられる。同一性が客観的に検証できるものという意味で共通しているのではないかと思う。

反対に、自己性には普遍的な事実だけではなく、様々な解釈や意味を含んでいると感じる。相応しいかどうかは、唯一の正解で証明するのは非常に困難であり、多様な解釈や感覚に基づいている為である。

つまり、"自分らしさ"は正解が無く(無いと言えば語弊があるが)、自ら見つけていく必要があるのだ。

※※※※※

小さい頃から"らしさ"を求められることはない。どちらかと言うと、親や教師が"個性"を見極めて環境を与え、実践を通して自ら理解していく。他者から見た"個性"という名の石を環境を通して磨いていくのだ。

「こういう所が個性的だね」とか他者の意見を通して認知→理解していく。自分というものをどう社会に活かしていくのかを実践を通して学んでいく。あくまで、その人に紐づく形で"自分らしさ"が出来ていく。

個性は、他者理解。
自分らしさは、自己理解。
"個性"を認識し、"自分らしい"生き方を模索する。

複雑化多様化した現代において、"らしさ"が自分の中から出てきたものなのかを把握する必要がひと昔以上に求められるだろう。


・村瀬鋼 (2009) 「らしさ」概念の射程
・松尾憲一 (2005) 〈自分らしさ〉の探求としてのアイデンティティ

この記事が参加している募集

励みになります!頑張って生きます!