生きてる意味なんてないこの世界で僕は_

意味なんてないこの世界で僕は。

意味なんてないのかもしれない

何のために生きてるんだろう。

幼い頃から繰り返されてきたこの問に対して、まだ答えは出ていない。ひと昔前のように、死ぬ気で”お国のため”に戦う必要もないし、アルバイトでも死なない時代だからこそ生きるために必死に働く必要もない。

社会は不安定で何が安定なのかなんて分からないし、結婚も出産も当たり前のようにする時代ではなくなった。デジタルネイティブ世代は、今までの常識が通用しないと言われることが多い。誰にも僕ら若者の扱いなんて分かっていない。僕ら若者にとって今までに無い変化が起きていると思う。

僕は、別に劣悪な環境で育ったわけではないし
親や親族から愛されなかった訳ではない。
どちらかと言うと恵まれてきた方だと思う。

それなのに、死にたいと思ったことは何度もある。幼少期は環境に馴染むことが出来ず常に孤独で、自分と向き合うことが多かった。考えれば考えるほど生きることが無意味に感じてしまい死にたくなった。死ぬ決断を今までしなかったのは、家族を悲しませたくない気持ちとこの世界に絶望してしまいたくない気持ちが同時に存在していたからだった。

生きることに意味なんてないのかもしれない。
でも、社会は沢山の意味を求めてくる。
絶望の中で生きるしかないのだろうか。

言い訳があったなら

僕はいわゆる大学デビューと言えるだろう。
中高一貫校で腐りきっていた僕は、このまま何もせずに死ぬのが怖くなり、自分のキャラを大きく変えることにした。

"意識高い系"と言われる環境に自ら飛び込んでいった。最初は羞恥心もあったが、いつの間にか何も感じなくなった。今を生きている感覚があったし、出来ることが増えるたびに自分を肯定できるようになっていった。

言い訳ができるなら。

周りの目を極度に気にしていた僕にとって、"言い訳"の存在はとても重要だった。自分の決断に100%自信を持てるなら違ったのかもしれないが、当時の僕は自ら下した決断に責任を持てるほど強くなかった。

SNSの発達で個人情報なんてすぐに出回ってしまう。反社会的な投稿をしようものなら、すぐにさらされてどんどん生きづらくなる。簡単な悩みでさえも、誰に相談すべきなのか分からず生きづらさを抱えている人は多いのではないだろうか。

正解ってなんだろう。

何が正解かなんて行動に移さないと分からない。
うまい言い訳を作れる場所がもっとあれば、
行動の障壁は取り払われることだろうと思う。

曖昧な関係でいいじゃん

僕は色んな自分を演じて生きている。
長い時間をかけて辿りついた自分が生きやすい生き方だった。

「自分はこうあるべきだ」とは考えず、環境に応じてジクソーパズルのピースのように自分のアイデンティティがハマる場所を探して当てはめる。所属するコミュニティの数だけ自分のアイデンティティも増えていく。

しんどい時はこのコミュニティ、頑張りたい時はこのコミュニティみたいな感じで上手く使い分けて自分を保つ。

リアルな環境では生きづらさを感じるタイミングはまだまだ多い。僕は1人になると極端に不安になる。しかし、たくさんの人に囲まれていても不安になる。いつ1人になるのかを恐怖する。

逃げてもいい。

慢性的な孤独感を埋めるためにも、逃げ込める場所がリアルにもバーチャルにも必要なんだと思う。

僕にとってSNSが切れない関係だと思っているのは、いくらか孤独感を軽減してくれるからだ。リアルな環境で強く生きるために、SNSで弱みを打ち明けたり社会への怒りや絶望を吐露して反応を見る。悩みを共有できそうな人と繋がって相談する。

悩んだ時に繋がれる関係性。
都合のいい時に繋がれる関係性。
今生きるために繋がれる関係性。

明確に定義することは出来ない、曖昧な関係があっても良いと思う。曖昧な関係性の中に、無条件で愛してくれる存在が少しでもいれば強く生きていける。

心の健康を保つ

好意で行った行動に"ありがとう"と言われると、なんだかむず痒い感覚を抱くことがある。自分のことを必要としてくれていたし、僕もその人が好きだから自然な動作として手を差し伸べているからだろう。もちろん人に依るが、近しい関係性の人たちとは損得なんて持ち出したくないと思っている。

しかし、全ての人に損得勘定を持ち出さない訳ではない。時間と使える身体は有限であるので、関わる人全てに愛を持って接することは難しい。疲弊して大切な人に愛を持って接することが出来ないのなら意味がないので、ドライに接することもある。

心の健康を保つ

心も身体も健全でなければ、無意味に人を傷つけてしまったり自分に過度の無理をさせてしまうこともあるだろう。

少なくとも僕が大好きな人には、理由もなく側にいてほしい。我儘かもしれないが、価値を発揮したから愛される関係ではなく自然体を愛して欲しい。

"今"を生きる

“今”を生きる。
これは、大学に入ってから意識し始めた言葉だ。

それまでは、過去の自分を呪い未来の自分に希望を抱いているだけで、行動には起こさずに毎日をただ生きていた。正解を求めて間違うことを極端に恐れていた。

行動に移す理由ないし・・・
自分に価値ないし・・・
キャラ崩したくないし・・・

行動する前から分かるはずも無いことに悩み、後々たくさん後悔してきた。今を強く生きることで、過去は良き思い出に変わり未来へ希望が持てることが分かった。

まずは、自分の出来ることからしっかりとこなしていきたい。今を満足に生きていないのに、未来が突然明るくなることはないのだから。

これからは、何度も繰り返したいと思える”今”を生きていきたいと思う。そんな"今"が積み重なれば、未来に希望を持てるようになりそうだ。クソみたいな世界だけど、自分を肯定することが出来たらちょっとはこの世界を愛せるのかもしれない。

意味なんてないかもしれないこの世界で僕はそう願っている。

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