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自利と利他②

😎「では、続きの話をしよう」

😌「はい。《祈り》について、ですね。」

😎「……おっ?」

😁「ん?」

😎「記事のテーマは、自利と利他だぞ。

祈りについて語ることが、自利と利他の話につながるというのか。」

😊「そうです。

とはいえ、ノープランなので、頭の中でふわふわっとしています。何を書くかは決まってないし、一度も言葉にしたことがないので、上手く書けるかはわかりません。

ですが、なんとなくつながる気がするし、書きやすいかなって。」

😎「なるほど、よろしい。では、いくつか質問をするとしよう。

お前は、なにかに対して祈る時、どのような気持ちで祈っているだろうか?」

😊「その人が抱えている苦しみが、すこしでも軽くなりますように。肩の荷が下りますように。幸せでありますように。と、願います。」

😎「その時、利己的な気持ちはあるだろうか?」

😌「一切ありません。」

😎「では、相手の存在は、お前の中にあるだろうか?」

🙂「それは当然、あります」

😎「ほう。」

🙂「……」

😎「……」

😀「……??? ん???」

😎「いいか、もう一度聞く。そのとき、相手の存在は、お前の心の中にあるか?」

☺️「あります」

😎「それは、お前のイメージだな?」

😆「あっ!」

😎「気づいたか。」

☺️「じぶんが捉えている『他人』は、すべてじぶんの中にある、ということですね。」

😎「そのとおりだ。ここまでパスを出せば、あとはゴールまで持っていけるか。」

🙂「やってみます。

ひとのために祈る。

ひとの利益のために、ひとの幸福のために祈る。

つまり、『利他』的に祈る。ということは。

じぶんのために祈る、ということでもあるのです。


そう。『自利』にもなっているんです。

祈るという行為に、実は、じぶんも他人もない。
ということですね。

……。

あー、どうしよう。もうすこし助けてくれませんか……」

😎「では、すこしだけ。

お前は、存在を知らない人のことを、どのようにイメージするか?」

😔「うーん。難しいですね。イメージできないです」

😎「では、世界の平和を祈る、という行為を考えてみよう。

世界中のみんなが幸せでありますように。

日本に生きる人々も。

そして、見知らぬ土地で生きる、見知らぬ誰かも。

みんなみんな、幸せでありますように。

このとき、お前のなかに、存在を知らない人のイメージはあるか?」

☺️「あ! 具体的に、顔や声、姿をイメージすることはできませんが、

『世界中のみんな』『日本に生きる人々』『見知らぬ土地で生きる、見知らぬ誰か』という言葉(言霊)のなかに、その存在が宿っています。」

😎「そうだな。

つまり、お前が『○○な人』『○○な誰か』と考えた時、具体的なイメージを持たなくても、たとえ一瞬でも、お前の心の中にその存在が宿るというわけだな。」

🙂「そうですね」

😎「それは、近しい人に対して祈る時と、何ら変わりはないな。」

😀「え?」

😎「その人に対してお前が抱いている人物像や、その人の抱く苦しみや問題への理解(解像度)によって、想像出来るイメージの具体性は異なるであろう。

そしてもちろん、相手との関係性によっても、祈りの届きやすさは異なる。

しかし、程度の差こそあれ、お前が思う相手は……」

😌「あ。」

😎「お。まとまったか。それでは、マイクをどうぞ」

😌「🎤……。

一見、『他者』だと思う人のために祈っているようですが、

わたしの心の中は、わたしです。

わたしが思い描く『他者』は、
すべて、わたしの中に在ります。

わたしの中のあなたに向かって、心を込めて祈るとき。

じぶんの心の喧噪からいったん離れて、あなたのために心を尽くすとき。

心の中に、空ができます。

空ができると、つながります。

相手と、じぶんにつながります。

つまり、祈ることによって、じぶんも救われるのです。

『他者』のために祈ることは、『わたし』の救いでもある。

ですから、利他と自利は、セットです。」

😎「うん。まぁ、いいんじゃないか」

🙄「え?だめ?結構頑張って書いたよ。」

😎「だめとは言わない。が、ひとつ補足させてくれないか」

😌「わかりました。」

😎「感謝や祈りというのは、究極のところ、行為ではないのだ。

しぜんと、湧き上がってくるものだ。

そうだろう?

感謝しなきゃ、と思ってするものではない。

祈りだってそうだ。

祈らなきゃ、と思って、必死に祈るものではない。」

😔「あ、そうだ、思い出した。教会に通っていた時、形式的に祈る人に対して、反感を抱いていたことがあったんだ。」

😎「ん、まぁ、お前の気持ちはわかる。しかし、それすらも決して無意味なことではない、ということも、念のためここで付け加えておく。どんな動機であれ、どんな心の在り方であれ、祈ることは無意味ではないのだ。そこに、言葉すら、なくたっていいのだ。」

🙂「はい」

😎「しかし、話を戻すが、本来、感謝や祈りというものは、為さずに為すものだ。

そして、その根源は、無償の愛だ。

愛が湧き出した結果が、感謝であり、祈りであるとも言えるだろう。

だから、心を鎮めて、己のまわりを観察しなさい。

観察し、吟味し、共感し尽くしなさい。

鳥(俯瞰)の目を持ち、ひとつひとつのつながりに気づき、大切にしなさい。

人やものや、環境や、地球そのものを愛で、大切にし、

そこから自然と湧き出た感謝と祈りは、

世界をひとつにするだろう。

全身の細胞を愛で満たした状態で、
ひと所から始まった祈りは、

全体を駆け巡り、ひと所に収束するのだ。

利他の実践は、己の幸せとなる。

だから、利他の精神は、ひいては自利となるのだ。」

🥺「わーーーーーっ!!!すごいキレイに拾って、まとめてくれた。どうもありがとうございます。」

😎「いえいえ。おもしろかった。またいろいろと質問させてくれ。」

😫「はい。わかりました。よろしくお願いします。

…それはそうとね、おっさん、
もうね、ここのところ疲労困憊なのよ。
つかれちゃったよ。
これ、ものすごいエネルギーを費やすのよ。
毎度毎度、寝ながらじゃないと書けないのよ。

お願い。しばらく、降りてこないで~……」

😎「えーーー?! なんだよ。しょうがないな。じゃあ、煎茶でもいれてくるわ。」

😅「……。あ、煎茶、家にあったっけ?えーーっと、ないわ、玄米茶だ。これじゃだめ?」

😎「だめ」

😅「……。ごめんなさい。飲んできてください💦 お疲れ様でした(´・ω・)🍵」

❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*:.。.✽.。

😎「ズズズ……」

🙂「あ、それ、煎茶?」

😎「うん」

🙂「おいしい?」

😎「うん」

😁「よかったね」

😎「うん」

😅「……。子供か!!」

😎「……。」

🙂「しばらく休んでてくださいね。回復するので」

😎「うん。

……お前は、成長したさ」

😆「そう?…どうもありがとう。」

😎「•*¨*•.¸¸♬︎」

😀「ん?何歌ってるの?なんだっけこの曲。……。あ。イミテイション・ゴールド?」

😎「フンフンフン」

🙂「……日が当たれば 影が違う 色が違う🎵」

😎「フンフンフン」

☺️「そっかぁ。好きなんだね。今度弾いてみるね♬.*゚」

😎「ちがうちがう」

😌「え?」

😎「いや、好きだけど。これは、お前のことだ」

😅「……。え?」

😎「過去のことは忘れなくていい。でも、光のあたり方で、世界は変わる。」

😑「……えー??」

😎「さぁ、なんのことだろうな。バーチャルリアリティの記事も回収しないとな。じゃあ、またな。」

😂「わーーっ、まってー!!行かないでえええっ」

😎「………………」

😂「あーーー、置き土産残して去っていったよ……。

まぁいいや。なんも考えらんないや。

はぁ。とりあえず玄米茶飲むかぁ……」

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