平成に生まれ、令和に生きる

令和、という元号が発表された今日、ずっと不思議な気持ちでいる。

一か月後には慣れ親しんできた「平成」とお別れをし、令和元年という世界で生きていく。そんな自分がまったく想像できない。

どちらかというと和暦よりも西暦のほうを使うタイプだし、「平成最後の●●」なんてフレーズにもそろそろ飽き飽きしていた。

でも、実際に、1か月後と言われるとなんだかひどく困惑している自分がいて驚いている。

平成11年生まれで、平成でしか生きてこなかったわたしが「令和元年」を生きる自分を想像することは、パラレルワールドに存在する自分を想像しているかのような気持ちになる。

または、淡水魚が「一か月後から海で泳ぎなさい」と指示されたときと同じ気持ち。

元号が変わるだけ。ラベルが変わるだけ。ただそれだけのはずなのに何か一つの大きな、自分にとって大切な何かが終わってしまうような気がして。


「令和」と聞いて、喪失感に近い、けどそれとはすこし違う特殊な感情がわくと同時に
自分のこれからの人生に期待を込める気持ちもわいてきて、

新元号をきいて、少なからず「自分の時代だ」と思っている。令和生まれの未来人たちに笑われてしまうかもしれないけれど、
あたりまえだけど、わたしはまだ若者なんだなあって思いました。

平成に20年間生きてきたといっても、物心つく3歳まではノーカウントだし、中学2年生くらいまでは人間のかたちをしていなかった(サムシング ライク ヒューマン が適切)。

そう思うと、やっぱり令和はわたしの時代かもしれない。


あと、
元号なんてたかが名前だけど、たかが時代のラベリングだけど
そうやって区切りをつけることによって、一か月後、ながい夏休み明けの教室みたいに、なんとなく社会がしゃっきりするんじゃないかな、そうだったらいいなと思う。


それと、
人々が昭和にノスタルジーを感じられるように、
いつか平成にも懐かしさをおぼえるのでしょうか。

東京タワーが昭和の象徴であるように
スカイツリーが平成の象徴になるのかもしれない

そういえばわたしの中で昭和のイメージは赤で、平成のイメージは水色なんだけど、東京タワーとスカイツリーから来ているのかな?とても無意識
令和は何色になるんだろう。
ピンクだったら嫌だな、ピンク好きだから、令和生まれ人に嫉妬してしまうかもしれない。


日本に生まれてよかったな。


今日から大学三年生です、課題を提出しに大学に行ったら、スーツのフレッシュマンたちがたくさんいて驚きました。2年前の入学式では似合っていないスーツとトレンチコートを着たわたしの隣に笑顔のお母さんがいたのを思い出して、ちょっと悲しくなってしまいました。


では、これから桜を見てきます。


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