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『古事記』って何?(『古事記』通読①)ver.1.32

連載の1回目ですが、『古事記』本文を読んでいくのは次回からになります。今回は『古事記』とはいったいどんな書物なのだろうかという話です。とにかく『古事記』冒頭に何が書かれているかを早く知りたいという方は、本記事はすっとばして2回目(「通読②」)にお進みください。そしてあとでこの記事に戻ってくるのもアリと思います。そうでない方は是非そのままお読み下さい。


■あいまいな日本の古事記

『古事記』は、712年に完成した日本最古の書物(ただし確認されているのは写本のみ)ですが、どんな書物かと問われると答えに窮してしまうところがあります。

それは、私が明確な答えを持っていないからではなく、明確に打ち出すためにはいろいろと説明が必要になってくるからです。

一般には、『古事記』は、玉虫色の性格を併せ持つ書物として扱われていています。ある人にとっては日本最古の歴史書であり、またある人にとっては日本最古の文学であり、また別のある人にとっては失われた古代の日本の心を伝える神聖な書物だったりするのですが、いろいろな側面を持つ書であることが『古事記』の本質であるかのように捉えられており、『古事記』の本質が何であるかは問われないのが普通です。

そして、これまでは、そのことが好意的に受けとめられてきました。歴史書としても文学としても神話集としても読める多面性こそが『古事記』の魅力だというわけです。

しかしながら、『古事記』の多面性を魅力とする捉え方には、マイナス面もあります。裏を返せば、どれも決め手にかけるからです。

例えば、歴史書として見れば、正史の『日本書紀』に対し、正史でない『古事記』はどうしても分が悪くなります。『日本書紀』は、一書に曰くと様々な異聞も併記しますが、それらとあまり変わらない、正史を補完する一資料的な位置づけにならざるを得なくなります。

あるいは、『日本書紀』の公に対して、天皇の私的な歴史書のような位置づけがなされます。これは、国家が正であり公、天皇は私という一つの解釈であり、当時の政体に適切な分類と言い切れるか疑問が残ります。

また、物語として扱う見方については、王権との関係が軽視されているという批判があり、素朴な響きを持つ物語ではなくそれよりは恣意的な響きのある文学、王権と密接な関係のある文学としての扱いが通常化されています。しかしながら、物語と呼称するにせよ文学と呼称するにせよ扱われているのは神話であり、政治的に神話が完全に隷属していると言い切れるのか大いに疑問です。

逆に、単純に古代の日本に触れることのできる神話集だという見方は、個々のエピソードをバラバラに楽しむ態度を肯定してしまい、『古事記』の全体性から読者を遠ざけてしまいます。

結局、『古事記』の位置づけを曖昧なままにしておくことは、あたかも、盲人象を撫でるのことわざのように、『古事記』そのものを見えなくしてきてしまっていることは否めません。



■『日本書紀』は明確

これに対し、『日本書紀』は明確です。『日本書紀』は、720年に完成した日本最古の勅撰ちょくせん正史です。勅撰ちょくせんというのは、天皇が編纂を命じて完成したという意味で、正史というのは、国家として正式に認めた歴史書という意味です。

唐や新羅などの当時の東アジアの諸国家に、天皇の治める日本国の正統性を主張する目的で多くの官僚たちにより編纂されたものであることが広く知られています。
もちろん、上代文学として、あるいは聖なる書物としても受け止められていますが、あくまでも第一の性格である日本最古の勅撰ちょくせん正史であることを踏まえてのものです。



■『日本書紀』の冒頭は神々の物語ではない

『日本書紀』に聖なる書物としての側面が薄いことは、『古事記』との構成の違いからも明らかです。

『古事記』は、全3巻構成で、上巻が(「序」および)神代、中巻が伝説上の天皇の活躍譚、下巻が仁徳天皇から推古天皇までの記事になっています。実に、三分の一が神々の記述にあてられています。

これに対し、『日本書紀』は全30巻構成で、そのうち最初の2巻が神代の記述、残りの28巻が神武天皇から持統天皇までの年代記です。神々の記述は全体の十五分の一しかありません。
しかも、『日本書紀』冒頭の世界のはじまりの記述には、神々は登場してきません。

『日本書紀』の冒頭は、次のとおりです。

古天地未剖、陰陽不剖、渾沌 如鶏子、溟涬而含牙。及其清陽者薄靡而為天、重濁者淹滞而為地、精妙之合専易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定。然後、神聖生其中焉。故曰、開闢之初、洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物。狀如葦牙、便化爲神。號國常立尊。

現代語に訳せば、次のようになります。

昔、天と地とがまだ別れず、陰と陽も分かれず、混沌としていてヒナがかえる前の鶏の卵の中身のようにはっきりしてはいなかったが、薄暗い中にきざしができていた。
やがて清らかな陽の気は、たなびいて天となり、重く濁った陰の気は、滞って地となった。

澄んであきらかなものはひとつにまとまりやすかったが、重く濁ったものが固まるのには時間がかかった。
そのため、天がまずできて地があとからかたまった。

しかるのちに神聖がその中から誕生した。
ゆえに、開闢の初めは、国土は固まっておらず浮き漂い、たとえるなら泳ぎ回る魚が水の上にあらわれているかのようであった。
そのような時に、天地の中にある一つの物が生まれた。形は葦の芽のようであり、それはすぐに神へと変化した。
國常立尊くにのとこたちのみことである。(以上拙訳)


最初の神である國常立尊くにのとこたちのみことの登場まで、かなりの字数を費やして陰陽思想による世界のはじまりが説明されています。陰陽思想は、日本古来の思想ではなく、中国からの外来思想です。
『日本書紀』の冒頭は、世界のはじまりを説明していますが、そのはじまりに神々は出てこないのです。


■『日本書紀』の冒頭神話はコピペ

そしてこの冒頭部分は、漢籍を編集し切り貼りしたもの(最近の言葉で言えばコピペ)であることが知られています。

『日本書紀』の記述と、元ネタの漢籍の記述を上下に並べて比較してみると次のようになります。

『日本書紀』 古天地未剖、陰陽不剖
『淮南子』   天地未剖、陰陽未判

『日本書紀』渾沌 如鶏子、溟涬而含牙
『三五暦紀』混沌状如鶏子、溟涬而含牙
 (『三五暦紀』本文は散逸しており『太平御覧』内の記述で確認できる)

『日本書紀』及其清陽者薄靡而為天、重濁者淹滞而為地、精妙之合摶易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定
『淮南子』   清陽者薄靡而為天、重濁者淹滞而為地、精妙之合専易、重濁之凝竭難、故天先成而地後定

どうでしょうか。あからさまなコピペであることが一目瞭然ですよね。

『日本書紀』は、中国の世界創造神話から書き始められ、それに日本の神々の神話を継ぎ足すという構成が取られているのです。



■『日本書紀』の神話部分はおまけ

『日本書紀』は、歴史書です。歴史書にとって重要なのは、歴史以前の神々の話ではありません。神々の物語が掲載されていても、それは、天皇の系譜に至る、いわば前段であって、聖典としての性格や機能は持ち合わせてはいないのです。

冒頭に日本固有の世界創成譚ではなく、中国の世界創成譚を持ってきたのも、中国に対し、成り立ちが同じ中での独自性を主張するためと思われます。いきなり異なる世界創成譚を示したのでは、我々は違う宇宙の成り立ちを経て今日に至る民族だと示すわけですから、外交上不利益になるとの判断(忖度そんたく)が働いたものと思われます。

また、『日本書紀』の神代の記述部分には、本文の記述の他に「一書に曰く」という形で、本文には採用されなかった多くの別伝異聞が掲載されています。これは、別伝異伝を排除しないことで、それらを継承する豪族や地域からの反発を避けるという国内向けの政治判断によるものだと言われています。

このように、『日本書紀』の本質は天皇の歴代記であり、神代の巻はその後に続く天皇の歴代記を海外も視野に権威付けし、国内外に広く認めさせるための政治的道具として書かれた側面が強かったのです。



■最初の一文が『古事記』の本質

実は、『古事記』が何であるかは、『古事記』の原文を見れば、最初の一文から明らかです。神話も小説も、古今東西あらゆる文章は書き出しが重要です。書き出しを見れば、その書物が何の書物だか、たいていはわかってしまうものです。

『古事記』は、
天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神。
という一文から始まります(太安万侶が付した「序」ではなく本文の書き出しです)。

書き下し文は、
天地初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神。
ですし、現代語訳は、
天地のはじまりの時に高天原に誕生した神の名をアメノミナカヌシの神と言った。
となります。

「初發(初発)」の訓み方(=書き下し文)には諸説あるのですが、解説するのには多くの先行研究を総動員した上での論理的な考察が必要で、字数が多くなって話がそれてしまいますので、ここでは敢えて「テンチショハツの時」と音読みしてスルーします。どう読むべきかは次回に解説します。


日本最古の歴史書とも文学書とも言われる『古事記』ですが、最初から神が登場する冒頭の一文を見れば、『古事記』は「聖典」であることを意図して編纂された書物であることは否定できないと私は思います。

このことは、世界で最も有名な聖典である『旧約聖書』と比較すると明確です。『旧約聖書』の冒頭は、「初めに、神は天地を創造された。」(新共同訳聖書「創世記」)です。やはり、最初の一文から神(と天地)が登場します。『古事記』との類似はあきらかです。両書とも「世界ーはじまりー神」のトリニティ構造で世界の始原を説明しようという意図を持った書物です。


■あいまいな日本の『古事記』から注意深く離脱する

さて、このように、『古事記』は聖典として書かれ、『日本書紀』は歴史書として書かれたことが明確になったわけですが、「『古事記』は聖典である」と主張することには、主に歴史的な経緯から、特別の配慮と慎重さが求められます。

「国家神道的な『古事記』の神聖視」と混同される恐れがあるからです。

『古事記』は、戦中には『日本書紀』と共に神格化されて国粋主義の経典とされ、今もなお大日本帝国的なるものへの回帰を願う一部の人々や政治家、宗教家などにあがめられています。

また逆に、国粋主義に染まった過去を嫌うあまり、『古事記』の価値を否定することが、民主国家に生まれ変わった日本の市民の務めであるかのように『古事記』を扱う一部の人々や研究者がいます。

さらには、一部のスピリチュアル界隈では、こうした作られた『古事記』の「権威」に反発し、『古事記』以上にその「権威」を嫌って、『古事記』をきちんと読むことなく、『古事記』に書かれていない神々を重視する外典や偽書を隠された真実として『古事記』の上位に置く、グノーシス的な心理を生み出しています(グノーシスは、カソリックの正統教会から排除された異端の思想で『聖書』に書かれていない他の文献のイエス像を重視します)。

つまり、これら国家神道的な「『古事記』の神聖視」は、今でも生きており、熱烈な賛同者と批判者と反発者が存在するのです。

そして、そのような賛同や批判から離れて『古事記』を読むには、『古事記』から聖性を排除し、純粋に歴史書や文学や神話集として扱うのが有効だと思われてきました


かくして、『古事記』は戦後から今に至るまで、その本質が何であるかは問われず、いろいろな側面を持つ書であることが、あたかも『古事記』の本質であるかのように捉えられてきたのです。


日本最古の書が、このように曖昧なまま宙づりにされてきたことは、日本人はもとより、日本と関わりのある全ての人にとって大変に不幸なことです。

かつて、フランスの記号論学者のロラン・バルトが日本の特徴を「空虚な中心」であると指摘し、多くの日本人もそれを受け入れてきました。

「空虚な中心」といった観察ー1994年の大江健三郎のノーベル文学賞受賞時のスピーチ「あいまいな日本の私」(この言葉も流行しました)を含んでもいいかもしれません。

しかし、このような分析は、連綿と続く日本というものの本質を言い当てたものではなく、単に、政治的な妥協や議論からの逃げの歴史の上に成り立つ戦後の日本の構造を言い当てたものに過ぎないのではないでしょうか。

こうした空虚な曖昧さの放置は、日本を漂流させ、日本を見失わせます。

日本がいまひとつ国際社会でプレゼンスがないのは、グローバル化が足りないからではなく、グローバル社会のプロトコルと自国のアイデンティティとを合わせる意識が欠けているからのように思います。

『古事記』を聖典として読むことは、決して物神崇拝的に神聖視して『古事記』を神棚に祀ることではなく、逆に、『古事記』を小さく狭い神棚から外に解放し、『古事記』の原文を丁寧にひもとくことで、内在する世界観を掘り当て、『古事記』を解放していく営みになるはずだと思うのです(という精神で次回以降も記事を書いていきますので、よろしくお願い致します)

「通読②」に続く

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ver.1.1 minor updated at 2020/9/29 (一部の段落構成を読みやすくあらためました)
ver.1.11 minor updated at 2020/11/1(「『古事記』通読」の予告編に位置づけ、表題に「『古事記』通読0⃣」と追加しました)
ver.1.2 minor updated at 2021/3/30(目次を追加)
ver.1.21 minor updated at 2021/7/31(項番を0⃣→①に採番し直し、あわせて一部の文章を修正しました)
ver.1.3 minor updated at 2021/8/3(一部の誤記を修正し、わかりにくい記述を改めました)
ver.1.31 minor updated at 2021/11/15(ルビ機能を適用しました)
ver.1.32 minor updated at 2021/12/16(一部日本語として収まりの悪いところを修正しました)



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