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天之御中主神<上・最初の神の名がアメノミナカヌシの神であることについて>(『古事記』通読④)ver.1.33

※連載記事ですが、単独でも支障なくお読み頂けます。初回はこちらです。
一つ前の連載記事(「通読③」)はこちらです。

■『古事記』を構造で読む

レヴィ=ストロースをはじめとする人類学者たちは、いっけん素朴に見える民族の伝承に、緻密な構造が内在していることを明らかにしましたが、『古事記』も構造で観ると大変に面白い書物です。

もっとも、『古事記』は、712年という『クルアーン』(コーラン)の成立(650年頃)より半世紀以上もあとに成立した書物ですから、素朴な伝承集ではなく、近代的なと言っていいくらいに整ったテクストです。神話の構造の他に、近代的な意味での構造を発見するのも『古事記』の楽しみのひとつかと思います

例えば、構成一つとっても、『古事記』は全3巻構成で、上巻が神代、中巻が伝説上の天皇の活躍譚、下巻が仁徳天皇から推古天皇までの記事になっていて、明確に構造化されています。
巻ごとに、神話→伝説→系譜と内容が明確に分けられています。そしてそれらの巻の内容が、さらに構造化されているのです。

★『古事記』マニアック注釈(マニア向け、読み飛ばし可能です♪)★
レヴィ=ストロースの、というか構造人類学の「構造」は、変換されても変化のない不変のものというような意味です。
一方、「構造」には、一般に使われるような、単に体系という意味(例:東日本の文化構造)や、パターン化された割合といった意味(例:市場構造)もあります。

本稿では、「構造」を他の具体に変換できる可能性のあるパターンくらいの意味で使います(例:浦島太郎と鶴の恩返しは、見るなの禁忌タブーを犯すという意味で物語の構造は同じだ)。

ややこしい、と思った方は、この註釈は読み飛ばして下さい。大丈夫です。日常用語としての「構造」からは逸脱しないように書いていきます。
逆に、定義が甘いとツッコミたくなった方は、ぜひ脳内でどちらの「構造」かの区分をお願いします。



■神代の記述は国生みをはさんで文体が大きく変わる

神代が記述されている『古事記』の上巻は、「序」と「本文」の二部構成になっています。

「序」は、内容的に、
1.古代の回想、
2.古事記撰録の発端(開始から中断までの経緯)、
3.古事記撰録の完成(製作再開の経緯と表記への註)
の三段に分かれています(各段の見出しは小学館「日本古典文学全集」による。(カッコ)内は稿者による補足)。

「本文」もまた、イザナギ・イザナミの国生みのエピソードをはさんで、前段は簡潔な文体、後段は豊饒な文体で書かれています。
さらに前段は、別天つ神ことあまつかみ神代七代かみよななよの二つに、神々の属性が分かれています。



■『古事記』の冒頭がわかりにくい理由

このように、明確な構成がなされている『古事記』ですが、おおむね、抽象から具体に話が進んでいるように思います。

逆にいうと、イザナギ・イザナミの国生み以降の具体的な神々の活躍譚は、前段の抽象部分を下敷きにしている可能性が高いと私は思っています。『古事記』は、最初が最も分かりにくく、かつ最初から追わないと次が完全には分からない構成になっています。

これは、一般の書物としては致命的です。最初が難解な書物は、後段がいくら読みやすくても、そこに至る前に放り出されてしまうからです。

『古事記』のこのような構成は、『古事記』が、天皇家のみに伝えることを意図した「聖典」であることに起因すると考えます(『古事記』が「聖典」であることはこちらを参照ください)。

「聖典」とは聖なる力の源泉でもあります。権力者は、聖なる力を独占し、継承したいと願うはずです。

継承には、文字は最適な道具です。口承では伝え手が死んだら伝言ゲームになることを覚悟しなければなりませんが、文字なら書き手が死んでもそのまま伝承を残すことができます。
ところが、独占には、文字は最悪の道具です。書かれたものは、読める人には等しくその内容が伝わってしまうからです。



■文字はシンギュラリティー

『古事記』は日本最古の書物です。文字は、今のAIのような当時最先端のテクノロジーかつシンギュラリティー(そこを超えると社会が一変してしまい後戻りできなくなるような技術的突破点)であり、その威力と脅威がともに強く意識されていたはずです。

『古事記』冒頭の難解さは、今でいうテキストデータの暗号化や圧縮のようなものではないでしょうか。
暗号化や圧縮されたテキスト情報は、外部のデコーダーがあればもとに戻すことができます。
『古事記』の冒頭は、圧縮されているがゆえに簡潔な記述になっていて(たった233文字に17柱もの神々が登場します)、その圧縮を解くと全体を理解するためのキーが現れる。そんな構造であれば、継承と独占を文字によって両立することができます。

この私の仮説は、妄想にすぎないのかどうか。『古事記』を、その内在する論理に従って読んだ結果、筋が通れば仮説は検証され、筋が通らなければ仮説は妄想として棄却されます。


それでは、今回も、『古事記』の原文に入っていきましょう。『古事記』の第一文めを再掲します。

①天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神。

書き下し文(漢字かなまじり文にあらためたもの)は、次のとおりです。

天地あめつち初めてあらはしし時、高天原たかあまのはらに成りませる神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)。

以下に現代語訳にしてみます。通常ですと注釈になるものを訳に入れています。なぜ、そのような訳(拙訳)になるかの説明は、この連載記事(初回はこちら)に書いてきたとおりです。


世界の始原。天と地とがあった。
天は、天として自らを意識し、地は、地として自らを意識し、世界は世界となった。

時が、動き出した。

広大な天に、高天原たかあまのはらという場所があった。
そこに、最初の神が誕生した。名を、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)と言った。

この神の誕生によって、世界に中心という概念があらわれ、この神が生まれたところが、天の中心となった。
高天原たかあまのはらは、天の中心の場所となった。
この最初の神は、生まれながらに天の中心の神である。

解説は、前回に引き続き、稗田阿礼と一番の読み手であったであろう当時の皇子との対話ダイアローグスタイルです。



■神の名は。

阿礼 「天地あめつちはじめてあらはしし時」、つまり、天と地が自らに気づいて、この気づきにより、時が動き出し、世界ははじまりました。ここまでが前回でした。今日はその次です。

皇子 うん。

阿礼 「高天原に成りませる神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)。」つまり、そのはじまりの時に、高天原にある神が誕生し、その神の名を天之御中主神(アメノミナカヌシの神)と言ったのでした。

皇子 なぜ、ある神さまが生まれたなんて言うの?天之御中主神(アメノミナカヌシの神)様が生まれたんでしょう?

阿礼 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)様が誕生されたことと、ある神さまが誕生されて、その神さまの名前が天之御中主神(アメノミナカヌシの神)様だったというのは、ちょっと違うんですね。

皇子 同じことじゃないの?

阿礼 それが違うのです。神さまそのものを、すべてあらわしきってしまうような呼び名はありません。あったとしても、それではおそれ多くて口にすることはできません。そこで、神さまをすべてあらはす名前は問わないことにして、その神さまの働きをもっともよくあらはす名前で呼ぶのです。

皇子 そうなんだね。

阿礼 中国では諱(いみな=忌み名)と言って、おそれ多い方に対しては、本名を避ける風習があります。ズバリの名前は尊すぎてその名を呼ぶことははばかれるので、その方の業績をたたえて、その業績を簡潔にあらわす名前が贈られます。これに似ているように思います。
 そして、名前を持たずに生まれてくることは、それ以上に尊い意味があります

皇子 それは何なの?

阿礼 皇子も誰も、人は名前を持たずに生まれ、名前を与えられます。名前はその人を褒め称えその人の一生を祝福するために付けられるのですが、その人の可能性は、その祝福の名前さえも超えるものです。それが人が名前を持たずに生まれてくる意味です。人は無限の可能性を持って生まれてくるということを、「神の名は、」というくだりが、教えてくれているのです。

皇子 うむ。神がそうであるのなら、人もそうであるのは道理だね。

「神がそうなのだから当然人もそうなのだろう」という発想は、当時は一般的であったことが多くの研究から明らかになっています。
 例えば、元号「令和」で一般にも有名になった中西進博士は、『万葉集(一)』(講談社文庫)で、天智天皇(第38代天皇、在位668-671年)の皇太子時代の歌

「香具山は 畝傍うねびををしと 耳梨みみなしと 相争いき 神代より かくにあるらし いにしえも しかにあれこそ うつせみも つまを 争ふらしき

を、

「香具山(女)は新たに現れた畝傍山(男)に心移りして古い恋仲の耳梨山(男)と争った。神代からこうであるらしい。昔もそうだからこそ、現実にも、愛する者を争うらしい 。」
と訳しています(前掲書p.55)。
 このような『古事記』や『万葉集』の時代の人々の発想を考察したものに『日本人にとって聖なるものとは何か』(上野誠・中公新書)があります。非常に面白いのでオススメです。



■天之御中主神は、中心を神格化した神ではない

皇子 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、天の中心そのものなんでしょう?

阿礼 違います。天の中心に特別の価値があるという考えは中国のものであって、日本古来の発想にはありません。

日本の上代の文献には、天の中央に価値を置く記述は皆無であることが、寺田恵子氏の研究によって明らかになっています(「天之御中主神の神名をめぐって」(『古事記年報』一九八三年)による)。

皇子 じゃあ、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)ってどういう意味なの?

阿礼 天之御中主(アメノミナカヌシ)は、天の真ん中のぬしということですね。ぬしは、領有するという意味の<ウシハク>の音が転じたものです。つまり、天の真ん中を領有うしはくする神さまというお名前です。

私の大切な師の一人である人類学者の宮永國子博士は、日本語は具体に向かい合う言語であり、イメージが湧くときに共感し納得するため、相手の言葉が理解できないときには「もっと具体的に言ってくれ」と求めますが、英語の場合は、相手の言葉が理解できないときには、具体例と共に抽象的にビシッと一般原理で言うよう求められると言います。(宮永國子『英対話力』青土社
 具体のみで考えるのが日本語で、具体と抽象を往復して考えるのが英語だから、日本人は英語を使う米国人に比べ抽象思考が苦手なのだそうです。

 確かに、『古事記』をはじめ、日本の古来の神々には抽象概念の神格化がない、あったとしたらその神は中国からの外来の神だというのが定説です。
 ですが、『古事記』の冒頭部分を読むと、具体と抽象を往復するのではなく、複数の具体を同時に扱うことで、一般原理を用いずに抽象概念を扱う思考があったように思えます。

 一般原理というのは一神教に通じる思考ですから、具体は抽象に隷属する。一方、『古事記』には、一神教の発想には無い、具体と抽象との関係を見ることができます。しかし、今の日本にはもはや、複数の具体を同時に扱うことで一般原理を用いずに抽象概念を扱う思考は、消えてしまっているように思えます。

  宮永博士の指摘するように、具体だけで考え抽象思考の苦手な人たちと、英語の発想を取得し、具体と抽象を往復し具体を一般原理に隷属させて考える人たちに、我々は引き裂かれているのではないでしょうか。『古事記』の冒頭部分は、失われた思考によって書かれているために、我々には難解です。でもそれをのり超えて、現代の私たちがその思考を取り戻すことは、この裂け目を見据えるという意味で、とても重要なのではないでしょうか。



■天之御中主神は、どこか特定の天の中心いる神ではない

皇子 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、天の真ん中を領有しているのでしょう?それなら、天の動かぬ中心、北極星(ポラリス)にいるんだね?

阿礼 そうでしょうか。最も輝いている星(シリウス)が天の中心だとは言えないでしょうか?

皇子 それを言うなら月だよ。月の方がずっと明るい。

阿礼 いいえ、太陽の方がもっと明るいですよ。何も天は夜だけではありません。

皇子 そうだね。それでは、天之御中主(アメノミナカヌシ)は、太陽のある場所にいるんだね?

阿礼 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、太陽にも、月にも、シリウスにも、北極星(ポラリス)にも、天の中心と思われるすべての場所にいらっしゃいますし、そのどれかの場所にいらっしゃるとも言えます。

皇子 それは無理だよ。どこかにいたら、別のどこかにはいることはできない。

阿礼 そうでしょうか?すべてに意識が行けばすべてに、どれかに意識が行けばそのどれかに、そこを領有する天之御中主神(アメノミナカヌシの神)がいらっしゃいます。

皇子 そうなの? 正直、意識の話は、よく分からないんだ。でも、中心と思った場所に天之御中主神(アメノミナカヌシの神)がいらっしゃるということは、分かったよ。
 だけど、どうせなら、一番の中心にいるのが格好いいよね。それはやっぱり太陽かな。

阿礼 まだ一番の中心にこだわっておいでですね。でも、一番の中心を考えないというのが、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)の名前が教えてくれることであり、天皇家に伝わる智慧なのですよ。
 有力豪族の中には、北極星を天の中心として信仰している一族もいれば、シリウスを天の中心として信仰している一族もいれば、月を天の中心として信仰している一族もいるでしょう?そのどれかを一番の中心としてしまえば、その一族としか組めません。

皇子 いや、だからさ、どれかの一族と組むのではなくて、我々が天に最も明るい太陽を一番の中心として掲げ、他の中心を掲げている一族を従えればいいじゃないか。

阿礼 それでは、天照大御神(アマテラス)から世界が始まっていることになってしまいます。天皇家の伝承はそうではないのですから、天皇になられる皇子は、最初の神が天之御中主神(アメノミナカヌシの神)であることについてきちんと理解しなくてはいけません。

皇子 でも、天照大御神(アマテラス)より前の神の話を飛ばしてしまえば、天皇家の強さを、より力強く訴えることが出来るんじゃない?思い切って『古事記』の最初のところは端折はしょっちゃったらいいじゃないか。

阿礼 天の中央に唯一の最高神がいるとした中国は、確かに強大ですが、その王朝はどうなりましたか?何度も代わっているではありませんか。
 唯一絶対を掲げれば、一時の勢いは確かに強大になるかもしれませんが、やがては別の唯一絶対を掲げるものに取って代わられてしまうことを中国の歴史は教えてくれています。
 それに、一番を手にしたからと言って、それが独占を意味することにはなりません。渡来人に聞いたところ、世界のあちこちの地域に、太陽をシンボルにする王族があるそうです。太陽が太陽に滅ぼされることだってあるかもしれません。
 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)からはじまる最初の神々を飛ばして、天照大御神(アマテラス)からのはじまりにしてしまえば、天皇家もきっと中国の王朝と同じ運命をたどってしまうでしょう。今がよいだけではダメなのですよ。



■様々な天之御中主神

 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、古来一般の信仰対象ではありませんでした。『延喜式』にも天之御中主神を祀る神社は一つも掲載されていません。

 現在、天之御中主神を祀っている神社は、ほぼ全て、明治の神仏分離政策によって、天之御中主神が祭神とされたもの
です。
 例えば、恐らく東京で最も有名な天之御中主神を祀っている神社は「水天宮」ですが、これは文字通り「水天(バルナ)」というインド由来の水の神である仏教守護神を祀ったお宮でした。バルナは非常に強力な神さまで、イランに伝わって、ゾロアスター教の最高の善神アフラ・マズダとなります。バルナは、神さまは神さまですが仏教守護神なので神道の神さまとしては祀れない。そこで、最高つながりで天之御中主神ということになったのです。
 
 このほか、福岡県の摩利支まりし神社のご祭神も天之御中主神です。こちらは、「摩利支天(マリーチ)」というインド由来の太陽光・月光の仏教守護神を祀ったお宮でした。水天宮と同様に、明治の神仏分離政策により、神道の神さまとしては祀れなくなり、太陽光・月光=天の中心からの光という連想から、祭神の名前が天之御中主神になりました。                

 また、天之御中主神を祀る神社の由来で最も多いのは、かつて妙見菩薩とされていた祭神が名称変更されたものです。妙見菩薩は、菩薩という名前ですが、先の水天や弁財天などと同様に天部すなわち仏教の守り神とされます。道教の北極星信仰として日本に伝来し、関東を中心に全国的な信仰を集めました。それが、明治の神道重視策で菩薩名を避け、北極星=天の中心という発想から天之御中主神になったものです。

 このように、もともとは別の神さまがいまでは天之御中主神として祀られています。これは、天之御中主神が、北極星でも、太陽でも、月でも、シリウスその他、天の中心と考えられるどこにでもおられ、天の中心はそのどれでもあり、どれか一つに縛られないという発想がもともとあったからこそ可能になったのだと思われます。

アメノミナカヌシの神の予祝についての話につづきます)

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ver.1.1 minor updated at 2020/11/1(冒頭に「通読①」「通読②」へのリンクを付しました)
ver.1.2 minor updated at 2021/2/25(読みやすいよう、改行箇所を増やしました)
ver.1.3 minor updated at 2021/4/1(目次を追加。あわせて日本語としておかしなところを修正しました)
ver.1.31 minor updated at 2021/7/31(項番を③→④に採番し直し)
ver.1.32 minor updated at 2021/8/15(表題を変更←天之御中主神の第1回であることを明確にしました)
ver.1.33 minor updated at 2021/12/24(ルビ機能を適用しました)

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