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「子供に発達障害があるから親子で渡米を決意」そんな親子がいることが異常だっていうことに気づいてほしい

「子供に障害があって日本では育てられないから親子で渡米を決意」

この言葉をきいてどんなイメージを浮かべますか?

「息子に障害があったからアメリカに移住してきた」と話すと、たいていの人は”息子にアメリカでしか受けられない医療的なサポートが必要な障害がある”とイメージするんだよね。実際に、心臓に重い障害があったりして親子で移住してきた人を何人か知ってるんだけど、息子と私のケースはそうじゃない。

「日本ではアスペルガー症候群(発達障害)への理解が乏しく必要な支援や教育を受けられなかったから」

というのが渡米の理由。
これ、我が家だけの超特別なケースじゃなく、直接知ってるだけでも10組ほど同じ理由でアメリカの支援教育を求めて引越ししてきた家族がいるんだよね。ここまでしなきゃいけない日本の支援教育や障害への理解の乏しさに、お国の偉い人達にもっと危機感をもってもらいたいなって切に思うんだよね…。

私がいつもTwitterやnoteに書いてる「アメリカの支援教育」や「アメリカの人の障害のある人への支援や考え方の違い」は、アメリカ移住にしか障害のある子供の将来を見いだせない家族を減らしたい、日本で今も困ってる子達や家族に生きやすい世の中になってほしいという想いからなんだよね。

そんな中で、「どういう背景があってアメリカ移住を決意せざるを得なくなったのか」「移住してみてどうだったか」についても書き残していくことも、「よりよい日本」になる為に必要なことかなぁと思いこのnoteを書く事にしました。

前置きが長くなりましたが、今日のnoteは、少し前に書いたアメリカに越してきたばかりの頃の2つのnote

◆ 発達障害の子は困らせる子じゃなく「困ってる子」って知った、アメリカ生活1日目
◆ アメリカに越してきた5日間で知った、障害のある人の”可能な限りの自立”を追い求める大切さ

の少し前(渡米前)の頃のお話しです。明日に投稿予定の「言葉の壁を超える「この子を理解しよう」という気持ち」に続きます。


ーーー誰一人賛成してくれなかった息子との渡米。
              それでも信じてついてきてくれた息子ーーー
<運命を変えた1日>

日本にいた頃の息子は「アスペルガー症候群」の診断を得ていたものの、アスペルガー症候群では療育手帳の取得は無理で、障害のある子に支給される手当ももらえず、手帳がないからということで障害のある子が受けられる公共のサービスも門前払いだったし、たとえ許可が出ても手帳のある子が優先され順番が回ってこなかったし、やっと受けられたサービスも手帳がないからということで実費を請求されたんだよね。

「診断」を得たものの、その後は「じゃぁ、後は勝手に頑張ってね」といわんばかりの扱いで、親子で路頭に迷ってた状態だった。

当時は、手帳のない子の小学校での支援級在籍は無理で、「せめて個別な支援がないと小学校生活が無意味になる」と危機感を抱いた私は、校区の小学校の校長先生に直談判をしにいったんだよね。で、そこで「学校としては何も支援はできません。チャビ君に頑張ってもらうしかありません。だから何も特別に話し合う事はありません」と門前払い…。

「障害のある一年生の子に何を頑張れって言うのよ?大人が頑張るべきじゃないの!?!?」そんな絶望感と日本の教育に失望を抱いたあの日。でも「あの日」の絶望感が「このまま息子の人生終わらせてたまるか!!!」のナニクソ人生に火を付けてくれたんだよね。

<運命を変えた一冊の本>
その日を境に、「息子の人生をより良く」する為のリサーチに夢中になったんだよね。当時、今ほどネット環境が豊かではなかったんだけど、ぽつり、ポツリと「アメリカの特別支援教育」というワードが目に入ってくるようになったんだよね。

で、そのワードを中心に検索していってたどり着いた一冊の本。その本には、知的障害のある自閉症の息子さんと共に渡米されたある一家のアメリカ滞在中の特別支援教育(Special Education)の様子が事細かに書かれていたんだよね。「本当にこんなに手厚く障害のある子供に関わってくれる世界がこの世にあるの!?」本の中のアメリカの支援教育の世界は、まさにそんな夢の様な感じだったんだよね。

<息子だけが応援してくれたアメリカ移住への準備>
その本と出会ってから、「アメリカに息子を連れていくしかない!いや、連れて行かないとこの子の未来はない!」と行動を開始した。でも、

アメリカといってもどこに行けばいいの?
ビザはどうしたらいいの?
お金はどうするの?
英語話せないけどどうするの?
小学校ってどうやってさがせばいいの?
一年生って何歳からなの?
新年度が始まるっていつなの?
入学手続きってどうするの?
そもそも日本人の子がぶらっと引越ししてきて公教育をうけられるの?
手帳とかないけど、特別支援教育って受けられるの?
「・・・・・・」

こんな風に、解決しなきゃいけない問題は山積みだったんだよね。

でも、これらの問題よりも行く手に立ちふさがったのは、家族と専門家の先生からの反対。特に「自閉症の子が英語(外国語)を身に付けるのは無理。だからそんな無謀なことはしてはいけない」というお世話になってた療育チームの中の一人の先生の言葉が最後まで引っかかったんだよね。

というのも私には、その事について「絶対大丈夫!」という確信を持てる材料があやふやな一つしかなかったんだよね。それは息子が「ハイパーレクシア(Hyperlexia 過読症: 早熟な読解能力とは裏腹にコミュニケーションに困難を示す子供)」であり「聴覚優位」だった為、「きっと耳がいいし、文字や記号を覚えるのも得意だから英語を覚えるのはなんとかなるよきっと」といった楽観的な根拠のない自信だけだったんだよね。

そんな八方塞がりな状況の中で、唯一「ぼく、アメリカにママと行く」って信じて私の無謀な計画を後押ししてくれたのが息子だったんだよね。

当時の息子は、自分に障害があるのはもちろん知らなかったし、アメリカがどんなところかもよくわかってなかったし、アメリカでは英語を話す事も知らなかっし、そもそもなぜアメリカに引っ越さなきゃいけないのか全くわかってなかったんだよね。でも当時の決心の理由を今でも語ってくれる。

「ママはいつも僕のことを一番に考えてくれて僕の一番の理解者だった。そのママが”アメリカに行こう!”って一生懸命に頑張ってくれてた。だから当時は、僕のことを理解してくれない人たちにいつもイライラしてたけど、ママとアメリカに行けばそれがなくなるのかなっておぼろげに思ってた。”日本にいるよりはきっとマシだろう”ってカンが幼いながらもあったのを覚えてる。そのカンがあたってくれてよかったよ!」って。

そんな息子の後押しと私のナニクソ魂で山積みだった問題を全部一年足らずで解決していよいよ渡米。

明日のnoteは、そんな無謀なチャレンジの中で渡米後に息子が見出した希望とその頃の息子の気持ちについて書こうかと思っています。

たくさんの方々に読んでいただいたり、支援方法を参考にしてもらえたらと思い記事を無料公開していますが、 今までもこれからも勉強を続ける私の為に「投げ銭」という形でご支援いただければすごく励みになります。 よろしくお願いします。