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Being(障害者)なのかHaving(障害のある人)なのか?

私は、noteやTwitterで文章を書く時も、会話をする時でも必ず「障害のある人」という表現を好んで使うんだよね。「障害者」という言い方をあえて避けてる。それは、アメリカに越してきて、アメリカの「障害のある人」への考え方の視点に影響を受けたのが大きいと思うのね。今日のnoteは、そのへんのお話し。


今では障害のある人に理解のあるアメリカでも、紆余曲折を得て障害のある人への考え方が変わってきて今に至ってるんだよね。その大きなきっかけの一つが"People-first language"の考え方。

昔は自閉症のある子供の事をAutistic kidsと呼んでいたのが今ではChildren with Autismというようになったのね。障害のある子は昔はDisabled childrenだったのが、Children with Special Needs(特別な支援が必要な子供達)って呼ぶようになった。「人」をまず表現する。これが、"People-first language"の考え方なんだよね。

だから、障害のない人をPeople without disabilities、障害のある人をPeople with disabilitiesと表現するのね。私はこの表現の仕方が好き。なぜなら、withであろうがwithoutであろうが基本は同じ人間=peopleという考え方があるから。

この"People-first language"の考え方の元になっているのは、アメリカでは障害のある人をBeing(障害者)ではなくHaving(障害のある人)と捉える考え方なんだと思うのね。言い換えると、基本は皆と同じ人間で障害を伴ってる。だから生まれる前から先天的に障害を伴ってる人もいれば、事故等で後天的に障害を持つ人もいる。後天的に障害を持ってもその人はその人のままだもんね。

だからね、障害をHaveしてるわけだから、日常の状況によっては障害を手放して、障害の影響を全く受けずに過ごせる場面もあるわけ。四六時中「障害者」ではないんだよね。

逆に障害(障害の特性による困難)を手放せず抱えながら他の人と同じ事をしなきゃいけない時は、相当量の障害の影響を受ける時もあるんだよね。もちろん障害がプラスに働くことだってある。

例えば「大きな箱」を障害とした場合、両手にその箱を抱えてても、おしゃべりする事には影響しないよね。でも、その箱を抱えたまま箱を持っていない他の人達と同じ様に走るとなると、困難が生じ支援や工夫が必要になるんだよね。でもりんごを10個買ったら、箱のない人は持つのに苦労するけど、箱が役立つ場面もあるんだよね。

だからね、障害のある人は障害のない人と同じ「人間」であって
◆その人そのものと
◆その人が抱えてる障害(特性・困難)と
◆その障害(特性・困難)に影響を与える場面や環境や人
という関係性の中で生きてる人達なんだよね。

だから私達にできる事は、困難が減るように環境(支援)を整える事と、障害のある人を「一人の人として尊重」することだと思うんだよね。

よくね、「障害者は障害で苦労して可哀想だから助けてあげましょう」っていう人がいるけど、障害がある事が可哀想というよりは、「障害がある」という理由だけでさげすまれる事が問題だと私は思うんだよね。

だからね、障害のある人を「一人の人として尊重」することを大切にしてほしいなって心から思います。「やまゆり園」のような痛ましい事件が二度と起きないようにする為にも。

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