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自閉症の人の共感とは ~自分視点の言葉が時に誤解を生むことも~

今日のnoteは、息子が親友ノエルとFaceTimeでチャットをしてた時のはなし。

ノエルと息子が出会ったのは中学入学時。
当時ノエルは息子のアスペルガーの事を全く信じようとしなかったのね。
ノエルには知的障害のある自閉症のいとこがいて、アスペルガーの息子は全くそのいとことは違ったから。

「チャビは自閉症じゃない。お前はちょっと個性的なだけだ。でも俺はそんな個性的なチャビのことが好きだし、特別だし、尊敬してる」って。そんなノエルも息子と親密に付き合ううちに「あ~こういうことで困ってるってことがアスペルガーってことなのか」と理解してくれて、時には親切に、でも時には厳しく、時には勉強を助け合ったり切磋琢磨する仲に。

そんなノエルが昨日アメフトの部活の練習中足の骨にひびがいく怪我をしたとチャットで報告。
で、息子が言った言葉は「俺も最近足をねん挫したよ」と。

私は心の中で「あちゃ~。違うぞ、それは。まずは”大丈夫”だろそこは!」って思いながらも言葉をのんだら、ノエルがすかさず
「いや、ねんざとひびを一緒にするなよ。そういう時は”大丈夫?とか痛くない?とか大変だねって言うのが正解だってアドバイスするよ」って。

でも息子が続けたんだよね。
「いや、俺が言いたかったのは、”ねんざですら痛かったんだからひびだったらもっと痛くて大変だね、わかるよ”ってことなんだけど?」と。
ノエルはすかさず笑いながら「チャビらしいな(笑) でも、お前が言ってない部分はお前以外には言葉にしないと通じないんだよ。俺、テレパシーないから(笑) だからそういう時はまず”大丈夫?”って相手を気遣う言葉を言ってしまうか、さっきチャビが俺に説明したみたいな事を最後まで言えよな」と。

このやりとりを見てて思いだしたのが、このツイート。

今日の息子のやりとりを聞いてても、アスペルガーなどの自閉症の人は、一昨日の「心の理論」のnoteでもふれたように「他者の気持ちが全くわからない」ってわけじゃないんだよね。

たぶん「他者の気持ちはわかってても、その場面に適した相手が求める返事を返すのが苦手」の方が近いと思う。で、それが「他者視点」としての共感というよりは、自分に置き換えた視点になりやすいのかなと。「あ~それは辛いね」よりは「きみが辛いってことは僕もわかるよ」的な。

アスペルガーの人ってよく、物事へのアプローチの仕方が他の人と違うって言われるよね。

だから「それは辛いね」っていう一般的なアプローチの仕方じゃなく、「自分もよく似た経験をしたことがあるからわかるよ、その辛さ」みたいに違う角度からアプローチしつつ、言葉のチョイスが端的すぎたりして誤解をうむんだろうな…と。

ま、なにはともあれ、ノエルっていう素敵な親友でありよき理解者が息子の身近にいてくれることは心強いな。ありがとうノエル。早く怪我が治るといいね。



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