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「当たり前」を手に入れる為に「当たり前」以上が必要な子供たち

不登校のお子さんを抱える親御さん。

「できれば学校にいってほしい」っていう葛藤を経て「無理矢理に登校させるだけが解決じゃない」にたどり着く人も多いと思うんです。

でも「学校に行くっていうのは当たり前のことなんだから、親が諦めないでなんとかしなきゃ」って心無い言葉で親を責める人もいるんだよね。

「学校に行くのは当たり前のことだから」

この言葉を発する人の「学校」って「当たり前の事が当たり前に毎日存在する」場所なんだと思うのね。

例えば、友達がいたり、授業が苦痛じゃなかったり、給食が楽しみだったり、休み時間が待ち遠しかったり。

でもね、
勉強が難しすぎて、その場にいる事自体が苦痛だったり、
友達からいじめられてて、誰も話す相手がいなかったり、
偏食があって、給食の時間が苦痛だったり、
休み時間っていうあいまいな時間をどうすごしていいのかわからなかったり、
信頼できる先生がいなかったり、
自分が安心できる居場所がなかったり…、

こういう子達にとって学校は「行くのが当たり前」の場所じゃなく「苦痛を与える場所」なんだよね。

「学校に行くのは当たり前のことだから」って言う人が思い描く学校像と、学校に行けないでいる子が通っていた学校像は違う。

だからね、「学校に行くのは当たり前のことだから」というのなら、その子にとっての「学校」をもっと多くの人が思い描く「当たり前」に近づけようとしてあげてほしいなって思う。

それともう一つ。

発達障害のある子達には、不登校の子が多いんだよね。

理由は上に書いたような「学校が苦痛を与える場所」っていうことも多いんだけど、発達障害の子は、見た目に障害があるのがわかり辛いがゆえに、その子ができる以上の事を求められ続けて、頑張り続け、「プツッ」っていきなりガソリンが空っぽになってエンストを起こした車の様に、無理がたたって登校できなくなる子がいるんだよね。

発達障害の子には、車のガソリン残量の警告を示す「E」ランプのように「もう限界」「もういっぱいいっぱい」が周りからは見えにくい子が多いし、自分もそれに気づけない子が多いんだよね。

だからね、頑張り続けることだけを「良し」とせず、意識的に休みを取ることを「スキル」として教えたり、周りの人が意識して頑張りすぎないようにしてあげてほしいなって思います。

「意識的に頑張らせない日」今までも、これからも大切にしていこう!とあらためて心に書き留めた、今日のnote。

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