見出し画像

おじさん

「おじさん」という言葉が多様性の波に飲み込まれて「肩書きや過去の成功体験だけにとらわれた大体40歳以上の男性」を指すようなり久しいが、そろそろおっさんはおっさん自身の手でおっさんという言葉を取り戻すべきだと思う。取り戻さないとどうなるか。「女子」という言葉が「流行に敏感で軽薄で情緒を弁えない20代あるいはまだ自分が若いと勘違いしたサムい30代の女」として消費尽くされた近年の悲惨な状況を省みてほしい。多様性とは無縁の目クソ耳クソのカテゴライズが跋扈した殺伐とした世界が待っている。これは一女子からのお節介だ。


わたしは定職についたこともないし、社会というものに出たこともないので適当なことを言うが、男性の40代というのはキャリアの脂が乗り切った時期、裏を返せばヒエラルキーの中での自分の限界値が見えてしまう時期だ。あー、きっとこれくらい出世して、10年後にはこれくらいの給料をもらって、このくらいの家賃のウチに住み、10年連れ添った女房とこれから先も20年共にするんだろう、ということが見えてくる。年を越せば年収が上がり、抱ける女のレベルも上がっていった34、5をピークにしてじんわりと下降線、リタイアも視界に入ってくる。これは女が25、6あるいは賢明なら10代が終わってしまった瞬間に見える景色に似ている。若さと容姿に価値を見出される女は20歳を超えたらもう自分の価値がストップ高でこれ以上の景色はない、見えたとしてもこんなもんかな、と推測する。かくしておじさんと若い女にはブルースがある。


そうして何人かのおじさんと下り坂、とまではいかないがどん詰まりの景色を共有してきた女なので、おじさん=肩書きや過去の成功体験だけにとらわれた大体40歳以上の男性 という昨今の定義には違和感がある。おっさんはかわいい。彼らは自分たちの既得権益が社会的な名誉とか権威とか金とかと引き換えに労働力と感受性を搾取されるシステムから生まれたもので、自分らの個に関心が払われたわけではないということをよくわかっている。そんな帰路に立たされたおっさんたちの取る選択肢は2つで、システムにしがみつくか今すぐ逃げ出すか。わたしが主にお相手をするのは逃げ出してきたおじさんたちだ。


システムにしがみつく選択をした、というかせざるを得なかったおっさんたちはNewspicksで肩書きを振りかざしながらドヤ顔でコメントしたり無駄に長いbioを携えてTwitterでドヤ顔したりFacebookで女性ライターが書いたハフポの記事にクソ狭い経験と知識に基づいたクソバイスを片っ端から書き込んでドヤ顔したりするらしいが、逃げ出してきたおじさんたちはそもそもSNSをやっていない。システムが外部的名誉を餌にしている以上、そこから逃げ出してきたおじさんは承認欲求を食い殺すSNSにも警戒心が強い。ちなみにおじさんはあくまでおっさんではあるので新しいものも苦手。あくまで保守的な姿勢は崩さない。それゆえの声の小ささが昨今の「おじさん」消費を加速させていくわけだけど、それすら、わからない奴には何を言ってもわからない、馬鹿は相手にしたくない、と斜に構えて見せる。


さて、そんなおじさんたちと街を歩くと、そこここで「パパ活じゃん()」という嘲笑を浴びることになる。この偏見こそまさに「おじさん」という言葉がおじさんたちの手を離れ消費されつつあることの現れで、カテゴライズが雑すぎる。基本的にはもっと面倒臭い。逃げるは恥だが役に立つおじさんたちは女に金一封なんて渡したりしない。経済力と若さおよび美貌の等価交換なんて、まさに逃げ出してきた社会構造の最たるもので、反吐が出ると思っている。とはいえ金は持っているのでごはんは奢ってくれるし宿代も出してくれるしおねだりすれば大抵のものは買ってくれるが、そこに発生する取引の香りにはとにかく敏感だ。実態はともかくである。臭いモノにはちゃんと蓋をするマナーを求めてくる。


システムにしがみつくことのできなかったおじさんたちは、このようにしっかり保守的であるがリベラルでもあり世の中を斜めに見るけどシステムなんかに頼らず生きていけるだけの力はあるんだぜというアピールは怠らずにちゃっかり都合のいいときは過去の遺産を利用してそんな俺でも許してほしいと言い出すようなクソ面倒臭い生き物で、終いに「若すぎる女はつまらない。女は経験と知性が身についてから本番だよね。」とか蹴り飛ばしたくなるような詭弁を宣い、絶対梯子外す気じゃんという疑念は拭えないが、少なくとも「生きていてごめんなさい」という気持ちを一ミリ持っている分、そこらの前途洋々の若い男より共感できるし付き合うに値する。そもそもクソ面倒臭いのは同じ社会構造の下に生まれてこじらせてしまったからで、我々は鏡像関係にすぎない。彼らはネット上で語りたがらないのでわたしが勝手に述べたが、これを読んだ皆さんは、ぜひ実物を探しに行ってほしい。彼らもわたしたちと同じ、語るに値する多様な人種なので。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?