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今年の学び報告、一回目。

早速、1月にいくつかの学習会や研修会に出席してきました。ありがたいことに、職業柄、いくつかの研修会は無料で受講できました。しかし、参加した幾つかの学習会は年間費を払っているものでしたので、土日に自費で参加するとなると、感覚的にも、また違った学びが獲得できるように感じました。

以前、私の先輩が「学習会にはお金を出して参加したほうがよい」とおっしゃられていました。ある程度の経験やキャリアを積んでくると、その意味もわかってきましたように感じます。

さて、参加した学習会の主な内容は、以下の3つです。

①教育委員会体が関わる小学校外国語を担当する人向けの学習会
②自主学習団体が主催する小中高の英語・外国語を担当する方向けの学習会
③全国規模の小学校外国語に関する学会

どの学習会も半日近く時間をかけて行われていましたので、知識面で獲得できた情報は多岐にわたります。ここでは、それらの3つの学習会に共通する「根底の部分」について私なり感じたことをまとめてみたいと思います。

根底、、、と述べましたが、それは、最近私なりに感じているアンテナに引っかかった事案に関わる根底になりますので、少し偏りのあるまとめ方になるかもしれませんが、、、そこはNOTE。読者の皆様にも、多少の曖昧さも許容して頂けるとありがたいです。

「幹」と「枝葉」の話。

まとめを始める前に、一つお話を。

皆さん、最近、やたらと「アンケート」が生活に入り込んできたと感じていませんか?何かに参加する場合は毎度の事前参加アンケート、そして終わったら事後アンケート。現状把握のため、働き方改革のため、そして、今後の業務改善のため…といった「目的」を設定され、ずんずんと私たちの生活に入り込んできています。ともすれば、そのアンケートはとても「価値のある」「意味のある」そして「必要感」を伴って、これ見よがしにQRコードを携えやってきます。回答者である私も、その「目的」「価値」「必要感」を理解しつつも、その量・回数・回答内容の多さに少し辟易しながらもこの数年の大量アンケート時代の荒波を漕ぎ進んでいます。

なぜ、このアンケートの話を述べたのか。

それは、自分の授業もそのアンケートに近い「目的・価値・必要感があればすべて大切な教育活動だ」といった独りよがりな感覚があったのではないか、、、と気付かされたからです。まるで、この大量アンケート時代と同じように・・・。

とかく授業者は「こどものため」「地域のため」「未来のため」と「目的」を振りかざしながら子どもたちの前に立つことが多い職業です。その手にQRコードは持っていないかもしれませんが、一体、私たちは自分の手に何をもって、その目的を振りかざしているのでしょうか。私が参加した3つの学習会では、外国語教育を行う私たちの「目的」が熱く、客観的に、そして時に思いっきり主観的に議論されていることが多かったように感じます。いうなれば、枝葉ではなく「幹」の部分。この時代、言語教育に関わる情報は真偽はともかく溢れんばかり出てきていますので、その幹、つまり「言語教育の目的」がどこにあるのか…。私はそれを見極めることも一つの「教師力」ではないかと感じました。

なぜ今、「幹」について議論されることが特に多いのか…。

それは、ひとえにDXの推進やAI(生成AI・ChatGPT等)の台頭があるようにも感じました。我々人間が携える知識・技能の大半は、いずれそれに近い存在にとって変えられるかもしれない。これは紛れもない事実でしょう。言語教育に携わる我々はその現実から目を背けることはできません。これまで私たちが必死に覚え、獲得してきた英単語などの知識は、外部記憶に保存されることが一般化され、きっと数年度にはIot機器を耳や口や体に身に付けて、即時翻訳することができるブームが世の中に安価な形で流行ることでしょう。そのような時代がやってくることを想像したうえで、今、「なぜ、その言語活動をおこなうのか」、その「幹」なる目的をどのように捉えておくのが私たちにとって適切なのでしょうか。その幹なる目的を、児童にどのように伝え、どのように共有化するかは議論の余地があるにしても、我々指導者は、その幹をどこにもって教壇に立つのか、きちんと認識しておく必要があるように思いました。

HLT(Humanistic Language Teaching)とは?

また、3回の学習会で、今後「幹」になりえるかもしれないキーワードにいくつか出会うことができました。その中の1つは、HLT(Humanistic Language Teaching)。人間性中心言語教育と訳されることが多いようです。私はまだまだこの教授法について勉強を始めたばかりなので浅い知識で詳細を述べることはここでは避けますが、この教授法の真ん中には「人」がある、それは確かのようです。

時代が変わっても、言語教育の根本である「人と人とのコミュニケーションの在り方」について、再度、学びなおしていきたい。そのように感じた3回の学習会でした。