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[Special Topic]De-escalationを総括する

[Special Topic]De-escalationを総括する
岩田健太郎 いわた けんたろう
神戸大学大学院医学研究科
微生物感染症学講座感染治療学教授


 De-escalationは抗菌薬適正使用プログラムの一手法である【1】.
 抗菌薬は細菌感染症治療に欠かせない重要なアイテムだが,抗菌薬使用は薬剤耐性菌を増加させ,自身を無効としてしまう【2】.「使えば,使えなくなってしまう(use them and lose them)」のだ【3】.
 De-escalationはこの抗菌薬の持つ本質的なジレンマに折り合いを付けるために考案された戦略だ.
 細菌感染症では初期治療がきちんと原因微生物をカバーしていることが大事とされる【4】.感染症発症時,初診時には培養検査・薬剤感受性試験の結果はわかっていないから,どの抗菌薬が効果があり,どの抗菌薬は効かないかを正確に知ることは難しい.だからまずは広域抗菌薬で「外さない」ことを目指し,薬剤感受性試験の結果を受けて可能な限り狭域な抗菌薬に的を絞る.広域に広げる(escalate)を止めるから,「de-escalation」というわけだ.この手法を用いて,目の前の患者の治療を失敗しないことと,広域抗菌薬乱用による薬剤耐性菌増加を防ぐというともに重要な,しかし相反するミッションを達成しようというわけだ.
 特に,初期治療失敗が患者の予後に悪影響を与える,というデータが発表されるようになった1990年代後半ごろ【5~7】から,de-escalationという用語が文献上みられるようになった.あるいはantibiotic modificationとかtargeted therapyといった呼称が用いられることもあったが,現在ではde-escalationという用語に落ち着いてきたように思う.日本語でも特別な和訳を用いず,de-escalationということが多い.
 手元にある青木眞先生の『抗菌薬ガイドライン』には「臨床状況より予想される起炎菌をカバーできる抗菌薬を選択し,その十分量を投与すべきである(中略).最終的な抗菌薬の選択は,培養により得られた起炎菌の名称および抗菌薬に対する感受性を参考に,さらに,起炎菌に特異的に効くスペクトラムの狭い抗菌薬を選択する」とある【8】.まさにde-escalationである.余談だが,1996年に出版された本書は,1997年に沖縄県立中部病院研修医になった筆者が購入した唯一の和文感染症テキストだった.有名な『マニュアル』の第1版が出るのはこの3年後のこととなる.
 臨床感染症界の大御所として高名なBurke A. Cunhaが監修した『The Medical Clinics of North America』の1982年1月号が手元にある.「抗菌薬治療の原則,Principles of Antibiotic Therapy」という総説が掲載されており【9】,ここでは病原体の検出や感受性試験は重要であるとしながらも,こうした検査は時間がかかるので,初期治療は患者の評価や状態に基づき,特定の病原体に注意を払って初期治療を決めるべきと論じている.また,たいていの播種性感染原因菌はペニシリンに感受性があるが,ペニシリナーゼ産生淋菌には注意するよう,とも書かれている.
 どうも当時は初期治療をブロードで,培養後にナローにする,というde-escalation的戦略性は乏しく,最初から原因微生物を決め打ちで治療せよ,でも耐性菌にも注意が必要だから培養は忘れずに,という方向性だったように察せられる.まだ耐性菌が少なく,種々の患者の免疫不全が少なかったおかげかもしれず,あるいは当時の臨床医の初期アセスメント能力が現在のそれをはるかに上回っていたせいかもしれない〔この論文では,現在の米国医師がまずやらない手技,グラム染色が(特定の感染症では)必要だと書いている〕.
 1989年に出た同様の総説では「empiric antibiotic regimen」という用語が用いられているが,これも重症感染症の治療を遅らせないためのもので,「培養と感受性試験があれば,エンピリック治療に反応しない患者の場合に原因菌情報と抗菌薬感受性パターンが患者の命を救うのに役立つかもしれない」と書かれている【10】.培養検査と感受性試験は治療失敗時の保険的な扱いを受けていたのかもしれない.
 21世紀になってもCunhaは「より特異的でナローなスペクトラムの抗菌薬にスイッチしても,よく選択されたエンピリックな初期治療薬より効果的というわけではなく,通常は値段は高くつき,副作用や薬剤相互作用は増えてしまう」と辛辣だ【11】.まあ,Cunhaはややエキセントリックなところがあり,必ずしも米国感染症界の総意がそこに反映されているとは思わないが,共著者にはやはり高名なDavid SchlossbergやJohn Rexらもおり,必ずしもCunhaの私見とはいえないだろう.
 ときどき日本でも「おれはde-escalationなんて使わない」という意見を聞くが,それはたいてい,(しばしば自分が講演料などをもらっている)製薬企業の売上増進願望(高額でブロードな抗菌薬をずっと継続せよ)を代弁しているに過ぎない.
 CunhaやSchlossbergが言いたいのは,そういう「de-escalation不要論」ではない.「ちゃんとベッドサイドで問診と診察をして,グラム染色などの情報をゲットしていれば,エンピリック治療からナローにできるはずだ」というプロの矜持であろう.薬剤耐性菌が増え,患者の免疫不全が多様化してもそれは可能であると彼らは考える.臨床医として未熟な筆者はここまで豪語する勇気を持たないが,それでも初診時に診断名と原因微生物を可能な限り絞り込む努力は惜しまないし,そうしていればエンピリック治療をブロードにすることと決めつけず,最初からナローに攻めることも珍しくはない.もっとも,『Antibiotic Essentials』の2014年版(第13版)には前述の記載は消えており,Cunha先生たちも時代の流れに抗いにくくなったような印象が(少し)ある.
 De-escalationはあくまでも抗菌スペクトラムを狭めるという行為である.よって,注射薬(点滴抗菌薬)から経口薬にスイッチする,いわゆる「step-down治療」はde-escalationにはカテゴライズされない【12】.ただし,de-escalationという用語は国際的なコンセンサスをもって定義されたものではない.例えば,複数使用の抗菌薬の使用数を減らすこともde-escalationに含んでいる文献も存在する【13】.本稿では「抗菌薬の変更」と「中止」のみをde-escalationとして扱うことにする.これはde-escalationという概念をおそらく初めて提言したKollefの見解でもあり【14~16】,我々が行ったde-escalationのメタ分析で用いた定義でもある【17】.
 本稿はde-escalationがなぜ感染症診療で重要視されるようになったのか,その歴史的背景を説明する.そして,de-escalationの実践にどのくらいのクリニカル・エビデンスがあるかを振り返る.そのうえで,さまざまな臨床のセッティングでの,具体的なde-escalationの実践戦略についても述べる.後者は筆者の個人的な見解なので,異論があろうことは承知している.異論,反論は歓迎したい.
 ちなみに社会学の領域ではde-escalationとは紛争conflictや暴力violenceが生じるとき,人々が興奮してエキサイトescalateしないようになだめる手段を指すそうだ【18】.


なぜde-escalationが必要なのか

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