2023-2024


「人間は感情の生き物である。ビジネスも合理性で動いてるように見えても実は感情で動く」

などと言っても、実のところあらゆる仕事、人に影響を与える必要のあるマーケティングや営業現場でも感情を排する動きをしているのではないだろうか。

実のところ自分もそうだ。特に心を閉ざした場では特に。

2023年もあっという間で、もう年末だ。

自分に関して言えば、「感情を動かす」ということに真剣に取り組んだ一年だった。

今年のまとめとして、デジタルマーケティングという限られた文脈で、制作物で感情を動かすというテーマで書いていきたいと思う。

動画、音声という方法に関しては除外する。あくまでもテキストとグラフィックが主体、という前提でお読みいただきたい。

個人的にとても重要視していたテーマであり、現在取り組んでいることでも大きく関係している。

感情的なものとそうでないものの違いはどこから生まれるのだろう?

何かを感じる、人の匂いを感じるコンテンツとそうでないコンテンツの違いはどこから生まれるのだろう?

ということについて現時点での考えを書いていく。

ほんの良い影響をほんの少しでも与えることができたら、こんなに嬉しいことはありません。

感情の源は無駄そのものにある


自分は考えるに、感情の源は「無駄」そのものにある。

効率的なもの、合理的なものに感情は発生しないし、心は動かない。

(テキストに限定すれば)そのわかりやすい一例が口コミなのではないか。

口コミはサービスを受けた際の感情について書かれた情報だと捉えることはできなくはないか?

口コミをわざわざ書く、という行為自体が非合理の塊のような行動でもあり、読んでも何言ってるのかよくわからない非論理的な文章の口コミに合理的な人間でも影響されたりはしないだろうか?

そういった合理性とは程遠い、とち狂った行動、アウトプットを通じて、人は無意識のうちにその人の感情を読み取ってるのではないか。

打算や合理性よりも、人の感情の方が自分の感情に大きく影響を与えるのではないか。

とか考えていくと、人の感情を動かしたいなら、動かしたい側が感情を出す必要があるのではないか?と思えてくる。

これらについて明確に心理学上のエビデンスは用意していないし、時間をかけて探して提示するつもりもない。

理由は面倒くさいからだ。

大半の大人は感情をダイレクトに行動に表すことを推奨される世界で生きていない。

行動は制御できても、感情が湧き上がることは抑えきれない。そして、感情と行動のギャップがストレスになる。

例えば無限に溢れ出てくるこの「面倒くさい」という想い。これも立派な感情なのではないだろうか。

「面倒くせぇ・・・」という気持ちに打ち勝ち続けてこそ一流のビジネスパーソンという声が聞こえてきそうだ。そしてそれは多くの場合事実だろう。

とはいえ、ビジネスパーソンである前に人間。

「感情に左右されるうちは二流!!感情に左右されないルーチン化こそが成功の鍵だ!」と猛烈に感情的に語る人間に対して内心「わ…わかるんだけど…面倒くせぇ……」と感じるような経験が一度や二度はあるのではないか。

その一方で「熱い人」「頑張ってる人」に影響を受け、自分も熱くなる、自分も頑張ろうと思えたり感化された経験もあるのではないか。それもまた感情による効用なのではないか。

人は、良くも悪くも他人の感情に影響を受けるのである。そういうものなのではないか。

そして自分の感情もまた他人に影響を与えるのではないか。

そしてそれは制作物を通して時と場所を超え、電波を通じて影響を与えるのではないか。

しかし、裏側をみてみると、感情を出すことは、他人の感情に何らかの影響を与えるが、彼らにどんな感情が湧き起こるかは文脈や自分以外の人間に依存する面も存在する。

と考えていくと、「感情を出す」という行為は、とてもリスキーな行為なのだろう。

「人の感情を動かしたいなら、動かしたい側が感情を出す必要がある」

この主張に関して、エビデンスを出す代わりに事例を挙げよう。

以下の5つの文を読んでほしい。


私の忘年会 初日


昨日、営業部の有志5名と忘年会を開催しました。

一次会の開催費用は5000円/人。18時から開催し20時で一次会終了。

その後二次会へ。22時でお開き。4000円/人を人数分支払い解散しました。


特に情報の過不足もなく、至って普通の文章だと思う。


私の忘年会 2日目


昨日、営業部、有志5名と忘年会を開催しました。

一次会の開催費用は5000円/人。オフィスビルの高層階にあるレストランフロアにある居酒屋でした。

18時から開催し20時で一次会終了。

その後二次会へ。駅へ向かう途中の適当な居酒屋に入りました。

22時でお開き。4000円/人を人数分支払い解散しました。





この文では以下2つのディテールを追加した。

「オフィスビルの高層階にあるレストランフロアにある居酒屋でした。」
「駅へ向かう途中の適当な居酒屋に入りました。」

この二つの情報はビジネス上の報告では基本的には無駄だと判断されるだろうし、普通の会話上で話されても、人と文脈によっては「だからなんだ?このディテールいるか?」と感じる人もいるかもしれない。


私の忘年会 3日目


昨日、営業部、有志5名と忘年会を開催しました。

一次会の開催費用は5000円/人。オフィスビルの高層階にあるレストランフロアにある居酒屋でした。嫌いな同僚が目の前に座ったので、料理が台無しだった。

18時から開催し20時で一次会終了。

その後二次会へ。

店までの移動中、歩きながら酒が回った勢いでか、あいつが「目の前にいた仏頂面のせいでさっきの店は最悪だった」と他の同僚に話しているのが聞こえた。

駅へ向かう途中にあった適当な居酒屋に入りました。

席は幸いあいつとは離れていました。
とはいえ五人席。

何を喋ろうが筒抜けの居酒屋の五人席という狭い空間で「目の前にいた仏頂面が・・・」「目の前にいた仏頂面が・・・」という枕詞で、「さっきまで目の前にいた仏頂面人間」に対する想いをあいつが終始吐露していました。

22時でお開き。4000円/人を人数分支払い解散しました。





嫌いな同僚がいること、そして彼が目の前に座ったこと。

店までの移動中と二次会での様子を書き足した。

今回さらに追加した部分も全くもって無駄であるし、仕事上においても、マーケティング的な文脈においてデジタルコンテンツを作る場合においても全くもって非効率とされるものだろう。

これが仮にSEOメディアの場合、この増えた文字数に対しての文字単価分のコストを追加で出すことができるだろうか?


私の忘年会 4日目


昨日、営業部、有志5名と忘年会を開催しました。

一次会の開催費用は5000円/人。
子供が二人いる少ない小遣い制の私にとっては安くない金額です。

向かったのはオフィスビルの高層階にあるレストランフロアの一角の居酒屋でした。

どこにでもあるなんの変哲もない居酒屋の料理だったでしょう。嫌いな同僚が目の前に座ったので、何を食べてもインフルエンザで鼻が完全に塞がっている時に食べたお粥の味がしました。

台無しだった。

18時から開催し20時で一次会終了。

仕事と考えると楽な部類でしたが、忘年会として考えると辛い二時間でした。

その後二次会へ。

店までの移動中、歩きながら酒が回った勢いでか、あいつが「目の前にいた仏頂面のせいでさっきは最悪だった」と他の同僚に話しているのが聞こえました。

財布から消えた5000円で一体何ができただろう。

そう思いながら駅へ向かう途中にあった適当な居酒屋に入りました。安く済むといいな。

席は幸いあいつとは離れていました。
とはいえ五人席。

何を喋ろうが筒抜けの居酒屋の1テーブル。

にもかかわらずあの狭い空間で

「目の前にいた仏頂面が・・・」「目の前にいた仏頂面が・・・」という枕詞で、さっきまで「目の前にいた仏頂面人間」に対する想いをあいつが終始吐露していました。

どの料理もゴムの味がした。

22時でお開き。4000円/人を人数分支払い解散しました。




出てきた料理に関する記述をより具体的なものにした。文字数はさらに増えている。

2日目や3日目と比べて感じ方はどうだろうか?


私の忘年会 5日目


昨日、営業部、有志5名と忘年会を開催しました。

一次会の開催費用は5000円/人。
子供が二人いる少ない小遣い制の私にとっては安くない金額です。

オフィスビルの高層階にあるレストランフロアの一角の居酒屋でした。

どこにでもあるなんの変哲もない居酒屋の料理だったでしょう。嫌いな同僚が目の前に座ったので、何を食べてもインフルエンザで鼻が完全に塞がっている時に食べたお粥の味がしました。

台無しだった。

18時から開催し20時で一次会終了。

仕事として考えると楽な部類でしたが、忘年会として考えると辛い二時間でした。

その後二次会へ。

店までの移動中、歩きながら酒が回った勢いでか、あいつが「目の前にいた仏頂面のせいでさっきは最悪だった」と他の同僚に話しているのが聞こえました。

財布から消えた5000円で一体何ができただろう。

そう思いながら駅へ向かう途中にあった適当な居酒屋に入りました。
安く済むといいな。

席は幸いあいつとは離れていました。
とはいえ五人席。

何を喋ろうが筒抜けの居酒屋の1テーブル。

あの狭い空間で「目の前にいた仏頂面が・・・」「目の前にいた仏頂面が・・・」という枕詞で、「さっきまで目の前にいた仏頂面人間」に対する想いをあいつが終始吐露していました。

どの料理もゴムの味がした。

22時でお開き。4000円/人を人数分支払い解散しました。


帰りの満員電車の中、車窓に反射する自分の顔のさらに暗い奥に、小さな神社であろうものが見えました。

満員電車の限られたスペースの中、携帯電話をズボンのポッケから取り出しました。

Amazonアプリを開き、「藁人形五寸釘セット 初心者」というワードを打ち込む。

家に着くと、子供を寝かしつけたと思われる嫁がリビングのソファーでだらしなく座り、缶ビール片手にyoutubeで推しのライブ映像を見ていました。

「どうだった忘年会?」

ネクタイを無造作に外す私に一瞥もくれず尋ねてくる妻。

「ああ、良かったよ。」

寝室の扉をそっと開け、子供たちの寝顔を見る。

二人の相変わらずの寝相の悪さに「ふふ」と笑ってしまいました。

夜12時近くに出た、その日はじめての笑い。

来年もいい一年になるといいな。





解散後の顛末を書き足した。

四日目よりさらに文字数は増え、それと共にコストも増えた。

今回追加した部分を書くことも全く合理的ではないし、全くもって無駄だろう。

はたして今回追加した部分がデジタルマーケティング上で評価される場所があるだろうか?

ましてや合理性の塊、アルゴリズムにとっても必要ないどころか下手したらないほうが良いのではないか。

しかしその一方で感情を動かすのはどちらだろうか?

もう一度最初の文を読み返してほしい。



私の忘年会 初日

昨日、営業部の有志5名と忘年会を開催しました。

一次会の開催費用は5000円/人。18時から開催し20時で一次会終了。

その後二次会へ。22時でお開き。2000円/人を人数分支払い解散しました。





上記の初日の文字数は95文字なのに対し、5日目に関してはおよそ900文字と、量的にはおよそ9倍である。

これを外部に発注、もしくは社内で書かせた場合、合理的に考えて、二日目以降に追加した部分は支払うに値するコストだろうか?上司やクライアントを説得できるだろうか?

SEOメディアを想定してライティングする場合、文字数単価といった考え方からは、特に3−5日目で追加したような部分はまず出てこないし、文字数指定された上で納品されたら、基本的には次回以降の取引はないのではないか。


現実問題としてアルゴリズムが必要とし、評価するのは初日の事実に関する情報だけだろう。

そしてそれは組織も同じではないか。

3−5日に追加した部分を一体どう評価するというのだ。

合理的、正しいものを目指すほど2−5日の情報は不要なのではないか。


しかし、アルゴリズムではなく、人間が読んだ場合はどうだろう。

自分にとっては初日のものよりも、5日目の方がはるかに感じるものが多い。

あなたはどうだろうか?


合理的であろうとするほど、人の感情を動かすのは難しい。

感情を動かすコンテンツに対する合理的な評価なんてできるのか?

しかし感情を動かすコンテンツの評価を合理的に下そうとする。そうせざるを得ない。

ここに大きな矛盾点、ジレンマがある。

このジレンマを組織として乗り越えることができているのが出版社と映画や映像産業をはじめとするエンタメ業界だろう。それ以外の大半の組織にとっては実行は難しいのではないか。特に規模が大きくなればなるほど。

デジタルマーケティングの難しさの一つは、実はこの矛盾した構造にあるのではないか。

という考えを先日忘年会で「感情を動かすコンテンツ作りを仕組み化できないか?」という話になったとかなんとかがきっかけでまとめたものが本稿です。

分野によっては動画メディアファーストとなった今、感情を動かす、という文脈で考えてみるとデジタルマーケティングにおける前提が少し変わってきている部分もあるのではないかと思うのです。

感情を動かす上で、テキストは動画に比べて不利だろう。

感情の動きやすい動画を見た後に、初日のようなコンテンツから影響を受けることがあるのだろうか。

デジタルマーケティングにおけるコンテンツ、その中でも特にSEOライティングの特殊性、それがもたらす呪いと感情を動かすことについての話でした。

だからこそアルゴリズムのためにライティングができる人間が少ないのも純然たる事実だと思う。

本年度も一年ありがとうございました。

来年度も引き続きよろしくお願いします。

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