いじめられた経験から、伝えたいこと

新学期。いじめ、不登校、自殺の話題がテレビやネットで多くなる。

いのちのコンサートで語りきれない、いじめられた体験をここに書いておこうと思う。


【子供の頃のいじめ】

小学校、中学校、何度かいじめられた。

テレビで目にする程ひどいものじゃなく、無視される、悪口やウソのうわさ話、呼び出されてひどいことを言われる、叩かれたのは一回だけかな。それでもとても辛かった。

シンガーという仕事をしているのに、自分の顔写真をなかなか出せなかったのは、その頃の記憶でもあると思う。

私の顔の写真について「気持ち悪くない?」夫に今でも、そう聞くことがある。嫌われるんじゃないか、私って気持ち悪いんじゃないか、そんな思いがふっと浮かんでくることがある。随分、少なくなったけれど。


いじめられていても学校は休まなかった。休むと言うことを思いもしなかった。そういう時代だったんだと思う。

中学生の時、クラス全員に無視をされて、私はここに存在していないかのようで、教室の机に座ったまま一度だけボロボロ泣いた。くやしかった。でも泣いてることがもっと悔しかった。その時のことを今でも鮮明に覚えている。

私はいじめになぜ、耐えられたのか。

小学校や中学校での、いのちのコンサートで話すには、きっとそこが一番、大事なんだろう。


それは母のお陰だ。間違いなく。

母は小さい頃から「お母さんに何でも話してね」と言っていた。

だから私は一日あった出来事を、夕飯を作る母の後ろの床にぺたんと座って、話し続けた。母は毎日、毎日、その長い話を聞き続けてくれた。


小学生の時、最初にいじめられた日、泣くのを我慢して我慢して、家に帰り着くなり、母にしがみついて、わあわあ泣いた。母はミルクの匂いがして、私をぎゅっと抱きしめて話をちゃんと聞いてくれた。

母が言ってくれた言葉は残念ながら覚えていないけれど、いつでも母は私の味方で、素直につらいと泣ける場所があったから、耐えられたんだと思う。


大丈夫、私は大丈夫。

いじめはそのうち終わる。

小さい私はそんな風に確信していた。

そしてその通り、いじめはある時、終わった。


【祖母の存在】

一人暮らしをしていた大学生の頃、いじめはなかったけれど、私は人と馴染めずに孤立していた。

お昼ご飯も、家に帰って一人で食べた。

いつからかはっきり覚えていないのだけど、高校生ぐらいの時からかな、母が私の話に興味を持ってくれなくなって、淋しい思いや反発することも増えていた。

友達もできずひとりぼっちで、淋しくて仕方なかった時、大好きな祖母に電話をかけた。電話をかけるまでは泣いていたけれど、心配をかけたくなくて、笑いながら言った。「ばあちゃん…あっこだよ。元気?」

ただそれだけしか言ってないのに、祖母は

「あっちゃんが誰より頑張ってること、ばあちゃんは知ってるよ」

と言い、私はこらえていた涙が止まらなくなって、ものすごく勇気をもらった。分ってくれる人がいる。私は大丈夫。

短歌を詠んでいた祖母と、強く優しい祖父には、何度も救われてきた。

その話もよく、いのちのコンサートでする。ここにもまたたくさん書きたいと思う。


【大人になってからのいじめ】

働き出してからもいじめにあった。今でいうとパワハラになるのかもしれない。社長の奥さんの標的になってしまって、他の女性社員の態度も変わって行った。

「私が良いというまで帰ってはいけません」と言われ、そのまま何も言わずに帰っていったり、毎日、呼びつけられて細かいことを色々怒られていた。一番つらかったのは、トイレの回数を毎日、数えられていたこと。結局、腎盂腎炎になってしまったのだが、病院に行くので休みたいことを伝えると、ウソかもしれないから診断書をもらってくるように言われたのもつらかった。

なんでだろう?私の何が悪いんだろう。

当時、私は膠原病という持病もあったり、彼氏にも暴力を振るわれていて、精神も肉体もボロボロだったと思う。今、思い返すと自分を責める癖はその頃にひどくなった気がする。

そんな時、今度は父の言葉が救ってくれた。

膠原病というのは当時あまり知られていない病気だったし、身体のだるさなど他人には理解しにくい病気でもあった。職場も彼氏も母にも分ってもらえなかった時、それまで怖くて、遠い存在の父が

「そんなにきついなら、一回仕事やめたらいい。お父さんの扶養に入って、パートでもしながら身体を治したらいい。」

そんなことを言ってくれた。父の優しさ、力強さを初めて感じた瞬間だった。そこから父との関係も少しずつ何年もかけてだけど、良い風に変わっている。

その後、恐怖で朝、身体が震え動けなくなって職場に行くことができなくなり、電話で仕事をやめることを告げた。もちろん、社長の奥さんから罵倒されたけれど、ひたすら謝り続けて辞めることができた。

社会人としては最低かもしれない。

でもあの時、辞める選択をしてなかったら、私はここにいないかもしれない。もうギリギリだったと思う。逃げて良かった。生きてて良かった。さらに数年後、膠原病も治った。今は毎日、たくさん笑って過ごしている。その話もまたの機会に…


【コンサートで伝えたいこと】

いじめられた経験から、子ども達や辛い状況の方に伝えたい!

死んでしまうくらいなら、自分を壊してしまうくらいなら、逃げよう。

逃げてもいいんだよ、と。


一人で頑張らないで、誰かに頼ってみて。迷惑も心配もかけていいんだよ。

私は自分を変わり者だと思っていて、人に理解されないと思っていたけれど、結局いつも誰かに助けてもらっている。

話す人を間違えて、より苦しくなったこともあるけれど…


追いつめられた時「私は生きていてもいいの?」何度もそう思った。

死にたいんじゃない。生きていてもいいか確認したい。

だから、コンサートで言いたい。

生きていていいんだよ、生きていてよ。私はあなたに生きていてほしいよ。


死にたいと思っていた人が、生きたいと思ってくれること、いのちを繋ぐこと、それが私が歌っている1つの目的でもあります。

幼い頃、大切な人が自ら命を絶った経験があるから。


いろんな人がいて、いろんな環境があって、真実や正義も1つじゃなくて、だから正解なんてわからないけれど、私の経験から伝えたい3つのこと

「頼ってみてね」

「逃げてもいいんだよ」

「生きていてね」



『だいじょうぶ だいじょうぶ』いじめられた経験もあり、作った歌です♪


*追記*

いじめる方にもきっと色々苦しさがあったり、助けが必要だったりする場合もあると思う。でもまだそこははっきり発言できないから、私の経験と感じたことだけを書いています。




この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

うたびと染矢敦子。シンガーソングライター。

ありがとうございます♪
6

染矢敦子

いのちのコンサート

小学校や中学校、人権講演会などで行っている「いのちのコンサート」で伝えきれなかった具体的なエピソードを載せています。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。