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退職を決断した日から一年。

あの日からはや一年。私は東京、六本木から場所を変えて今、離島にいる。

仕事に押しつぶされ心も体も限界だった一年前、誰も知り合いのいない島に漂流することを決めた。自分が壊れないために、そして、どんな世界が訪れようとも強く生きていくための選択だった。

正直、来て3ヶ月は慣れない環境に、実家に戻りたいとばかり思っていた。シェアハウスでの生活、役場仕事、イベントや人疲れなど。最初はずっと泣いてた。解放されたくて島に来たのに、全然解放されてない。息苦しささえ覚える。

それでも、少しずつ、少しずつ、自分なりに楽しめるようになった。憧れていた島暮らしが訪れるようになった。

島のあれこれ

春は山菜採り、夏は海で素潜り、秋は栗や椎の実を拾い、柿を干す。冬はみかん狩り。カニももらった。畑も秋から始めた。芋掘りのお手伝いにいってお芋を大量にいただいたり、新米をいただいたり。時にはご飯にご招待いただいたり。

他にも初めてのこともたくさん体験した。
スナックに行った。サメを食べた。牡蠣を自分で殻剥いて食べた。わかめの種付け作業をした。子供たちと遊んだ。外国人とも仲良くなって英語をたくさん話した。人前で踊った。素潜り。モリで魚をついた。しめ縄を作った。みかんジャム作った。地区の集まりに参加した。民謡を踊った。島のスポーツ大会に参加した。サザエごはん。アワビを天ぷらにした。原付に乗った。友達の旅のアテンドをした。盆踊りを踊った。畳作りを教えてもらった。木造の船を漕いだ。窓から裏山へみかんの皮を捨てた。笑

そして特に強烈だったことがある。
それは、好きなことで初めてお金をいただいた経験をさせてもらったことだ。
素潜りにはまって、毎日潜ってたらそれを見ていた近所の方が潜る仕事を依頼してくれた。自分が好きなことが認められて仕事になるというこの体験は初めてで、心から嬉しかった。その時もらったお金は綺麗に封筒に入れて保管してある。思い入れがありすぎて一生使えない気がする。

自分が好きなことをやって、それを人に喜んでもらえるなんて、こんな幸せなことはない。最高だった。こんな仕事をしたいと思った。とにかく強烈な体験だった。

日々、新鮮な体験をたくさんしている。だけど最近これが当たり前に感じるくらい島暮らしに馴染んできている。

元々、自然が大好きで食べることも大好き。体を動かすことが大好き。そんな私にとって島暮らしは最高なのだ。
コンビニもスーパーもないおかげで余計な選択に心を惑わしお金を浪費することもない。(ダイソーは欲しいけど笑)
小さいことに幸せを感じられるようになった。太陽が出てるとか、海がきれいとか、野菜が育ってるとか!

そして何より

「お金がなくてもここなら生きていける」という安心感。

これは何にも代え難い財産だ。どんな世界になっても生きていく力を欲して島暮らしに飛び込んだ経緯もあって、最初は自給自足できる力を身につけなきゃと思っていた。
でも、ここはみんなで補い合って暮らしてる。みんなで地域を作ってるから自分で全部できる必要はない。私が私でいるだけで、支えてくれる人たちがいる。
私が欲しかったもの、求めていたものは、自分で生き抜く力ではなかった。支えてくれる人たちがたくさんいる。その人たちとの関係性こそ大切なのだと気づいた。

これからどうする?

私はまだ何者でもない人だ。
でも、島にいたら何者でもない人も肯定される。「〇地区に住んでる〇〇さん」というだけでみんな受け入れてくれる。

でも、まだ私は自分はこれが得意といえるものを探してるみたいだ。この一年を通して、私なりに地域やこれまで良くしてくれた方々に還元できるものを探したくなった。

それはどんな道の先にあるのだろう。きっとこの答えは日々の暮らしを大切に過ごしていった先に見つかる気がする。

ビシッとバシッと道が決まったらかっこいいし、周りにも理解してもらいやすいしいいなと思う。
でもきっと私はまとまらない人だしすぐやりたくなって起業とかしたくなっちゃいそうだから、そこはぐっと堪えて、とにかくやりたくなったらやり始めて継続すること。それだけを肝に銘じておくことにする。

ここから一年もとても楽しみだ。心の赴くままに全解放で生きていく。


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