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“お茶代”4月課題 by.脱輪氏 「街をテーマに」

私が住む街には大きな湖がある。
それはいつも私の部屋から見えた。
今住んでいる家のリビングからも見えている。

この街で湖は、少し歩けばいつでも触れ合える距離感にある。幼い頃は転勤族の娘でどの街育ちか分からなかった私も、今ではこの地にしっかり根付き、年月を経た事によりこの湖をより身近な存在として感じる事が出来るようになってきた。
街はその大きな湖を「マザーレイク」と称しているが、いつの間にか感覚的に「なるほど」と思えるようにまでなってしまった。

本当に、ビックリするほど身近なのだ。
この街の観光名所からは必ず見えるし、電車に乗っていても見える。大きなショッピングセンターに向かう為のメインストリートを通っていても見えるし、なんならショッピングセンターからも見える。
人気の喫茶店や食事処も、更にはスーパー銭湯も映画館も湖沿いに建っている。
その湖は建物が遮らなければ常に見える。
なんだか月のようだな、と思う。
いつもついてくる、たまに雲で見えない…そんな感じ。

私は中学生になると同時にこの街に来たので経験が無いのだが、この街の小学生は学校で度々湖を扱い、心の底に愛湖心を宿すという。
授業では湖を学び、描き、湖を讃える歌を習い、遠足では湖の博物館に行く。お泊まり学習に至っては船に乗り、湖の上で一夜を過ごす。
その成果の程は経験者でないと分からないが、少なくとも幼き日の思い出に湖が深く根付いていることを想像するのは易しいだろう。

湖はこの街でデートスポットにもなっている。
湖が見える道をドライブしたり、湖を見ながら食事を楽しんだり、湖に掛かる大きな橋を渡ったりする。湖の見える公園では手を繋ぎ歩くカップルを簡単に見つけることが出来る。夜には暗がりのベンチで湖を見ながら身を寄せ合い、口付けを交わすカップルを見かける。その横をバイト帰りに自転車で通り抜けていた自分が懐かしい…いや、あのカップルは自分だったかな。どうだっけ。記憶がぼんやりとしている。

それはさておいて。
夏の湖では大きな花火大会が開催される。
約一万発が打ち上がる花火大会は案の定大人気で、街は毎年お祭り騒ぎ。地元のテレビ局では生放送も行われる。他の街からも多くの人が集まり、いつもは穏やかな空気が流れるこの街も、その夜だけは活気が溢れ、湖沿いの道も、その道に向かう為の道も人でいっぱいになる。
この花火大会の素晴らしいところはその規模だけではない。花火が夜空だけではなく湖にも花開くというところだ。湖に映る大輪の花、様々な色に染まる湖…人々の感動は割り増しである。
新型感染症の影響でここ数年開催が中止となり続けているが、また開催される日が来る事を待ち遠しく思う。

そういえば、この街の湖沿いは公園として整備されているところが殆どで、散歩をしても歩きやすく、景色が綺麗で気分が良いのだが、数カ所整備の甘いところがある。そういうところの湖沿いは砂浜になっていて、まるで海に来たような錯覚に陥る。波が寄せては引く様子を眺められ、ザザーっと心地よい音が耳に届く。靴を脱ぎ足を浸せばひんやりと気持ちが良く、波と砂の感触が楽しい。吹き抜ける風も潮が混じっていない為サラッとしていて快適だ。
それは私の大好きな場所で、若い頃はこっそり秘密基地と称し、心が沈む時の癒しの場にしてきた。
特に景色が好きなのだが、その景色の何が良いかって、海と違い向こう岸がちゃんと見える事だ。
海のあの、果てしなく続く水平線を眺めながら、どこまでも続く水の行く末に思いを馳せる感じも大変好ましいのだが、私はその事にふと怖さを感じる時がある。その果てしなさや永遠に吸い込まれて自分の心が何処かに行ってしまいそうになるからだ。
対し湖は向こう岸が見える。終わりがある事が目に見えて分かる。危ないのであまりオススメはしないが夜に行くのも良くて、夜の湖は向こう岸が街の明かりでキラキラと輝いている。対岸で人が生活しているということが分かる。なんというか、私にはそういう事が安心なのだ。
海と湖…目の前の水の集まりを眺め体感するという共通の癒しがある2つだが、決定的な違いはそこにあるように思う。そしてそのような理由で私は湖の方が好きだ。今でも時々行っては癒される時間を取っている。

…この街に住んでいつの間にか20年。
この文章を書きながら、私もやっと「この街育ち」と言える自信が湧いてきた。
湖が心の拠り所になっていることを自覚出来たし、きっとこの先転居する事があっても湖が見える環境に住まないと落ち着かない気がしてきた。

この街にある大きな湖が好きだから、
大きな湖を愛するこの街が好きだから、
大きな湖があるこの街が好きだから。

…うん、ちゃんと言える。
きっと充分だ。

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