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自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子⑪

この記事は続編です。ここに至る経緯はこちら
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大学生時代編ダイジェスト(1700字)


・ 東日本大震災を経験 ⑥~⑪
・ 順調過ぎると思っていた就職活動 ⑪~

東日本大震災を経て、書籍出版と卒業論文の目途が立ってきた大学三年生の夏。同期の中で就職活動へ向けた動きが目に付くようになっていた。

夏休みはインターンや自己分析、業界研究に割く時間が多くなってくるのだろう。一方僕はインターンには参加せず、研究室とアルバイト先と下宿している友人宅を行き来していた。

就職かぁなんてぼんやり考えていた当時の僕を殴りたい。

当時は研究室を挙げての震災関係の出版プロジェクトと並行だったため、本腰を入れる気にもならなかったのも事実。そして、こんな社会を舐め腐った心持ちで就職活動は上手く行ってしまったのが、運の尽き。

結果からいうと僕は就職活動でしたエントリーは2社だけ。しかも両方内定を貰ってしまった。あれ?こんなもん?と思ってしまった。


そう、幼い頃にも経験した調子に乗って痛い目を見るパターンである。

とはいえ、両方ともその業界では非常に名の知れた会社だった。
1社目は某ハウスメーカー、2社目はざっくりいうとぱちんこ関係の会社だった。

某ハウスメーカーは、有名なところだったということと、震災後でまだ伸び代があると考えたからだ。工場見学へ行き、ぼんやりと働いているイメージが湧いた。ここでやっと僕自身が仕事に何を求めるか分かった。福利厚生や給料ではなく、すごく抽象的で厄介な「やりがい」だ。

ここでいう僕のやりがいとは、誰かを喜ばせること、笑顔にすること。何なら、復興に携われるようなことを仕掛けてみたい。ついでに、僕自身が面白そうという要素があれば完璧だ。

1社目の某ハウスメーカーはもちろん人に感謝される仕事だ。
ここに入社すれば、結果は違ったかもしれない。

しかし、僕はそこへは入社しなかった。

僕はパチンコ関係の東証一部上場の会社へ入社を決めた。
理由はぱちんこが好きだからとかそういう話ではなく、理念の問題だ。
「皆に最高の余暇を」という理念の下、様々な分野に進出していた会社だ。
実際、一般的に余暇と分類されるものは大抵やっていた。漫画の月刊誌を発行したり、アニメ制作、映画、ゲームの制作、スポーツジムの運営、遊技機の企画立案から販売など多岐に渡っていた。

そして、今ある事業の中で学生の僕が一つ思ったことがあった。旅行・行楽の分野が手付かずだったことだ。とにかく大きな会社で、セクションも多く持っていたため、この分野で震災で被害を受けた地域の活性化や手助けができる、使える選択肢が多いことはありがたいと思いその思いの丈をリクルーターへ伝えると、『やろう!うちならきっと出来る!』と頷いてくれた。
そして、『生活に絶対無くてはならないものではないけれど、全ての人が余暇の時間を豊かに過ごせるような世の中になれば、それも復興としての一つの形ではないか?』という後押しで僕はオチてしまった。


実はここに至るまでには、リクルーターに気に入られたであろう話がある。
企業説明会でたまたま入ったブースだったが、面白そうだったので選考のスケジュールを聞き、ウェブで受付をしようと思った。まずは個別の説明会を受けないといけないらしい。しかし、都市伝説だと思っていた学歴フィルターがそこにはあった。ウェブ上で出されているスケジュールはすでに全て埋まってしまっていた。おかしいと思い、某国立大学に通っている友人にエントリーしてみるように頼む。スケジュールはもちろん空きがあった。これが噂の学歴フィルターかと思い、そのまま友人にエントリーをしてもらい、会場を特定。あとは簡単。時間を見計らって乗り込むだけ。単純だが効果は覿面だったようだ。言っておくと僕の出身は一般的にFランと呼ばれている。マンモス校で卒業生も多く、地場では就職が強い大学だった。

これはそんなFラン大学生が破天荒とも思える就職活動を経て、身の丈に合わない大企業に入ってしまった迷走の物語。

つづく

~~~マガジンにまとめてみました~~~
自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子



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