蜂と神さまと音楽

私たちはただ変わらないものが欲しい。でも欲しいというその心がそもそも変わるもの。本当はいつもひとつの響きを聞いていたい。でも聞こえるものが変わらないときでも聞こえ方は移ろっていく。

① ひとつの音が響き続けると耳はやがてそれを見失う。

たとえば主音をひたすら鳴らすとトニカはどんどん霞んでしまう。

② いくつかの音をただ繰り返すと心はそれらをひとつと捉える。

たとえばドレミをただ繰り返すとドレミがひとつに聞こえてしまう。するとそこは①の世界。ひとつをひたすら続けることが不可能なように、ひとつらなりの音の繰り返しもそれほど長くは続かない。

ひとつの要素の継続だけでは感覚の順応によってそれが聞こえなくなる。だから音楽では2つ以上の要素でもって反復を行う。しかし始めは反復であったものがやがてパターン認識によって単なる継続へと変わる。だからもっと大きなスケールでも反復を行う。けれどそれもやがて継続に変わる。だからさらにもっと大きなスケールでも反復を行う...

かくて音楽は不完全。ただひとつの例外を除いて。そこには私たちに常に寄り添う無限の尺度が必要だから。ではその例外とは何か。いつでも私たちのそばにいて、いつでも響いているものは…

物語を書く物語。

私たちを読む私たち。

探すということそのものが、
探していたものだったんだ。

蜂はお花のなかに
お花はお庭のなかに
お庭は土塀のなかに
土塀は町のなかに
町は日本のなかに
日本は世界のなかに
世界は神さまのなかに
そうしてそうして神さまは
小ちゃな蜂のなかに

蜂と神さま(金子みすゞ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?