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「一人はみんなのために」って言葉がキライです

シンデレラASAMIです(^^♪
ついに30代の私のもとにも噂のアレが届きました。
去年からずーっと世間を騒がせ続けている某ウィルスのワクチンの接種券です。

予約開始自体は再来月からなんですけど、「おぉ!もう来たか~」という感じです。

打ちたくない人たち

私の周りではワクチン推進派と否定派が大体3:7くらいの割合でいます。
副反応が若い人ほど出やすいという部分で「打ちたくない」「できれば避けたい」という方が多いです。
なかには職場内で接種を半ば強制的に打つように迫られて退職してしまった方も数人おられます。

私はというと、どうしても逃げられない状況になれば嫌々ながらも打つつもりではいます。
ですが、本音は「打ちたくない」です。

だって、私は自営業者です。
有休もなければ給料もありません。

副反応で寝込もうが仕事に支障が出ようが、何の補償もありません。
つまり、どんなに体調不良になったとしても、自力で何とかせねばならないわけです。

色々ささやかれているワクチンの有害性の真偽は置いておいて、寝込むことができない立場にいるわけでして。

ましてや30代、コロナにかかって尚且つ重症化する確率よりも、ワクチン打って副反応が出る確率の方がはるかに高いという状況。
そんなの「誰が喜んで打ちたいと思うかアホんだら!」ですよ。

……あらま!
私としたことがお口が少々荒くなりましたね。
失礼しましたm(_ _)m

「みんなのために」に感じる違和感

30代の私がこう思うんですもの、もっと若い世代(20代、10代)の子たちなんてもっと不安に思っているんじゃないかと心配になります。
実際、近所の行きつけの美容院オーナーは10代20代の子たちと話すなかで不安の声もよく聞くそうです。

イヤなら打たない、という選択肢も本来ならば尊重されるべきだと思うのですが、どうやら彼らの悩みの根本にあるのが「打たない選択への罪悪感」のようなのです。

某ウィルスが流行し出してからというもの「一人はみんなのために、みんなは一人のために」的なキーワードをよく耳にするようになりましたよね。
最初は自粛を呼びかけるメッセージとして使われてきましたが、近頃はワクチン接種を勧めるためのメッセージとなってきています。

本来は温かみのある、皆で力合わせることの大切さを表している言葉だと思うのですが…
私はワクチン接種の推奨にこの言葉を使うことには、どうも違和感を感じてしまうんです。

「みんなのため」ということは、暗に「自分が嫌でもやるべきだ」という意図があるのではないかと。
遠回しに「自分が嫌だからといってやらないやつは自己中心的な人間だ」と言っているように聞こえるんです。

私がひねくれすぎでしょうか?
何だか罪悪感を刺激して、NOが言えないようにしていると感じてなりません。

私は別にワクチン絶対反対派でもないですし、何かを強制したくてこれを書いているわけではありません。

でも、打ちたくない人の気持ちを社会全体でもっと考えてやることはできないのか?とすごく腹が立ってくるんです。

打つも打たないも個人の自由のはず。
それを間接的にでも尊重されない状況があっていいのか?
正直、この「みんなのために」という言葉、キライです。

誰だって身近な人が接種後に高熱を出して寝込んだり、一日中トイレから出られないほどピーピーになったり、一週間ずっと体調不良になったと聞くと怖くなって当然だと思います。
(これらは全部、私の身近で起きた副反応の症状です。)

それから、ワクチン打った翌日に亡くなった方がいるというの方も私の周りだけでも3人はいますしね。

たとえそれがワクチン接種との因果関係が不明だとしても、十分な不安材料になるでしょう。
それらをふまえて、「怖いから打たない」という選択もあって然るべきです。

世間の目があるから口に出せないだけで、あなたの周りにも打ちたくないと思っている人もたっっくさんいらっしゃるのではないでしょうか?

打つことも間違いではないし、打たないことも間違いではない。
打つなと強制したりすることも違うし、打てと強制することも違う。

私はそう思います。
どういう立場であれ、イヤがる人間に無理強いなど、断じてやめていただきたい。

イヤだけど接種せざるを得ないならば…

でも、もし職業上どうしても接種しなければならず、本心では打ちたくないと思われている方がいらっしゃれば、私から一つご提案したいことがあります。

それは「意識の力」を活用してみるということです。

もっと具体的に言いますと、「ワクチンはとても体に良いものだ」というふうに無理くりにでも思ってみてください。

え?そんなの意味ないよって?

いいえ、そんなことありません。
かな~り意味のあることなんですよ。

あなたはプラシーボ効果というのは聞いたことありますか?
偽の薬であっても、薬だと言って患者さんに服用してもらうと一定の効果がでて症状が改善する現象のことです。

これは心理的な作用によるもの、つまり「思い込み」による効果と言われています。

病は気からとはよく言ったもので、人間の思い込みというのは本当にすごいものなのですよ。
ちなみに私はセラピストとしてたくさんの方々の心身のケアに携わってきましたが、プラシーボ効果はさほど珍しくない現象だと感じています。

でも、思い込みの力はこのような良い方向ばかりに効果を発揮するわけではありません。
プラシーボ効果とは反対のノシーボ効果というものもあるんです。

ノシーボ効果とは、偽の薬を服用してもらう際に薬への不信感や恐怖心が強いと体調不良などの副作用が出てしまう現象のことを言います。
これは偽の薬だけでなく、本来必要な薬であっても「この薬は有害だ」と思い込んでいると、望んでいた効果が出なかったり、逆に副作用が発生しやすくなります。

このことからわかるように、人間の心の力、すなわち意識の力にはすさまじいものがあるわけです。

ですから、接種が決まった方はぜひとも「ワクチンのプラスの情報」に目を向けるようにしてみてほしいです。
ワクチンが安心・安全であると信じて打つ方が副作用も出にくく、心身ともにストレスも少ないはずですから。

私も、もし接種の時が来たら、ワクチンに肯定的な情報だけを取り入れようと思っています。
もうひたすら、ワクチンが素晴らしいものだと信じ込めるくらいにね。
接種へのメリットや安全性が書かれた記事やニュースを読んで、心理的ストレスをなるべく減らす方向で行動します。

そして、接種される際も意識の力を使うつもりです。
ワクチンに光を送り、ワクチンを構成する全粒子が光をまとい邪気が全て浄化されていくイメージをする。
それら光で満たされたワクチンが体の中を輝きを放ちながら入って来る様子を絶えずイメージし続ける。
(光をイメージすることは心身のヒーリング方法の一種です。浄化効果があります。)

そういうふうにして、絶望するでも、投げやりになるでもなく、自分の力を信じて乗り越えたいと思います。

最後に

私たちには"意識"という偉大な力があるわけです。
今がどういう状況であれ、自分自身を無力だと思わないことです。

無力だと思えば、あなたは無力になります。
せっかくの力があるのに、なにも好き好んでネガティブな自己暗示をかける必要はないでしょう?

きっと、この困難も乗り越えられるはず!
大丈夫。私も一緒ですから!

どうか、ワクチンを打ちたい人もそうでない人も、みんなが幸せであるように。

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