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週刊誌と、日本という国の行く末(1)

本日発売の『週刊朝日』と『サンデー毎日』を読みました。

後者には、敬愛する松尾潔さんの記事  『週刊朝日』休刊に捧げる雑誌文化録(前編)、が掲載されています。

松尾さんが今回の記事をお書きになるきっかけは、『日刊ゲンダイ』での連載「松尾潔のメロウな木曜日」。『週刊朝日』への「メロウな挽歌」です。

50年来の読者であることを告白し、一度も執筆のオファーはなかった、とも。そこから『サンデー毎日』(松尾さんは不定期で記事を執筆している)から『週刊朝日』へのインタビュー記事を書きませんかと話があり、今回に至るというわけです。 

『週刊朝日』の編集部を訪れた松尾さんには、安田浩一さんの短期集中連載に関するインタビューもあり、最終号に載るアンケート依頼もあり、50年を経て読者から執筆者へと変わった、と。私はすごい!!かっこいい!!と感じ、思わず引用リツイートでコメントしてしまいました(松尾さんは「いいね」してくださいました)。かっこいいというのは、30年前に安田さんが松尾さんに抱いた印象もそうだったと書き添えて。

安田浩一さんのツイート。2023年5月23日。


今回の『サンデー毎日』の記事に話を戻します。『週刊朝日』と『サンデー毎日』は百年戦争の末、『サンデー毎日』が勝ったのだと松尾さんは書きます。しかし、それは「勝利」と呼べるものではないということも。私はジャンヌ・ダルクを連想しました。映画『裁かるるジャンヌ』をアテネ・フランセで鑑賞したことも。


その中で週刊朝日編集長の渡部薫さんの次のような言葉がありました。

あるいは、こちらはずっと変わらずにいて、どんどん世の中が右傾化していることの象徴かな、とも思います。朝日が紙面で極端にリベラルで左だなんてことは絶対ないと思うんです。誌面上、左翼ともまったく思っていませんし。私自身がそういう思想を持って、強固に何かをやっているのかというと、そんなことも全然ない。むしろ世の中が右傾化していったのだと思います。それがいまは、流行遅れだという捉え方になっているのかも。これはサンデー毎日さんも同じ運命だと思います。

『週刊朝日』2023.6.11日発行 第102巻第24号 通巻5783号より

そうなのか、と読みつつ、世の中が右傾化していったとする部分は違うのではないか?と。一部の政治家が日本会議・統一教会と相互に補完し合うかたちで極右となっているが、有権者の右左の位置は変わらなかった。それが事実のはずです。どこかの大学の論文で読みました。

上のように、国民のせいにして(ご自身もそうなのに)、構造そのものを考えない(あえてなのでしょうか?)ところに、もやもやを覚えるのでした。

本日は重要な判決が相次ぎましたね。同性婚を認めないことは違憲であるとする判決、杉田水脈の敗訴、東京医大の不正入試(女性の学生の点が下げられた件です)に対する賠償金の増額、あとは同意なしの性行為は処罰の対象であるとする刑法改正案の国会審議通過。

社会を変える方法については以前書きました。要約すると、自分を変えて、味方を増やしていく。人は変えようとしない(よろしければ下の文章をお読みください。後半部分にあります)。

https://note.com/cinefil/n/nd6bb153ce7b9

がんばろうと思いました。週刊朝日を復活させる!とか。おもしろそうです。気合いが入りました。

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