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父という存在

わたしは物心ついてから今に至るまで、
自分の父親と、一言も会話したことがない。

両親は離婚しているわけではないし、大学で家を出るまでは家族で一緒に住んでいた。

それでも、頑なにシカトし続け、
家を出てからは実家に帰ることもなくなり、顔を見ることもなくなった。

正直、いま道ですれ違ってもお互いに認識できるのか分からない。それくらい、30年以上も避け続けてきた。


小さい頃を思い返すと、怒鳴り合っている両親ばかり思い出される。

二人ともいつもイライラしていて、私もよく手をあげられた。

子どもにとっては、家の中がこの世界のすべてだ。

私は、自分の身を守るために、全面的に母の味方になった。

「私は母のことが大好き。そんな母が嫌っている父のことは、私も大嫌い。」

そう、小さい身体に深くインプットした。

驚くべきことに、幼い頃心に決めたその図式は、わたしの意識に深く深く刻まれていて、
つい最近まで、わたしの中の常識になっていた。


「わたしは母が好き」
「わたしは父が大嫌い」

……本当に、そうなんだろうか?

父と母という、自分の中で一番向き合いたくない対象と、意を決して心の中で向き合う。
そんな矢先に、こんな疑問がわく。


本当に、わたしは母が「好き」なんだろうか?

本当に、わたしは父が「大嫌い」なんだろうか?

……本当は、わたしは、とんでもない思い違いをしていたんじゃないだろうか??


全身に鳥肌が立った。

物語の「はじまりの設定」が、そもそもおかしかったんじゃないだろうか??


わたしがいつも傷ついていたのは、「母」の言葉だったのでは?

わたしがいつも怯えていたのは、「母」の存在だったのでは?

そう仮定すると、全てのことが、
何十年も苦しんできた、全てのことが、ひとつに繋がった!!


母にあまりにも無防備なあまり、心ない言葉が今も心の奥に突き刺さっていること。

母の価値観に染まりすぎて、どれだけひどい言葉を投げつけられても、ぜんぶ鵜呑みにし、自分を卑下し、責め続けてきたこと。

父にあまりにも憎しみを抱くあまり、冷淡すぎる態度をとり続けてきたこと。

そんな自分の大人気ない態度を、やはり卑下し、責め続けてきたこと。


どれも原因は、幼いわたしが必死に思い込んだ、「設定」にあったんだ。

足元から崩れ落ちる感覚だった。

そうだったのか。

やっと、やっと、やっと。

やっと、気付くことができた。



「心」が号泣していた。

安堵なのか、怒りなのか、悲しみなのか、後悔なのか、やりきれなさなのか、言葉が追いつかない感情が、どっと溢れてきた。


母に対する感情は複雑すぎて、まだ表現するには時間がかかりそうだ。

けれど父に対しては、そもそも「好き」「嫌い」以前に、何も知らないではないか。


その夜パートナーに、「わたし、父親のこと、名前と生年月日しか知らないや」って伝えたら、

驚きを通り越して、思わずふたりで笑ってしまった。

笑ったら、なんだかどうでもよくなった。

好きでも嫌いでも、どっちでもいい。


でも、よく考えたら、

大学の間仕送りを続けてくれたり、海外にしばらく行っている期間に年金を払っていてくれたり、扶養を抜けても父の会社の保険に入れるように手配してくれたり、

お金を出してくれているのは父だったんだよなぁ。

何も言わずに、自分が働いて稼いだお金を、わたしに送ってくれていたんだなぁ。


わたしはずっと「母だけ」に感謝し、実際に働いている父の存在を考えたこともなかった。

「 ありがたいな 」

生まれて初めて、父に対してそう思った。

こんなふうに、父親に温かい感情を抱く日が来るなんて、思ってもみなかった。

今世では難しそうだから、来世のわたしに託しますって本気で思っていた。



安っぽいドラマみたいでバカみたいだなって思って、
何度も何度も迷ったけど、
翌日、思い切って父に手紙を書いた。

何を書いたらいいのか分からないから、
ごめんなさいと、ありがとう。を短い文章にまとめた。

涼しくなってきたから、身体に気をつけて。
そんな言葉で締めくくったけれど、本心だった。


もちろん連絡先も知らないし、実家に送って母に不審がられたくないので、
父親の会社の住所をインターネットで調べて本社宛に送った。

役員をやっているみたいだけど、どの部署にいるのかも分からないし、ちゃんと届くのか分からない。


届かなくてもいい。
返事がなくてもいい。

父の周りに、せめて優しい風が吹けばいい。


さて、あともうひとり。
いまのわたしなら、きちんと向き合えそうだ。

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Photo by 河谷俊輔

@木崎湖 Omachi Nagano 湖畔の静かな朝。あたり一面、柔らかい光に包まれていた。

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