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お腹の弱い人の人徳

(今日は、おトイレネタから始まります。)

先日お腹が痛くてトイレにこもっているときに、パートナーがドアの隙間からお白湯を差し入れしてくれた。
見慣れない場所で手にするカップと、パートナーの変化球な優しさに思わず笑ってしまった。

こんなことを公開すると怒られるかもしれないけれど、普段お腹が弱くてしょっちゅうトイレにこもっているのは彼の方だ。
だから、日々の会話でもウォシュレットにやたらと詳しかったり、自然とトイレネタが多い。

私は恥ずかしがり屋なので、こういう話をあっけらかんと話題にできる人が身近にいると、自分も自然体になれるのでとても助かる。
これまでの人生でも、どんな場所にも不思議と、お腹の弱いことをネタにできる人が一人はいた。
本人たちは大変なんだろうけれど私は会うたびに、ありがたい人徳だなぁと、その恩恵を授かっていた。


高校からの友人もそんな隠れた人徳の持ち主だ。
よくしゃべり、よく笑い、どんな話題でも拾える、肝っ玉かあさんみたいな彼女。
最近は子育てに忙しく疎遠気味だけれど、昔は会うたびに家族のこと、仕事のこと、恋愛のこと、人生のこと、ありとあらゆる話をした。
大事な話の途中であっさりお手洗いに立つのはいつものことだけれど、恋愛トークの延長で下ネタをネタではなく真面目なトピックスとして話せる貴重な存在で、
やはり、人徳だなぁと密かにいつも感心していた。


トイレネタも性のお話も、全ては人の営みの一部で、本当は話しちゃいけない話題なんてないし、恥ずかしいと思う必要はないのに、
なんとなく避けてしまいがちな話題。
自分らしくのびのびと生きるには、恥ずかしいこと、人に話しづらいことが減っていくことも大事な要素だ。
思い切って人に話してみると案外なんてことなくって、恥ずかしさは自分の思い込みだったって気づくことも多い。

だから、そういったみんなの思い込みを(自分をネタにして)笑いとともに溶かし、その突破口を作ってくれる存在は、
ささやかだけれどとても価値があるように感じる。

人の価値って案外、本人にとっては当たり前すぎて気がつけないくらい身近にあるものなのかもしれない。
笑顔がキラキラしてるとか、なんだかやる気が湧いてくるとか、生き物に優しいとか、目には決して見えないけれど、
そうした一人一人の持つ人徳が、きっとこの世界を柔らかくしている。

真っ赤な夕焼けを見てキレイだなってふと立ち止まる時、その人の「 心の中 」にその美しさが存在するから反応するのだという。
つまり、キレイなものを見たから感動するのではなく、「 自分の心がキレイ 」だから同じようにキレイなものを見て感動するそうだ。
だから周りの人を見て、この人のこういうところ良いなぁって思えた時、その良さは自分の中にも存在するということだ。


そんなに恥ずかしがらなくてもいいし、もっとおしゃべりになってもいいし、もっと人懐っこくなってみてもいい。
自分の中にも存在する、相手の「気になる」部分。
自分に無意識にかけてしまったあらゆる制限をひとつひとつ取り払ってみると、もっと自由で解放的な自分と出会える気がする。


そして同時に、自分もきっと誰かの「良いな」の対象になっているかもしれないのだ。
ぐるぐるまわって、めぐって、私たちは、きっと、ひとつの存在。

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Photo @ Azumino, Nagano

安曇野の山麓線の奥にあるGood Old Landというカフェ。滝川クリステルさんに似た素敵な女性(と巷では有名?)が出してくれる、おしるこが美味しい。

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