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ストーリーの構造、ある書籍から

ストーリーの妙、構成について考察します。
‘意外性’と‘リアリズム’の兼ね合いが感情移入を伴わせ、世界観に没入させていく技術、方法論の一つに挙げられます。
方法論の前提にジャンル提示(ホラー、アクション、キャラクター、アニメ、VFX等)がされていれば、受けて側がハナから何が起きても不思議ではないと理解しているので、意外性については、逆にどれだけあり得ないかを楽しめるかがポイントになります。
それでも結局は喜怒哀楽に訴えていく上で、リアリズムの完全無視はあり得ないのです。

この‘意外性’をどのように捉えるかで、作り手の趣向性が見えてきます。千差万別でもありセンスが問われます。
例えば荒唐無稽なアプローチでもリアリズムの描き方でバランスを図ることは可能です。
個人的には「もしかしたらあり得るかもしれないな」とするくらいのアプローチを好む傾向がある理由として、リアリズムへのスムーズな移行を多少意識する点から、やはり感情移入に重きを置いているなと自己解析します。

別の方法論に「現実をフィクション化」するストーリー作りがあります。このタイプは構成とディテールを伝える、ある種の脚色的な力が鍵となります。
ベースは‘現実に起こったこと’をストーリーテリングに昇華させていく技術を要することに変わりはなく、あくまでも‘意外性’と‘リアリズム’のバランスに落とし込めているかが作り手の腕の見せ所と言えるのです。

今回、ストーリーについて紹介したい題材はロシアの文豪、ツルゲーネフの『はつ恋』です。
まずロシア芸術への憧憬と影響という面で、表現のプロフェッショナルの世界で通過せずに事を為している人はいないと断言して良いと思います。例えば、文学はドストエフスキーにトルストイ、チェーホフに始まり、映画はタルコフスキーにソクーロフ、最近ではズビャギンツェフと、共通するのはユーラシアの息づいた世界観の広さや奥行き、深い精神性です。
また舞踏についてもバレエにコンテンポラリーは芸術性、技術と世界トップでしょう。国の支援と国民性としての文化芸術への理解を感じてやまない故に、もしかしたらカリスマへの待望と寛容が場合によっては独裁の登場の隙を与えてしまう事に繋がる因と考えられなくもないとふと過るのです。
私は大学時代、一般教養の選択科目にロシア文学を専攻しました。理由は総じて芸術性の高さに惹かれていたからです。履修単位の論文試験にトルストイの『復活』について、記した事を思い出します。
現存している歴史的芸術作品への尊敬や好意とは別に、それでいて今現在のロシア発の悲惨極まりない現状を到底容認できるものではありません。この歴史の相克だけとは言い難い矛盾を日々目の当たりにして、ゼロサム思考にならないように注意しています。

話しが逸れてしまいましたが、ツルゲーネフの『はつ恋』は‘意外性’と‘リアリズム’のバランスが絶妙なのです。
まとまりがつきませんが、一読をオススメさせていただきストーリー構造の参考にされてみてください。

ツルゲーネフ『はつ恋』
人の営みとは表裏一体の矛盾にあり、
不条理でしかない事を知る、
きっかけの書籍でした。





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