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話するのが苦手で35年間生きてきたわたしが35歳で若干吹っ切れた話し

最近以前より話せるようになったのでは?という実感が湧いているのだけど、35年間も悩んできたのに、「なんでここにきて話すことに対する苦手意識が緩和されてきたのだろう?」と思ったので解明してみる。

1. "伝えたい"という想い

”オンラインでの会話”、また”自分が話の中心になること”がそもそもめちゃくちゃに苦手だった私。先日までしていた転職活動の一貫で、行き詰まった転職活動から打破したくてオンラインコミュニティのお仲間に壁打ちをしていただき、3〜4名の中で自分中心になってお話をする構図を2日間連続で行った。
とにかく苦しい状況を打開したくて、本来苦手なはずの空間を自ら作り上げて自らを放り込んだわけなのだけど、たぶんそのいわば強制的に作り上げた時間おかげもあり、"オンラインでの会話"と"自分中心の会話"に関してはちょっと吹っ切れたというか、若干慣れた感じがする。

また転職活動を続けていくうちに、”面接の場においては話せなければ意味がない”し、”与えられた時間の中でアピールできるかできないかで結果が左右される”。そう、"面接とはアピールの場"なのだ!ということに気づいた。
だから「私話し苦手なので話せません」なんて言ってられない!て強く思ったんだよね。

例えば、営業しにきたのにきちんと話せなければ「あなた何しにきたの?」ということになってしまう。
だからオンラインだと家からだからついだらっとしてしまいがちなんだけど(私だけかな?)、最後の方は”面接官はお客様!”と思って身を引き締めて話すように心がけていた。そうそう、受け答えの態度もきちんとしてね。
「実のある時間にするべく努めるぞ」と考えを改めてからはちゃんと結果がついてきた。だから「伝えよう」という気持ちがまずやっぱり大事だね。
私の場合、話が上手だから口が勝手にしゃべってる、ではなく断然「伝えたい気持ちがあるから気持ちでしゃべってる」感じがする。しっくりくる。

2. 35にもなって話せないとか言ってるのどうなの?

その直後に職業訓練のグループワークがあり、みんなだんまりの中、いの一番に話し始めた私がいるのだけど、「わたしこの中できっと1番年上だしみんな10個くらい若いよな…」と分けられたブレイクアウトルームメンバーを見て瞬時に察したから。
はい、BBAが話しますよーという感じ(笑)。普段自分のことを「オバサン」とめちゃくちゃ意識しているわけではないし、年齢はただの数字だと思っているのでどちらかというとふだんは服も年齢気にせず好きな服を好きなように楽しんでいるタイプ。
しかし気づけばアラフォーにさしかかっているわけで、「話苦手なので話せません!」が通用しない年齢になってきたよなあ…(遠目)を実感したのは本当に大きい。

めちゃくちゃ意識しているわけではないけど、ちょっと次のフェーズに差し掛かってきたのも感じていて、やっぱり年齢も完全には無視できない。
先日お友達の赤ちゃんに会いに行ったのだけど、この世に生まれてたった1年の純粋無垢なキラキラお目目の尊い存在を目の前にしたら私は圧倒的にオバサンだったので、この時初めて少しもモヤる気持ちもなく「おばちゃんだよ〜〜〜!」と口からすんなりと出ていた。

そんな経験をしたこともあって「あー私もう35なんだあ」と現実的に受け入れた感じ。だから、「もう35なんだから、いつまでも話せないとか言ってる自分どうなの?」って。20代の若い頃なら全然言ってて違和感なかったんだけど、気づけば10年間もそれで貫き通してたよ……。
苦手なものは苦手だから仕方ないんだけどね!でもちょっと吹っ切れたら少しラクになれた。
一旦は「35 歳、ありがとう。」という気持ちです。

苦手なことは変わらないし、お話上手になりました!というわけでは全くなく、まだまだ”ハードルが若干下がったよ”というレベル感の話。
話しが苦手ということで苦しい場面がたくさんあるから、これからもっともっとラクになっていきたい。

40代に向けて、自分が話すターンになった時に心臓がバクバクせずに「まあ普通に話せますよ」というレベル感まで、バージョンアップを目指します。

話すことが苦手だからこそ

最近になって気づいたことがあります。
それは、話すことが苦手と感じているからこそ、いろんなことに気がつけたということ。

突然「話す」やり方が会話レベルで分からなくなり、すがる気持ちで本屋に駆け込んだのが20代半ば。
「あー、私ってどうしようもなく話すの苦手だ、本当にどうにかしたい…!!」と思ったのが30歳過ぎ。「上手な人はなんで上手なんだろう?」「どういう風に話しているのだろう?」といちいち気にするようになりました。
「あぁ自分は話すの苦手だから話を早く終わらせたくて雑なものいいになってる。だから余計伝わらないんだ」とか、「あの人意外とこういう細かい部分まで丁寧に説明してるな」とか意識して観察するようになりました。
話をすることに苦手意識を抱いていなかったら、きっとここまで考えたりしなかったんじゃないかと思います。
なので話すことが苦手な自分だからこそ、ニュアンス、一文字の選び方など、人一倍細かいことを気にする。
それは人間関係をスムーズにしてくれたし、気持ちの良いコミュニケーションを取ることに役立った。 
悪いことばかりではなかったなあと感じています。

一文字やほんの少しのニュアンスで意味合いや含みが変わるなんて日本語って本当に繊細で美しい。

その美しい日本語を持って、「伝えたい人にきちんと自分の意思や想いを伝えられる人」になりたい、と思っています。

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