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ミニマルにはたらく、ということ


ニューヨークで生活していると、ミニマリスト、という言葉がそこかしこで聞こえてきます。インテリアショップでも、雑誌の中でも、Instagramのハッシュタグでも。


そもそもミニマリズムは「最小限主義」という意味で、もとは芸術方面から発生したムーブメント。

ミニマル・アートの代表的存在といえば彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957年)や、ドナルド・ジャッド(1928-1994年)らが挙げられるでしょうか。


でも、こうした作品が生まれたのはずいぶん前のこと。


今の時代にいう「ミニマリスト」っていうのは、無駄なものは断捨離し、シンプルな暮らしを好むライフスタイルのこと。まぁその定義はすごく曖昧らしいのですが……。

これは、ジョシュア・フィールズ・ミルバーンとライアン・ニコデマスの二人組が「ザ ミニマリスト」というユニットを組んで2009年あたりから活動をしたことで、アメリカを中心にトレンドになっていったそうです。


ただ物欲が温泉のように湧き出てくる私としては、「ふぅん、まぁそういうスタイルって素敵よね、縁遠いけど」くらいに思っていたのですが……。



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ニューヨーク生活からしばし離れ、10月の頭に日本へ帰ってきました。

3ヶ月間の空白を埋めるように、怒涛の講演会や取材、会食、ありとあらゆる事務手続き……久々にパンパンに詰め込まれた予定に、蛇口を勢いよくひねったように雪崩れ込んでくる業務連絡。

「なんて忙しいんだ!」

そう思いながら、ふと一息ついてSNSをみると、

「平均睡眠時間は3時間ですね」
「とにかくスピード勝負だから」
「みんな実行スピードが遅い、はやくやれ」

私なんて比べものにならないくらい、猛ダッシュし続けている人が、とにかくやれ、進め、走り抜けと若者たちに伝えているのです。なんだこれは、なんなんだこれは。


ニューヨークで平和ボケしてしまったからかもしれないけれども、なんだか私は、途端に怖くなってしまった。私もこの渦の中で叫びながら、メディアを作って、消費されながら、お金を稼ぎ続けていくの? 自分が自発的に働いているのか、同調圧力の中でただただハムスターのように回転しているのか、わからなくなってしまった。


「あなたがもっと有名になるためには…」
「あなたがもっとお金を得るためには…」


東京でメディアの仕事をしていると、たくさんのアドバイスが四方八方から届く。現実世界でも、TwitterのDMでも。InstgramのDMには「このマッチングアプリのPRを」「このコスメのPRを」だなんてDMがわんさか来ている。違う、私じゃない。それは私の仕事じゃない! うるさい、うるさい!と、もう溢れすぎて、狂ってしまいそうになる。この渦の中で、有名に、裕福になっていったとしても、それは幸せなの?


このままじゃ、裕福度と幸福度が比例しない。


そんなタイミングで、私は今月、体調を崩してしまった。突然の鳴り止まない腹痛。痛い、痛い、やばい……。幸いにも実家、大阪での出来事だったので、すぐ母に病院に連れて行ってもらった。私の母は薬剤師で、有事の際には、本当に頼もしい。

どうせ一時的なものだろうと思っていたら、しばらく入院することになった。あぁ、最悪だ。明々後日には、熊本で講演会があるのに。どうにか明後日には退院できないか……熊本に行かなきゃいけない……私の代わりはいないんだ……と頼んだけれども、厳しかった。人生で初めて、講演会をキャンセルした。情けなくて、申し訳なくて、ひとり病院でボロボロ泣いた。原稿の締め切りもあったのに、破りまくった。申し訳なかった。期待されているのに。その仕事は、私にしか出来ないのに。



「なんで、みんなみたいに頑張れないんだろう」

病院で考えることしか出来なくて、最初は自分が頑丈じゃないことを悔やんだ。命に別状はないのだけれども、でも、常に150%で頑張れる身体でもない。もっと頑丈だったら……


でも、違うな、と思った。

150%で頑張れるのは「みんな」じゃない。

世の中にはたくさんの不調を抱えながら今日も頑張っている人がいて、不調じゃなくても、都合とか、関係性とか、いろんなことがあって。みんながみんな150パーセントの力なんて出せない。

じゃあそんな人は、夢を諦めるしかないのか?
課題を解決しないまま終わるのか?

というと、答えは絶対にNOで、50パーセントの力で戦うイノベーターもいてもいいし、それが出来る時代だと思う。



「ミニマリストとしてはたらく」

そんなことばが、ふわりと脳内に現れた。最小限主義者として、しあわせに働く、というワークスタイルだ。


私はそもそも、無駄な作業が大っ嫌いだ。

わざわざコンビニから送らなければならないFAX、朱肉で捺印するためだけにプリントする何かしらの契約書、パスワードだけご丁寧に後送される添付ファイル……

そういうのを挙げ出せばキリがないけれども、そういった作業を極限まで省きたいと常々、身の回りをシンプルにしてきた。


というのも、フリーランスになって、最初の1年、めちゃくちゃ働いた。寝てなかった。忙しかった。でも、そんなに稼いでなかった。

当時私はフリーライターで、あらゆる媒体、あらゆる案件ごとに「初めまして」と仕事を受けていた。

気づけば、打ち合わせ、移動、打ち合わせ、移動、契約書づくりに書類送付、記事の流し込み、会食、そしてまた打ち合わせ……受注しない案件も含めて不規則に動き続けるので、仕事のほとんどが「生産」ではなく「作業」だった。


それはちょっと厳しいぞ、ということで2017年にじぶんのWebメディア、milieuを立ち上げた。

すべての執筆仕事をmilieuに集約することで、それまでバッラバラだったクライアントワークを、ある程度まとめることが出来た。milieuには、そのスタンスを応援したいと、STORES.JPさんがバナーを出稿してくださった。

それ以外のクライアントワークは極限まで減らして、本当にやらせてもらいたいBAKEとコルクだけは、業務委託として週に1度通っていた。その他、講演会が増えた。

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それでも、milieuの記事広告をメインの収入源にするというのは、毎回バズらなきゃいけない、ヒットを出さなきゃいけないという責任があり、気持ちが休まらなかった。

もちろんロジカルに作れば、ある程度のバズを生み出せる。そのあたりのノウハウがわかってしまっただけに、それをやりたくなかった。私の魂が死んでしまう。


そこで2018年から、このnoteを始めた。

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これによって、私の働き方は劇的に変わった。

まず、ニューヨークからのリモートワークが可能になった。そしてnoteの最高なところは、請求書も契約書も一切発生しない。買ってもらえたぶんだけ、運営マージンを差し引いて、次の月末にお金が銀行に入ってる。

しかも、休んでいる間にも、過去の記事が売れている。働かなくとも、昔頑張った私が、いまの私を支えてくれているのだ。続ければ続けるほどにその「支えてくれる過去のわたし」は増えていく。noteがSEO強化されていることもあってか、毎月ありとあらゆる過去記事が売れていく。

これまで「書いて納品して入金」という、非常にシンプルで、労働集約的だった働き方が、大きく変わった。入院中ろくに働けなくとも、ポツポツと売れていることが記録されている、noteのダッシュボードをスマホでボンヤリ見ながら「過去のわたし、ありがとうありがとう……」と横になっていた。



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事務作業ガー…と書いていると「事務作業はアシスタントに頼めば良いのでは?」とも言われるが、私はとにかく計画性がない。スケジューリング能力が欠如している。

無計画人間が人を雇うのは、めちゃくちゃ難しい。すべてのお願いに「なるはや」「今すぐ」「ごめんだけど」の枕詞がついてしまうのだ。

誰かひとりを拘束するにしても、月に20万くらいは固定給が発生する。雇う相手の時間をすべて埋めるほどの事務作業があるか? といえば、ない。テープ起こしや資料づくりはあるが、まぁ大したことないのだ。

誰かを「待たせてる」時間ほど、生産性のないものはない。


そこで、「40人のアシスタントグループ」を作った。

これは革命的だった。副業OKな会社員を中心に、Facebookグループを作り、みんなとNDAを締結した。

「明日までにテープお越しをお願いします!」と頼めば、深夜であろうが、早朝であろうが、誰かしらが引き受けてくれる。相手の時間も拘束しないし、挙手性だからこそ、みんな仕事へのモチベーションも高い。


それでも対応できないのが、新規案件の問い合わせだ。

そこでTwitter、Facebook、Instagram、過去のブログ、すべてのお問い合わせ先からリンクさせて、milieu上に「メディアガイド」なるページを作った。

講演会のギャラや、記事広告の相場、引き受けない案件の種類などを、それはもう事細かに書いてある。これを発表してから、お問い合わせの精度がめちゃくちゃ上がって、ミスマッチな案件があまり来なくなったし、やたらと神経をつかう「お金の相談」も不要になった。


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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。