アート業界からやってきてWEBで広告とコンテンツをつくっていて思うこと​

WEBクリエイションは誰のために?

書いてみるnote。というのも、ちょい真面目な文章ってSNSじゃ書きづらいじゃないですか。(私だけ?)
そうすると、本来あったはずの真面目な自分が薄まってしまうというか、SNSに浸れば浸るほどに、思考が退化してしまう。これぞソーシャル廃人。怖い。

「万人に見られるところ」であれば出来る限りキャッチーに振る舞ってしまうのは、昔からの私の手癖です。ここは、まぁ、小規模な部屋ってことで、思ったことをボコボコ書いてくよ。

こないだ同業の友人と喋ってて「表現性の高いWebって、ユーザーのためじゃなくって、作り手が楽しいから作ってるじゃないのかな?」って意見が出て、一部同意なんだけど、それだけでもないよなぁと思った、そのへんの思考のまとめ。久々に、芸大出身っぽいこと書いてる、ここ。

Web業界で働いてると、「数年前のFlash全盛期の感じ」ってワードをよく耳にするし、使います。「Flash全盛期みたいな感じのかっこいいサイト、やっぱりつくりたいんですよねー」とか「Flash全盛期みたいなサイトはもういらないよー見にくいし」とか、両方。
もちろんご存知の通り、みんな持ってるiOSがFlashを拒否ってるために、ここ数年で「Flashをバリバリ使った表現性の豊かなサイト」はどんどん少なくなって、スマホファースト、コンテンツ優位、フラットデザイン、などが提唱されまくっている流れな訳で。

中学生の頃だったか、マジョリカ・マジョルカの飛び出す絵本のようなFlashサイトに激しく心打たれた自分としては、その衰退は寂しくもある。
でもそれってWebに限らず、どこでも一緒な話だと。建築も、車も、ファッションも、時代を遡る程に装飾的で、作り手の思いというか、美的な執着というか、嗜好品としての表現性が強い。それが商業化に比例してどんどんフラットにシンプルになっていく。
Webはそのスピードがめちゃくちゃ速いんだろうな。ユーザーが爆増するものだから、あっというまに「飾るもの」から「使うもの」になってる今。そこでUIデザイナーの先駆者さんたちが、万人にとって使いやすいインターフェイスを読み出していって、それがどんどん浸透していく。もちろんお金にも直結する部分なので、ますます加速する。

更に、ソーシャルメディアなんてものでユーザーの声まで拾えちゃう訳だから、UIの評判が良しも悪しもすぐにわかる。だからまた改訂する。また声が上がる。やりだすとキリがないから、気にしすぎるとハゲる。胃に穴あく。寝れない。でも、「接客」も「笑顔」も出来ないモニターごしの世界では、UIを磨き上げることや、言葉尻を少しだけ変えることなんかが、相手への「笑顔」でもあるんだよなぁ。きっと。思いやり、とも言える。

で、そんな時流の中で、やっぱりFlash時代に憧れてWeb業界に来た人とか、「あれ?俺らのニーズ、減ってね?」っていう虚無感とか、少しあるのかもしれない。「最近来る仕事、なんだか昔と違うくね?」みたいな。Web業界全体としてはぐんぐん成長してて面白いんだけど、最大公約数を取りすぎて、表現性の側面ではフラット化して、平均化されていく。

もちろん、今も表現性最優先なものも、しっかり生み出されているのですが。。(↓下記サイト、その表現性に感動。。)

経済産業省さんとライゾマさんのプロジェクト
http://openmeti.go.jp/

MountさんやTOKYOさんによるクレ・ド・ポー ボーテのブランドサイト
http://www.cledepeau-beaute.com/jp/rougealevres/

上記と同じ制作会社さんのようですが、サントリーさんの3D on the Rock
http://3drocks.jp/


ただやっぱり、コンテンツ・イズ・キングな時代。オウンドメディア戦国時代に、中身側を充実させたサイトがめちゃくちゃめちゃくちゃ増えた中で、あえての外側で全力勝負したら、、、強いと思う。カッコイイと思う。

私は完全にユーザー的視点の強いWebディレクターだと思うし、得意分野はビジュアル表現より、コンテンツ寄り。それでも、ビジュアル表現をする能力がある人たちが、ユーザー視点になりすぎて、似たようなものを量産するのはなんだかなぁって。ちょっと悲しい。だって、みんな似てくるし、UIが。コンテンツのタイトルも、絵に描いたように、似てくるし。建て売り住宅ばっかり、みたいになっちゃったら、おもんないなぁって。

(脱線するけど、先日Lettersの野間さんとお話したときは、この「UI」の考え方が高次元で、ストン、と落ちてきた。「視線」の流れを最大限に考え尽くしているWebサイトは、どれだけオリジナルなUIであっても、接しやすくて、うつくしい…。。)

美大卒で、アート贔屓な人間なので、アートとWeb表現の違いとか、似てるとことかがすごく気になってしまうのですが。
いつの時代もアートはたくさんのパトロンに支えられて、時に権力や財力を示す象徴として、時代や能力の限界越えを繰り返して来たジャンル。
だから、一時代前のWebは、限りなくその位置に近かったんだろうな。企業はパトロン、PCが絵筆。でも、「みんなが使うもの」としてのWebになってきたときに、またそこからは遠ざかった。「メディアアート」と「Webサイト」の間、縮まったり広がったりしてるけど、いまは広がってる気がする。

コンテンツは超重要。日常に不可欠。でも、コンテンツブームに乗って、技術や表現が前進しにくい世界になっちゃう・・・というのは、もったいないし、長い目線で見るとヤバいかもしれない。美術史でも、「この時代には後世に残る代表的な作品はありません」という時代って、大概美術以外の他の分野が強いんだよね。

広告代理店の方、メーカーの宣伝ご担当者様、聞こえますか。見て・・ますか・・・。Webサイトって創るの結構大変なのですが、でもきっと、CM予算よりはずいぶんエコなんです。そして、表現力はあるのにその力持て余してるクリエイターが今、そこここに潜伏してるはずなのですよ。更に、SNSやニュースアプリから毎日毎日配信されるコンテンツに見慣れたユーザーもきっと、なにか別の刺激を求めてる。

私がこれ書いてどうこうって話じゃないんだけども、でも昨今のコンテンツブームに、嬉しい悲鳴半分、無駄な懸念半分?
Webが大好きだからこそ、Webの作り方が一辺倒になっちゃつまんないなぁと思っちゃって、ワクワクモニターを見つめてたあの頃みたいに、感性としてその先の「あなた」をワクワクさせられたらもっといいのに。という気持ちで、未熟者の書きなぐり。いや、個人的に視野を保っておきたかっただけなのかも知れない・・・・けれども。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。