見出し画像

マスメディアとネット発のプレイヤーが、分断せず、協力しあうために


最近はよく地上波でも「ネット発のインフルエンサー」として輝く人たちが取り上げられています。キラキラして順風満帆に見えます。が、その裏では……


「あちらの伝えたい文脈に勝手に編集された……」
「自分の意見とは全然違う、台本を読まされるだけだった……」
「真面目にやっていることを、ネタとしていじられ続けた……」
「ネットみたら案の定、炎上してた……」


という感じで、人間不信というか、業界不信状態に陥っている人もいたりします。

もちろん素晴らしいテレビ番組もあるので、これは残念な場合の話です。それに、どの業界にも研鑽を積むことは大切なので、テレビ出演の1回目から上手に立ち回れる人なんてそうそういないでしょうし。


それでも今、多くの広告やテレビ番組で、これまではモデルさんやタレントさんがやっていたような枠に、ネット発のインフルエンサーが起用されています。

ただ、ネットの世界とマスメディア。それぞれの業界の成り立ちは全く違う。どちらか一方のルールで仕事を進めてしまうと、小さなズレが亀裂を生んで、大惨事を引き起こす場合もあります。

全てのことは一概には言えないし、個人差が大きいです。そもそも、インフルエンサーという言葉のくくりも雑すぎるのですが、一般認知的に伝わりやすいので便宜上インフルエンサーと使わせてもらいます……。というのを全ての前提として念頭に置いた上でお進みください。


SNS発のインフルエンサーは「部屋」を作っている


みんなが気軽に使っているSNS。

SNSを使う最初の一歩は、オーディションを受けて大きな舞台に飛び込む、というわかりやすい挑戦ではなく、スカウトされて事務所に入ることでもなく、手の中にあるデバイスから、言葉や、写真や、動画を投稿していくささやかな行為。なにも特別なことではありません。


ただ、これほど多くの人が使っている「ふつうのプラットフォーム」で異常に注目を集める人……というのは、そこへの執着心みたいなものが、並外れて高かったりもします。



それって、レゴをひたすら組み立てたり、プリクラ帳に尋常ではないエネルギーを注いでいたり……という執着心と、なにか近いものがあるかもしれません。有名になりたいとか、達成したいものがあるというよりも、ただただ自分の過ごしやすい部屋を、異常な執着心で作っている……という感じ。

もちろん、発信力を身に付ける必要性を感じてTwitterを頑張る人は沢山いますし、人の数だけ、目的は様々です。

ただ、SNSの共通点として言えることは「全ての発言や魅せ方、温度感、写真、動画、衣装、音、尺、情報量などを全部自分でプロデュースすることができる」というところ。


一方、マスメディアの世界には、シナリオを考えている人がいて、衣装を用意する人がいて、編集をする人がいて、スポンサーがいて……それぞれのプロフェッショナルがそれぞれの仕事を担っているため、まったく別の世界です。


それでは実際、ネットで自由に発信していた人が、マスメディアと関わると、どういう事件が起こりやすいのでしょう。



たとえば、私の場合は……

ここから先は

2,400字
この記事のみ ¥ 300

新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。