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誰が時代を作るのか?


スターを作りたい。そんな思いはずっと昔からあった。

時代を代表するような人……時代のニーズに応えるのではなく、時にはその真逆を行き、時には我々の想像をはるかに超える、ヤバいくらいの"スター"を。


なぜなら私は到底、スターになれなかったからだ。
才能がなかった。

絵を描いても中途半端、演技をしても中途半端、音楽を奏でても中途半端だ。


この「諦め」を自覚した10年前、私は「理解し、伝える」という役割を目指すことになるのだけれども……。



諦めた人(私)からは、やはり「フォロワー」程度のものしか生まない。トップを諦めた人間に、トップは語れない。 そんなものはノイズか、あくまでも1広報手段でしかない。

メディアは時代を生むための装置だ。メディアが時代を牽引し、示唆し、盛り上げ、語り、バラバラと存在していたエネルギーを大きなうねりにして、時に流行を生み、街角で熱狂され、後に残っていくものになる。

しかし最近のメディアは時代を「生む」のではなく「伝達」するためのものに成り下がり、そこからスターが生まれにくくなった。

「伝達」くらいは才能がなくとも、誰でもできてしまう。それは無数のニュースサイトで生み出されるプレスリリースの文言を入れ替えただけの記事だったり、クライアントには何も還元されない記事広告だったり。そこから時代は生まれない。そりゃそうだ。後追いでしかない。それも必要、それも役割かもしれないが、そこしかやれなきゃ意味がない。メディアではなく、「フォロワー」だ。

「私はこんな時代を作りたいんです。任せておいてください。次の時代はちゃんと作るので」


今日、宇野さんに問い詰められた時、私はそれくらいの強さで、迷わず、返答することを求められているーーーということはすぐにわかった、わかったけれど、宣言なんて出来るわけない。


だって私は私の精神を保つために「自分の庭」を作りたかった人間だ。

milieuというメディアは、私の庭だ。だから誰にも邪魔させたくないし、私自身も邪魔しちゃいけない。(こんな駄文はあそこには書けない!)

マネタイズ上、ブランディング上、作った理由はいろいろあるが、やっぱり一番は私の精神衛生のための「庭」なのだ。ちぎれそうになってしまう精神を整えるために、milieuという個人メディアを作った。

あそこをみると安心するのだ。夜になって落ち込むと読み返すんだ。可笑しいかもしれない。笑ってくれてもいいけど、本当にお守りみたいな場所なんだよ。どの記事にも、どの言葉の端々にも、めちゃくちゃこだわって、作り上げた、宝物みたいな場所なんだ。


そうやって、私の心を保ちつつ、自由に楽しくやってちゃ駄目なんですか?



milieuを立ち上げる前、フリーライター時代。クライアントにも、媒体にも、読者にも囲まれて、何万という視線の先で球を投げ続ける仕事をしている中、もう無理だと思った。心療カウンセラーの方と相談したときに、milieuを作ろうって決めたんだ。「自分のルールで、健やかに生きられる庭」を作り、保つことの必要性がある。そうしないと私はインターネットの前線から、というか仕事をして生きることから、ドロップアウトしてしまう。




今の時代にちょっとした注目を集めるインフルエンサーというのは、少なからず承認欲求をこじらせている。

もし、中学時代、クラスの中で普通に振る舞えていたならば。もし、いつも隣にいる人と心が通じ合って、話を出来ていたならば。彼ら彼女らは、SNSに自己実現を求めなかっただろう。


人の役にたちたい、人様が喜んでくださるのが嬉しい、私なんかが生きていても良いんだ……という肯定感によって足を進められる。そこでなんとか「仕事」のなりをして「メディア」らしきものを運営している。


幸か不幸か、私は少し器用なばっかりに、自分の「庭」を「公共的な器」もしくは「時代を生み出す源泉」に拡大していかなければいけない、のかもしれない。ニーズがあることは嬉しい。でも、喉が押しつぶされそうに辛い。


「ミレニアルズ世代を代表して」


そんな言葉言いたくない。代表できるような時代じゃない。しかも私には何の才能もない。才能がないからこうやって、ダサい文章を書いてるんじゃないか。才能があったらもっとヤバいものを作ってたよ。


でも自分はここまで頑なに守るのに、他人に対しては無責任だ。私は常に取材対象者に期待している。

エポックメイキングであること。それを私は、スターになるべき人に心から求める。これまでのルールを破って欲しい。これまでの常識から逸脱して欲しい。他人に求めておきながら、お前はどうなんだ? メディアごっこしてんじゃねえよ、という感じである。ダサい。マジで。




















新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。