幸せの連鎖、だなんて馬鹿みたいな思想を掲げる男がいた


2011年9月。私には転機となる1日がありました。

23歳になる直前だった。休学してたから、当時大学5年生。学外でビジネスじみた活動をするのが楽しすぎて、それに比べて大学の授業はつまんなくて、ほとんどサボってましたけれども。


当時の私は生き急いでて、たくさん背伸びして、口は達者で、悪カッコいい大人に近づきたくてテクニックだけをコピペしていた。まぁ中身はまだまだ純粋な子供ゆえに、背伸びして悪いモノに触れるたびに大きなダメージを受けていて。黒く染まって行く自分を見ながら、客観的に面白がったり、呆然としたりしていて。

周囲から「目立って成功してる大学生」と言われていたから、そんなズタボロになっても、世間体と恥ずかしさと悔しさとカスみたいな野心をエネルギー源にして、もっと上に行かなきゃ、私は上に登らなきゃ、あぁでも苦しい苦しい苦しい苦しい笑っちゃうくらい苦しいなあはは、って足掻いてました。今しばらくスパークして、2年後くらいに突如いなくなっちゃっても、美談なんじゃない? って本気で思ってました。


それでも私の笑顔や振る舞いは、得意のプライドと愛嬌によってコーティングされていたので、中にある膿のようなモノは滲み出てないつもりだったんだ。

でも忘れもしない、とある絵描きの男に言われたこと。2012年の9月12日だった。


「めっちゃ黒いオーラ出てる」「なんでそんなに、生き急いでるん?」

私がその男に取材をオファーして、インタビューしていたというのに、いつのまにか話の議題は私の中にある「黒いもの」になってしまった。きっと、そこを乗り越えないと、この人と対峙することは難しい、そう思われたんだろう。


話がまとまらず、取材は2回目に延長。でもその時に、驚くべきことを言われた。「塩谷さんは、優しい」「優しさを持ってるんやから、そっちを隠さずに武器にしいや。そしたら仲間も好いてくれるし、ついて来てくれるから。安心しい、絶対に大丈夫やから」と。彼は私と長時間話すうちに何かに気づいたのかもしれないし、私はその言葉を聞いて、号泣したのを覚えてる。



……って。


周囲から「ずる賢い」とか「立ち回りが上手」とか「創るもののクオリティがまるで大人」とか言われることはあっても「優しい」だなんて、誰にも言われなかった。自分でも、優しいだなんてみじんも思ってもいなかった。思い返せば、3歳くらいのとき母親から「舞は優しい子だ」と言われたっけ。けど、22歳になって。大人になる直前で、歪んだまま、ずる賢さで大きくなっていく自分がいて、その様にはどこかで恐怖を感じてた。その恐怖心を訴えていたのは、実は根底に隠れてた優しさなのかもしれないなぁ。3歳児くらいの、未熟な優しさだ。


それからその人は、長い時間をかけて、大切なことを沢山教えてくれた。

—接する人や組織の歴史に、関心を持つこと。つまり、今現れている表層だけではない、深い部分で物事をちゃんと見ること。

—これまでに、自分を成長させてくれた人への感謝を忘れないこと。それが例え憎み合って別れた恋人でも、ソリが合わずに絶縁したビジネスパートナーであっても、今の自分を形成してくれた大切な人に、感謝のきもちを忘れた瞬間に、驕ってしまうから。


6歳年上の彼にも、真っ暗な時代があった。その暗さたるや私の比ではなかった。だからその言葉は、びっくりする程に響いたんだ。

そして彼は、馬鹿みたいに「幸せの連鎖」を信じていた。人にも、物に対しても、愚直なほどに感謝をしていて、その感謝が循環していくと言っていた。あまりにも丁寧にやるものだから、この人すごい馬鹿なんじゃないのかな? と呆れることもあったんだけど、それでも、彼と対話する人はその言葉に救われて、驚くほどに純化していった。とんでもない真っ白な笑顔を生む、カリスマだった。


たちまち私は彼のファンになって、その言葉を自分の中で何度も何度も反芻した。次第に、周囲の友人からも「柔らかくなったね」「話しかけやすくなった」「人間味が出て来た」そしてついに「優しくなった」と、言ってもらえた。(どれだけ歪んでいたんだろ…。)そんな毎日は、何か大きなものに守られているようで、とてもとても幸せだった。


でも、2013年1月。私は彼と縁を切ってしまうんだけど…平たく言うと、恋人だったのが別れてしまう訳だけど。

そうしてメンターを失った私は、また少し黒い方にいってしまいかけたりもした。東京で一人暮らして、3年目。あまりにも波瀾万丈な生活で、ヤバいくらい盛り上がったり、かと思えば人生リセットしたくなる程に落ち込んだり、そんなことが毎週のように起こって、この街で波風立てずに幸せに生きることは、正直いって全然出来てない。


そんな毎日の中で、当時彼が教えてくれた言葉をいつのまにか、東京用にアレンジしてた。今度はコピペじゃない、私の馬鹿みたいな経験から出て来た言葉だ。きちんと明言化している訳でもないし、全てを素晴らしく出来ていることなんてないんだけれども。23歳、守られていた頃からすると、随分強くなったし、ちゃんと自分の脚で立ててるんじゃないかな。


彼の言う幸せの連鎖だなんて、馬鹿みたいだな、って笑ったこともあったけど。
でもやっぱり、私はきっと死ぬまで彼には感謝し続けるし、かつての私みたいにカッコつけてる馬鹿野郎がいたら、その中に住んでる子どもみたいな優しさに、ちゃんと対峙したい。「お前、実はめちゃくちゃ弱いし、超優しいヤツじゃねーか!」って。


△ ○ □


こんな個人的な、特定の人たちに向けたようなラブレターを、またしてもインターネットに書いてしまったよ…。届くかな、どうかな、わからないけど。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。