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「進化するイベントの姿カタチ」


「イベントのプロ」


ジャンボン・メゾンのブランドの一つ「岩出山家庭ハム」は、先代の父が立ち上げたブランド。岩出山の地名を入れたのは故郷を少しでも知ってもらうためと願いを込めてそう命名した。テーマカラーは「緑」で、父が大好きだだった海外ドラマ「大草原の小さな家」をイメージしたという。

大草原の小さすぎる・・・ブランドとしてスタート


外のイベントが盛んにおこなわれるようになった時、ジャンボン・メゾンはいち早くアウトドアスタイルを取り入れ、本格的な炭火焼で提供するに至った。今から25年前の話である。
地元のサービスエリア、お祭り、仙台の公園でのフェス、区民祭り、道の駅など、休日になると私達は外へ出て、スペアリブやスタメン串を焼いては売っていた。

後にキャッチコピーが商品名呼ばわりする謎の展開となった


ジャンボン・メゾンの商品は、全て工場で火を入れているので軽く温めれば食べられる商品ばかり。わざわざ炭火を用意するほどでもなかった。しかし、炭火こそがジャンボン・メゾンに長蛇の列ができる秘策だった。まさにそれは「狼煙を上げる」合図。みんな、その煙に寄ってくるのだ。
冷凍保存していたイベント用商品を、バックヤードの寸胴の鍋で沸かしている湯で温めておく。本来はこれだけで十分なのだが、私たちはお客さんの目の前で炭火を炊き、そこで仕上げを施すのだ。煙を立て、香ばしい香りを風にのっけて飛ばし、客人の食欲をあおる。
その長蛇の列を次々とさばいていく導線も仕組みも完璧だった。バックヤードの住人がお客さんの「入り」を判断して、商品を次々と温める。それを焼き場の元気玉が派手に焼いて仕上げていく。大汗をかきながら、楽しいトークと共にお客様を楽しませるのだ。焼き場の隣には、容器をもった助手が仕上がった商品を包み、袋に入れお勘定。お勘定係は常に商品の数と、渡す人の顔を一致させておく。商品の組み合わせによっては、オーダーの順番が変動するからだ。スムーズに渡せるよう、私たちはお客様の特徴を一目で目に焼き付ける。服の柄だったり、眼鏡だったり、何人連れだったか、ペットはいたかなど。その人のオーダーした商品の数とその印象を抱き合わせて、けして間違わず渡せるように。その「仕組み」は、どんな場所に行っても行列を美しくさばくことができた。
しかし、気になっていたことが一つ。イベント終了後の「ゴミ」だ。特に多いのが容器として使用した「プラごみ」。表の華やかさとは逆の、裏のゴミ事情は売れば売るほど深刻になっていった。

まるでゴミを量産するイベントのようだった(写真はイメージ)


「イベント黄金時代。伝説の行列裁き」


仙台オクトーバーフェストからお声がかかったのは、そのイベントが開催された翌年からだった。「秋のビール祭り」とサブタイトルを掲げたそのお祭りは、夏の仙台を彩る「七夕」が名残惜しく終わってからの翌月開催だった。仙台の秋に毎年楽しめる祭りを作りたいという主催者側の熱量が伝わってきて、ジャンボン・メゾンは出演を決めた。
ここでは過去最高の伝説級の長蛇の列ができてしまった。さすがの私達でも簡単にはさばくことは難しかった。
平日16時オープンから、オーダーストップの20時半まで、ずっと焼きっぱなしでお客さんが「途切れる」ことが無かった。焼き場は炭火で熱中症寸前、焼きすぎて手が震えるほどだった。それでも約10日から12日間のイベントをこなすことが出来たのは、やはり同線と仕組だと思う。いかに簡単に美しく早く出すかのアイデアをみんなで出し合い、私たちのイベントでの立ち居振る舞いは進化し続けた。
そんな外のイベントに過渡期が訪れる。
仙台を中心に、毎週末どこかでイベントが行われるようになった。当然、お客様は分散する。集客が落ちれば売り上げも並行して下がっていく。そしてそれに加えて大きな問題が急激に襲ってくるようになった。気候変動だ。

「SDGSの時代」


私たちの最高のパフォーマンスの場である、炭火の前は50℃以上に達し、熱中症が相次いで起こるようになる。突然のスコールの時もあった。身の危険を感じるようになってきた頃、とどめを刺されたかのように「コロナ」が世界を襲い始めた。その時点でイベントは100%中止になり、私たちのイベント商品は行き場を失った。翌年のイベントのためにコツコツと作ってはためていた商品は、あっという間に過剰在庫と化した。
私はその時、従業員に給料は保証しながら、2か月の休暇をお願いした。そして一人で静かに考える時間を作った。もしかしたら、こんなに沢山の時間をかけて考えたのは入社以来だったような気がする。何を考えたかというと、今後のイベントの在り方だった。
その頃、私は外イベントと並行して、自分が主催側の立場で企画した「量り売りマルシェ」を毎月開催していた。このイベントは、以前から疑問を持っていたことをカタチにしたものだった。ハムのオーダーカットというスタイル。その切り方と量はお客様が決める。私はオーダーを頂いてから切り始める。そして流通させるためには不可欠のプラスティック包装を無くすために、お客様が容器を持ってきてもらう。何度も繰り返して使える容器なら、このイベントだけでもプラごみはかなり削減されるはずだ。紙ごみも出したくないので、宣伝は全てSNSで行った。容器を忘れた方のために、繰り返し使える容器も買えるよう準備した。
当日、本当にお客さんは容器を持ってくるのか。不安と期待を抱えながら11時のオープンの時間がついに来た。

欲しい量だけを買っていただく
お客様の目の前でハムを切り上げるシズル感


「ジャンボン・メゾンが提案するこれからのイベントへの在り方」


私たちの心配は払拭された。お客さんは次々やってきて、容器も自分で持ってきてくれた。終わってみると、容器持参率は98%。通りすがりに店を覗いた方のみが、容器を準備することができていないという結果となった。
量り売りマルシェには、もう一つの特徴があった。売る側と買う側の距離が近いこと。一緒に運営しているイベントプランナーの渡辺沙友理の言葉を借りて言うと「声が届く距離」がそこにはある。具体的に言うと、規模感だ。これからは小さなコミュニティでお互いに顔を見合わせて、話ができるくらいでいい。それは、東日本大震災で私たちは学んでいるはず。小さなコミュニティが点在することで、全体が出来上がっていくのだ。


来る人に「共感」いただいて「購入」してもらっている



そして、私は一つの決断をした。

今後、外のイベントには出ない。なぜなら「ゴミ」が出るから。ゴミを出さないためにアイデアを出すイベントなら考える。しかし、そんなイベントは存在しなかった。「出来ない」という答えばかりだった。ならば私は出ない。答えはシンプルだった。
そして、withコロナとなった2022年。イベントは劇的に復活をしていった。弊社にも次々とイベントの案内と参加のお願いの電話が来た。私は、今書き綴ったことをそのまま、主催側に伝えて、丁重にお断りした。それが「今」のジャンボン・メゾンであり、これからのジャンボン・メゾンのスタートだと思っている。
 昨年、ジャンボン・メゾンは30周年を迎えた。これからの10年のvisionに、このことを入れている。

ゴミの出ないイベントを推奨する。そのために、必要なら動く、と。

「量り売りマルシェ」も次の進化を遂げている

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