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「旅するハム屋」と「シャルキュティエ」と「量り売りマルシェ」

「余る部位の肉を、何に加工するか」

  豚の「ウデ」という部位は、ほとんどがひき肉として売られる。
ウデは体を支えている部位で、程よく筋肉が発達しアミノ酸も多く旨味があり美味しい。しかし、反対に老廃物、血管やリンパが集中していて、捨てる部分が多く、いわゆる「歩留まり」が悪い。成型にも時間がかかる。私たちは良いところも悪いところもひっくるめて、肉をキロ単位で購入している。なるべく捨てる部分を少なくし、無駄を最低限に抑えるのが職人の包丁さばきと技とみなされる。そして、捨てるにもお金がかかる。
産業廃棄物という位置づけだ。
こうして苦労しながら時間をかけて、必要ではない部分を取り除いたウデは、形がまちまちになり、美しいハムになるには難しくなる。そこで生まれたのが「練り製品」つまり、ソーセージやモルタデッラだ。豚肉をクリーミィになるまで細かく挽き、脂肪を加えてさらに挽く。
この状態を「エマルジョン」=乳化と言い、そこにスパイスやホールペッパー、ピスタチオなどをアクセントとして施すのが定番のスタイルである。

今日もスタッフの腕が鳴る!


「モルタデッラは練り物の代表と言える商品」

山形に、私の大好きなシャルキュティエがいる。佐竹大志さんという名で、お店の名前は「IL COTECHINO イルコテキーノ」ここのシャルキュトリーの盛り合わせが兎にも角にも美しい。皿の半分以上を占めるのが、色々な彩のモルタデッラだ。モルタデッラを薄くスライスすれば、ハムと同じような見立てになる。私はこんなに沢山のモルタデッラは作ったことがないが、いつも彼の好奇心と創作意欲には心が躍る。そんな彼のモルタデッラを眺めて、インスパイアされて作ったのが「炭のモルタデッラ」だ。
シャルキュトリーの盛り合わせを眺めていると、彩の美しさが目に飛び込んでくる。その中でひと際、全体のバランスを保っている「色」がある。
その色は黒だ。
黒のシャルキュトリーの代表はブラッドソーセージ、血のソーセージが一番最初に浮かぶ。しかし、モルタデッラとなると少しニュアンスが違ってくる。そこで使用されているのが「イカ墨」の黒だ。私は黒のシャルキュトリーを作るのに、イカ墨の黒の代替品があるか考えた。
そして思いついたのが「炭」だった。

宮城県の南に七ヶ宿というちいさな町があって、そこで炭を作っているご夫婦がいる。旦那様は炭焼き職人で、奥さんはその炭を使った焼き菓子やパンを作っている。そこの炭を使ったモルタデッラに挑戦したのだ。
きっと昔から、どうしても余ってしまう食材は存在していて、それをどう調理して余すことなく頂けるのか考えてきた人類の歴史上で、モルタデッラは特に芸術的な作品だと感じている。スライスした断面が美しくて、まるで一枚の絵のように見えるのも私は好きだ。スライスした時に美しいと感じられる模様。神秘的でまだ見たことのないシャルキュトリーの断面、有機的で動きのあるそんな断面。
そこで、炭の黒をマーブル模様にしようと決めた。

そしてホントに作ってしまった・・。

「つくる責任」
 
2030年までに解決を目指す”SDGs”。持続可能な開発目標は17の目標から成っている。教育やジェンダー、働き方、環境。途上国の話ではなく、対象は全世界だ。
その中の一つに「つくる責任 つかう責任」。地球環境を壊さない消費と生産のためのあらゆる活動や技術の開発など、という12番目に掲げられた目標がある。
私がハムやソーセージをつくる、シャルキュティエの立場になって気が付いたことがある。それは「食べる」ことから、ごく身近な世界で、持続可能な未来を残そうと無意識に行動していた人がほとんどだったのではということ。豚一頭を余すことなく頂く。そのために「保存」という概念が生まれ、「加工」という技術が普及し始める。生活がどんどん良くなっていくと、人は「好き」なものを「選べる」ようになる。選ぶというのは、わざわざ「嫌い」に手を付けなくても良いということ。すると、人気のないものは余っていく。それをシャルキュトリーの世界で表すと「ウデ」になる。
発がん性物質を含む食品のトップに、ソーセージ、ベーコンの加工肉が示される。この情報が更に拍車をかけて、加工肉のイメージを悪くしていった。そんな情報化社会の渦中の中で、私は二代目として就任。課せられた課題は山ほどあった。
一緒くたにするには、あまりにも乱暴な情報。大手企業が大量生産するウインナーと、私たちが作る手作りウインナーでは、中身に雲泥の差がある。しかも「練ってしまえばわからなくなる」という利点を、大手さんは最大限に生かし、私たちは真面目に処理をして作る。出来上がったウインナーの姿かたちは、本物とフェイクの差が出にくい。こうして同じような形のウインナーが店頭に並んだ時に「安い方」が選ばれていく。すると、売れ筋に合わせてどんどん値段を下げざるを得ない状況になっていく。
なぜなら、売れなくなってしまうから。
こうして、ソーセージの価値は下がる一方だった。

下げるわけにはいかないのだ!


「父とは違う道、それが”旅するハム屋”というスタイル」

しかし一方で、シャルキュトリーが支持される店がある。それは小さな専門店だった。
ジャンボン・メゾンの立ち位置は「専門店で作られたシャルキュトリー」ではなく、「工場で作られた加工肉」というイメージが定着していた。
父は職人でありたかった。作るのは得意でも、売るのは外部に頼む。という道を選んだのだ。
ジャンボン・メゾンを継いだ時、「岩出山家庭ハム」ブランドを守ること、継続していくことが仕事の全てだと思っていたが、私と父のやりたいことが違っていいことに徐々に気が付いていく。そして、人気のない部位からできる商品も、添加物まみれとイメージが悪くなってしまった商品も、ブランドコンセプトを変えて新しいイメージで見られるようになれば、きっと世の中から見られていた悪い加工肉のイメージから脱却できるのではないか、と。そして、専門店というリスクを背負わずして、自由にどこにでも動ける「仮想店舗」をスタイルとした「アトリエ・ドゥ・ジャンボンメゾン」ブランドを立ち上げた。

ブランドイメージは某アニメ映画の世界観だった


専門店のシャルキュトリーでもなく、工場で作った加工肉でもなく、新作が生まれたらその都度発表する、より自由度の高い「旅するハム屋」が確立していった。
 その代表たる「仮想店舗」が、量り売りマルシェの位置づけになる。


シャルキュティエが、昔から当たり前に抱いていた「無駄を無くす」または「無駄なく作る」という信念。便利な世の中が作られていくフェイク商品が出回り、それこそが本物と勘違いされるくらいそれは進化していった。
 しかし、震災、コロナ、気候変動を経て「もしかして、一周回って、原点に戻っているのでないか?」というぼんやりした残像のようなものを私は今追いかけている。びっくりするような新しいことをゼロから生み出すのではなく、過去の、それも太古の昔くらいの記憶を呼び覚ますような、懐かしい感覚を探っている。
 「旅するハム屋」と「シャルキュティエ」と「量り売りマルシェ」この3つのキーワードを鞄に入れ、旅をしているのかもしれない。
 

その物語は今後も続く

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