もしも聖書が神の言葉であったら-2

【#もしも聖書が神の言葉であったら-2】シリーズ

さて前置きはこれくらいにして。

聖書は確かに編さんされている。
けれど、編さんされているということと、書き換えられているということは異なる。

現在の形の聖書とは、いわゆる旧約聖書(ヘブライ語聖書)と新約聖書(ギリシャ語聖書)を指す。

旧約聖書とは天地創造~アダム~イエスの誕生前までの歴史が書かれている。
新約聖書とはイエスの救世主メシアとしての家系の歴史と受胎~イエスの誕生~救世主メシアとしての活動~イエスの死後に活動した弟子達の記録~その後の人類と地球への預言が書かれている。

聖書を一度でも初めから最後まで読んだことのある人間であれば、長い歴史書としての聖書の中に、一本の筋の通ったテーマを見出すことが出来るはずだ。

そのテーマはいわゆる「失楽園から復楽園まで」と言える。

矛盾点が無いかどうか調べれば調べるほどに、完璧にそのテーマに沿って書かれ、多角的に情報が補完されていることを知るだろう。

頭の良いある人は、わたしにこう感想を話してくれたことがあった。
「かなり頭の良い人が書いたものだよね」と。

その点をわたしの視点で言うなら、「神業でしょ?」だ(笑)

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