僕の学校の異端先生 口裂け女⑥【最終章】

終章 金城彩音

 口裂け女をぶっ飛ばした後は、さっさと帰ろうと思っていた。だが、襲われていたのが知り合いだったのがマズかった。隣のクラスの山田は、いったいこんな時間まで何をやっていたのか。いい子はお家に帰る時間だろうに。ぐすぐすと泣きつかれては、ほっといて帰るわけにもいかない。家に帰り着くまでの間に、別の妖怪に襲われても面倒だ。
 小さくため息をついて、へたりこむ山田の隣にかがむ。
「山田って家どこだっけ。送ってくよ」
「うっ、うっ……」
 涙をぽろぽろこぼして、山田はしゃくりあげる。
 こういうの苦手なんだけどなあ。まあ、無理もないか。死ぬ一歩手前だったわけだし。
 どうしたものかと考えあぐねていると、山田は咽び泣きながら、ゆっくり手を上げて、路地の向こうを指差した。しばらくはこのやり方で道を聞くしかなさそうだ。立ち上がって、山田に手を伸ばす。
「じゃあ行くか。いつまでもここにいたってしょうがないからな」
 泣きながら手を握ってくる力も弱々しい。ぎゅっとその手を握り返し、引っ張って山田を立たせる。背中をぽんっと叩くと、何とかよろめきながらも一歩足を踏み出した。
 生まれたての子鹿のような様子が、だんだんかわいそうに思えてくる。
「大丈夫だよ。また何かに襲われても、先生がぶっ飛ばすから」
「うっ、うっ……」
 山田は頷きながらも、やはり咽び泣きは止まなかった。すぐに泣き止めというのも難しい話だろう。せめて落ち着くようにと背中をさする。
「怖かったよな。もう大丈夫だからな」

 何とか山田を家まで送り届けた後、ようやく家に帰ることにした。近辺からも妖怪の気配は感じられない。
 時刻はとっくに真夜中を過ぎている。手を組んで上に伸ばすと、肩からパキパキと音がした。小さくため息をつく。こんなところで年齢を感じたくない。
 家までの道を早足で歩いていると、道路に誰かが倒れているのが見えた。
「ん……? あれは……」
 もう今日はこのまま帰りたいんだけど、と思いつつも、無視するわけにもいかず、近寄ってみる。
 倒れていたのは、さっきの口裂け女だった。殴り飛ばされたまま気を失って伸びている。
 珍しいこともあるものだ。たいていの妖怪は、あれで霧散する。
「おーい、大丈夫ー?」
 近寄ってかがみこみ、ぺしぺしと肩を叩いてみるが、反応はない。
「んー……」
 少し考えて、魔法少女の姿に変身する。
 指先にほんの少しだけ魔法を込めて、デコピンしてみた。
「ぎゃんっ」
 口裂け女は、悲鳴をあげて飛び起きた。狙い通りだ。
「あ、起きた」
「あ、えっ、えっ、えっ」
 戸惑ってきょろきょろと辺りを見回す様に、思わず笑いが溢れてしまう。
「ねえ、大丈夫?」
 ようやく目が覚めた口裂け女の顔は、恐怖に引き攣っていた。ひどい悪夢を見たのか、何か怖いものでも見たのか。
 口をぱくぱくさせるだけで、その口からは一向に言葉が出てこない。山田の時よりもさらに難解だ。
 私はにっこりと笑ってみせた。どうして口裂け女が霧散しないのか。その謎には少し、いやかなり、興味がある。
「……とりあえず、うち来る?」
「え?」
 唐突な誘いに、口裂け女はまだついてこれていないらしい。今がチャンスだ。早く早く、と急かし立てる。
「早く立って。行くよ」
口裂け女の手を掴んで立たせると、女は焦ったように呟いた。
「あ……」
「何?」
「手……」
 見れば、煤のようなもので手が黒く汚れていた。いつの間にこんな汚れがついたのだろう。気づかなかった。
「後で洗えばいーじゃん。ほら、早く」
 口裂け女は一瞬、面食らったように目を見開いて、こくりと頷いた。
 それっきり、家に着くまで口裂け女は黙ったままだったし、握られた手を振り解くこともなかった。

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