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知らない道

生に近づくたび、あのときのあの選択は間違っていなかった、と思えなくなってきている。

考えるだけでお腹の奥がぎゅうっと絞められる。よほど、自分のなかで禁止思考なのだろう。

生きようとすればするほど、あのとき「選択したこと」が、揺らいでしまう。尊敬する先生や友だちに会えたんだ、と選択が正しかったことを肯定するように考える。しかし考えれば考えるほど、それは自分を正当化したいだけの考えに過ぎないんじゃないかと思ってしまう。

あのとき、中高一貫の学校から抜けて新しい高校に行っていなければ、浪人生にならずに済んで、病気にもならなかったかもしれない。と選ばなかった選択のほうを想像しては、色々考えてしまう。

一生ものの病気と引き換えに高校で得たものは、本当に大切にしたいものなのだろうか。

わたしが忘れてしまっているたくさんの思い出があるかもしれない。海水魚を育てる(わたしはエサしかやっていなかったが)係を3年間つとめたこと、体育祭の巨大なパネルをつくったこと、鴨川デルタで花火をしたこと。

あった。

思っていたより思い出があった。でも思い出は思い出であり、今、大切にしたいものとはすこし違う。

違う高校へ行くと決心して書類を提出したあのとき、担任の先生は泣いていた。理由は今でもわからないが、一瞬提出をやめようかと思ったことは覚えている。でもこれも思い出のひとつだ。

なにが正解で、なにが不正解なんて、はなからないのかもしれないし、こんなことで悩んでいることがお門違いなのかもしれない。

もう終わっていることだから、間違ってなかったようにしていく、ということはできない。正しかったか、間違っていたかのどちらかでしかない。それとも、これから変えられるのだろうか。

中学生の頃の担任の先生に会いに行ってみようかな。

 わたしもそろそろ弱い自分と決別したい。

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橘トマト

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