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とにかく安い!ことの弊害

越境大好き花岡です。
ただ中々に海外へは足が向かないドメスティックなところはなぜでしょう。

今日は木下斉さんのnote引用から。

要は
「商品の値段を変えない=需要や供給変動に対する調整機能が働かない」
ということが如実に現れた、と。
これは札幌・大通公園の名物「とうきびワゴン」の話題ですが、数日前に見たyahooニュースの引用も根っこは同じでしょうか。

これは残り50日に近づく地域最大の観光行事「相馬野馬追」を抱える南相馬でも同じことで。

そう、ズバリ!
「安い=良いこと」を疑う
ということに尽きるでしょう。

大迫力で「一生に一度は見たい系」とTwitterで自虐的に発信する相馬野馬追ですが、地元の方から

なんで日頃散歩してる場所(=雲雀ヶ原祭場地)に入るのに金払わなきゃならないんだ。

え?桟敷席ってパイプ椅子なのにこんな金額とるの?恥ずかしいよ

といった声を聞くことがあります。
なんかそういった感覚になることは想像に難くありません。
根底には「いやいや、いつもはホントのんびりした広場なのに、何で遠路はるばる来てくれるお客様から大金を取ろうとするのよ」とか、「今まで¥3,000だったのに¥4,000に値上げなんてしたら”金に汚い”なんて思われてしまう」とかの感情があるんだと推察します。

阿波踊りの記事にも「誰が買うんだ」「一言でいっても法外な金額。誰が買うのかなと。」といった批判的な言葉が並んでいますが、これらは基本的に「地元の人に聞いてみたら、、、」という部分。

地元の人だけをターゲットにしているのなら分かりますが、そもそも観光誘客を謳い、大金をかけてPRをしている時点で、ターゲットである市外・県外の人からすれば「一種の興行」です。
伝統行事だったり文化であったりというのは確かに行事の要素の大部分を占めるんでしょうが、そこは関係者が一致団結して守るものを守っていけば良い話で。

(ストレートな表現をすれば)「行事を続けるためには金が必要」

と考えている行事の主催者からすれば、しっかりと興行としての側面を成功させなければ、行事自体を継続することができなくなる、という危機感の表れなんでしょう。
問題は、地元の方々による(善意の)「そんなに”金””金”言わなくても…」という言葉ばかりがフィーチャーされてしまうことで、

商品や興行の値段が上げられない
→需要はあっても収益は上がらない
 →むしろ経費が嵩み収益は減る
  →黒字ならともかく元々赤字の興行が大赤字になり続けれなくなる
という悲しい結末に向かうことだと思います。

日本の観光業やその代表格である阿波踊りがどう進むか分かりませんが、足元の野馬追については、「誰が買うのか」は地元が決めることじゃない、コストが嵩んでいても需要があるならしっかり価格転嫁して、継続性を担保することが優先事項だろうと考えています。
(「地元住民あっての伝統行事」というリスペクトから、”地元価格”的なものを設けることはアリだとは思いますが)

※個人的には、中学の同級生である榎並大二郎アナウンサーがバランス感覚の取れたコメントをしてくれていることに安心。。

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