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伝統行事のファンコミュニケーション

時は令和。
マーケティング1.0と呼ばれる大量生産、大量消費の時代は遥か昔。

マーケティングって今3.0?4.0?
そんなのも分からなくなるくらい「物・サービスを売る」「想いを相手に届ける」ことが難しくなっているなぁと感じます。

観光も同じ。
「ほら、良いものあるよ。好きでしょ?こういうの。」
みたいな一方通行、押しつけの観光施策は見向きもされず、莫大な広告費が無駄になるなんてこともザラにありそうです。
炎上とかも怖いしね。

そんな中で、相馬野馬追などという、古くて「変わらないことが価値」と言っているような伝統行事が求心力というか需要というか、人から求められ続け、思い起こされ続けるためにはどうしたら良いのか、を日々考えています。

「伝統行事の衰退」について、よく議論に挙がることとして「参加者が少なくなっている」とか「地域と参加者との想いがズレて」とか、それっぽく聞こえることは多いですが、僕自身はそれが根本原因であるとは思っていません。※重要はファクターだとは思いますが。

唐突ですが、
小説やファンタジーの中で、「神様は人から忘れられたら終わり」とか「信心がなくなってくると力を失う」とかの描写がありますが、あれば一つの真実だと思ってます。

逆に言えば、「人の想いが対象に向くことで、その対象は輝くし力を持つ」ってヤツです。
※余談ですが、個人的に好きなのはRPG「大神」の最終戦シーンって最高ですよね


さて、話を元に戻して、観光行事や伝統行事だって同じことなんじゃないかと。
「元々何を求められていたのか」
「今でもその形が求められているのか」
「求められていないとしたら何が求められているのか」
という問いに向き合わないと、一方通行コミュニケーションのまま、噛み合わなければすぐ衰退の一途へ、ということになるのだと。

伝統行事と神様を結びつける強引なレトリックには無理がありますが、極論伝統行事だろうが興行だろうが、人の期待に応えられるかどうか、は持続可能性を測る最も大きい要素だということです。

そんな中で、相馬野馬追公式Twitterとして初めてスペース(音声のみのライブ配信:場合によっては主催者以外もスピーカーになれる)で、「なんでも質問に答える企画」を開催しました。

直前のトラブルによって録音できず、アーカイブに残せないという大ポカをやらかしましたが、無事質問受け付けっぱなしの喋りっぱなしという1時間強を終えることができました。
聞いてくれていたリスナーは延べ400人強。
Twitterフォロワーである20000人弱からすれば少ないかもしれませんが、、初めての試みにも関わらず多くの質問が寄せられて、回答に対して再質問があったり、という密なコミュニケーションが取れたんじゃないかと思っています。

優しい世界(Twitterのくせに)

主催団体として「このくらいは知っているだろう」ということを初心者は知らなかったり、はたまた「え、そんなことまで考えてんの?」というような玄人質問が飛んできたり、コミュニケーションの中身には濃淡偏りがありましたが、「HPに書いてあるデショ!」では済まない興行主催者側としての心構えみたいなものを感じさせられる良い機会でした。

正直、馬事伝統行事については、特に今年、社会の目が厳しくなっているので、発信内容にも気をつけなければいけないですが、「我、国指定重要無形民俗文化財ぞ!下がれ下がれ!」みたいな態度ではなく(そんなことしてませんが)
「敷居の低い、気軽なコミュニケーションが取れる伝統行事」としてセコセコとファン作りに励んでみようと思います。

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