それぞれの3.11

我が家では、3月と9月に防災用品や非常食のチェック・見直しをおこなっています。
特に「この日!」って決めてる訳ではないですが、9月は防災の日もあるし、3月は3.11もあるしなぁってくらいの感覚で。

多くの人が3.11についてSNSやメディアに発信されていますね。
この日が平日だと仕事中に14:46を否応なく意識せざるを得ないので、1日内心ザワついたままですが、個人的に今年の3月11日はとても静かに過ぎました。
当該時刻は、娘の寝かしつけを終えてボーッとしてました。


東日本大震災については、ここ数年は「風化」と言われることも若干減ってきたように思います。(震災から10年!は結構大々的に報道されたけど)

「風化させない!」「忘れない!」ということはとても大事だと思う一方、少しずつ
「忘れたいと思う人にはそろそろ忘れさせてあげても良いんじゃない?」
とも思うようになってきました。

年月は、人間の救いである。忘却は、人間の救いである。

太宰治「御伽草子」

人間にはね、忘れないと生きていけないこともあるんだ。私達には気が遠くなるほどの時間がある。だから時間に任せて傷を癒すこともできるけれど、人間にはそれを待つ時間がほんの少ししか与えられていない。だから忘却は人間に与えられた、最大の自己防衛手段なんだよ。

高里椎奈「黄色い目をした猫の幸せ(薬屋探偵妖綺談)」

偉い人や有名人の言葉を借りて「どうです?正しいでしょう?」というのは好きではありませんが、この「忘却は救い」「忘却は自己防衛手段」という考え方は、身に覚えもありますし、なんかこう…心にスッと入ってくる考え方です。


もちろん、被災地としての「3.11」は未だ継続中です。
「もはや3.11後ではない」と言えるにはまだまだ程遠いことは間違いないでしょう。
ただ、地域がうけた被害やその復旧の話と、個人の心情は別個の話です。
まちなかで会えば笑い合ってくだらない話をする地域の方々であっても、その心の内を100%理解できる事なんてないと思ってます。

であるからこそ
「ほら、3月11日だよ!風化させないように一杯発信もしなきゃね!」「今もまだ復旧・復興の途上だよ!みんな知ってよ!!」と使命感に取り憑かれたように発信する各種媒体(特に特定のものをイメージしている訳ではありませんが)を見ると、「発信すればいいってもんでもないのかもしれないな…」という気持ちになったりします。


※3.11については、個人的にも色々な想いを持ってはいますが、不思議とあまり「文字にしたい!発信したい!」という気持ちにはなりません。
今なお災害派遣の身としては、色々と整理すべきなのかもしれませんし、これからの南相馬市がどうしたら良くなるのか、を考えることには全力を投じたいと思っていますが、こと2011年3月11日にこの場所で起きた出来事については、どこまでいっても自分は部外者なんだ、ということがあるからかもしれません。

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