顔剥ぎ狼

(中川)
裏路地の闇だまりから現れたその化け物は、顔は人間、体は狼、まるで獅子女・スフーヒンクスを思わせるような姿をしていた。
顔に掛かった長い黒髪の隙間からは、もの悲しそうな目がこちらをじっと見ている。
見覚えのあるその顔に私はぎょっとして、まるで鮒のように口を開けたまま立ち尽くすしかなかった。
化け物は私に歩み寄ると、聞き覚えのある女の声で呪いの言葉を囁いた。

喫茶店にて

中川「…なんですかこれは」
トシ江「母の遺作です」
中川「いや、あの…、トシ江さんでしたね」
トシ江「はい」
中川「困ったな…。今の華やかな時代に陰鬱な話はそぐわない。先生にはそう伝えていたんですが…」
トシ江「…」
中川「あ。いや…、先生は、本当に残念でしたね。こちらも締め切りがあるもんですから、つい…。すみません」
トシ江「いえ…」
中川「しかし、亡くなられたなんて…しばらく連絡が取れないと思ったら…事故か何かですか?」
トシ江「…あれは、月が高くのぼる夜のことでした。庭から不気味な唸り声が聞こえてきたんです。犬の遠吠えのような、木枯らしのような…。野良犬でも迷い込んだのかと思って覗いてみると、母がうつ伏せで倒れていました」
中川「え…!?」
トシ江「あたりに血が落ちていることに気が付いた私は、急いで駆け寄りましたが…、母の顔を見て悲鳴をあげました。…顔が…母の顔の皮が…まるでお面を取ったみたいに綺麗に無くなっていたんです」
中川「顔が…ない?」
トシ江「むき出しになった顔の筋肉、飛び出た眼球、綺麗に並んだ白い歯…あの時の母の顔を思い出すと震えが止まりません」
中川「ど、どうしてそんなことに…」
トシ江「…自殺だそうです。手に剃刀を持っていましたから…」
中川「自殺、ですか…」
トシ江「母は…ここ数日ずっと部屋に篭って執筆していました。きっと心労が祟って…」
中川「それは…お気の毒でした」
トシ江「でも…何故か剥ぎ取った顔が見つかっていないんです」
中川「え!?…それって事件なんじゃ」
トシ江「警察の方は野犬かカラスが持ち去ったのではないかとおっしゃっていましたが…」
中川「なんとも気味が悪…失礼」
トシ江「いえ…。母は死の間際…力を振り絞るように私に言いました。「顔剥ぎ狼」と…」
中川「顔剥ぎ狼…」
トシ江「それが、この新作のタイトルだったことに気が付いたんです。母の書斎に原稿が散らばっていました」
中川「そうだったんですか…」
トシ江「中川さん、どうか…母の最後の作品を出版してはいただけないでしょうか?母はきっとそのことが心残りだったに違いありません。私は母の生きた証を残してあげたいんです」
中川「…わかりました。編集長に相談してみましょう」
トシ江「よろしくお願いします」
中川「…ひとつだけ、条件があります」
トシ江「え?」

出版社内

中川「どうにか出版できませんか、編集長」
編集長「「顔剥ぎ狼」ねぇ…。パッとしない小説家が書いた本なんて売れるかね?」
中川「以前月刊ベネリスに掲載していた「鬼盗賊」や「見せ掛け幽霊」といった怪奇小説はそこそこ反響ありましたよ」
編集長「そこそこ、ねぇ…。こんな時代遅れな怪談より、彼女が自分で顔を剥いで死んだことを記事にした方が面白いんじゃないか?」
中川「え?」
編集長「いろいろと脚色してさ。例えば、老いていく自分の顔を見るのが嫌になったとか、誰かと密通してたとか。今は業界人の不祥事だの色恋沙汰を書いた方が売れるんだよ」
中川「いや、しかし…」
編集長「破廉恥で醜聞的な記事に、この小説を狂った女流作家最後の作品として月刊ベネリスに掲載すれば…結構売れるかもしれんぞ」
中川「…名誉毀損で訴えられるかもしれませんよ」
編集長「それがどうした。こんなことで躊躇してたらこの仕事はできんぞ。そしたらお前、困るんじゃないか?」
中川「…」

トシ江宅

トシ江「恋人が5人に…自己愛性人格障害…?」
中川「すみません、トシ江さん。私の力が足りないばかりに…」
トシ江「…母は家庭を顧みず創作に明け暮れてはいましたが、不埒なことをするような人ではありませんでした」
中川「こうするしか出版する方法はないんです。わかってください」
トシ江「母の名誉のためにも、こんな記事を発表するのは許可できません」
中川「あ、そう。…私はてっきり、親子揃って身持ちの悪いものだと思っていたけど?君が出版と引き換えに簡単に股を開くもんだから」
トシ江「…!」
中川「はぁ。載せてやるんだから感謝してほしいくらいだよ。私がどれだけ編集長に頭を下げたか」
トシ江「ひどい。あなたがそんな人だったなんて…」
中川「ちょっと寝たくらいで私の何が分かるんだ?いい気になるなよ。君が何と言おうとこの記事は発表するからな」
トシ江「ひどい…中川さん…、きっと…、あなたの元にも「顔剥ぎ狼」がやって来ますよ」
中川「顔剥ぎ狼が?何を馬鹿な…」
トシ江「あれは本当の話なんですよ」
中川「顔が人間で体が狼の化け物が本当に存在するとでも?」
トシ江「えぇ。嘘をつく者を殺すんです。最近、私のところにも現れました」
中川「なんだって?」
トシ江「先週の…ちょうど四十九日が終わった夜です。…庭先から母の声が聞こえて…恐る恐る覗いてみると、そこには行方が分からなくなっていたはずの母の顔をかぶった狼の化け物が居ました」
中川「まさか」
トシ江「その化け物は、母と同じ声で私に質問するんです」
中川「質問…?」
トシ江「「私は良い母親だった?私を愛してた?」って…。ほら、あなたの後ろに居るでしょ?お母さんの顔をした化け物が…」
中川「…居ないよ。これ以上君の妄言には付き合ってられないな。それじゃ」

(中川)
乱れた白髪頭の老婆はこう言った。
顔剥ぎ狼は鼻が利く。
嘘の匂いを嗅ぎ分け、嘘をついた者の顔を剥いで殺す。
決して顔剥ぎ狼が投げかけてくる質問に嘘をついてはいけない。答えられない場合は沈黙だ。そうすることでやり過ごすことができるだろう…

中川「ふんっ!馬鹿馬鹿しい」

夜道を歩く中川と妻シゲ子

シゲ子「あなた、どうしたの?」
中川「あ…いや、なんでもないよ。先月発売した月刊ベネリスだが、よく売れてる」
シゲ子「それは良かったわね」
中川「そろそろ風呂付きのアパートにでも引っ越すか」
シゲ子「あら、私銭湯好きよ」
中川「そうか?」
シゲ子「あ、でも…一緒にお風呂入りたいかな」
中川「ははは」
トシ江「中川さん…中川さん…私、妊娠したの…産んでいい?」
中川「そうだシゲ子、来月まとまった休みが取れそうなんだ。旅行にでも行かないか?」
シゲ子「素敵」
中川「もうすぐ結婚記念日だしさ」
シゲ子「嬉しいわ」
トシ江「…お母さんね…本当は私が殺したの…知ってた?」
中川「そうだな、草津なんてどうだろう?温泉巡り」
シゲ子「いいわね」
トシ江「ねぇ、中川さん。私を愛してるって言ったじゃない。私と結婚してくれる?」
中川「よし、帰ったらさっそく宿に予約入れるか」
シゲ子「ふふっ、楽しみだわ」

(中川)
トシ江が自分の顔を剥いで自殺したという知らせを聞いたのは、月刊ベネリスが発売された直後のことだった。
それからだ。何処からともなくあいつがやってくるようになったのは…。
顔剥ぎ狼は、トシ江の顔をして、トシ江の声を発し、トシ江のフリをして、私の顔を剥ごうと様子を窺っている。
だがそれも無駄なことだ。
私は質問に答えることはないし、もう二度と嘘はつかないと決めた。
お前の思い通りにさせるわけにはいかない。
私は力一杯、剃刀を握った。

おわり

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クレジット
脚本・演出…司馬ヲリエ
出演…
中川/高木馨
トシ江/咲良じゅんこ
編集長/丸山貴成
シゲ子/麻倉やな

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