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2nd Album「灯命」

1. 遙か先の君へ

自分の寿命は長くともせいぜいあと数十年なので、自分が死んだ後の世界のことをよく想像します。

自分が居なくなってから数千年、数万年後の世界はどうなっているのだろう、とか、自分が居ない世界でどんな新しいことが始まって、どんな風に世の中が変わっていくのか、それをいつまでも見ていたいという気持ちがある一方で、「竹取物語」で月の使いから貰った不老不死の薬を捨ててしまう帝のように、失っていくばかりの世界で永遠に生きるなんて地獄そのものだよな、とも考えます。

文明が崩壊した後の世界のこともよく考えます。朽ちたコンクリートの壁に蔓が蔓延って、ひび割れたアスファルトの隙間から雑草が生え、人がいなくなった世界のことを。廃墟や、壊れて錆びついた機械や、使われなくなった車や、そういうものを見ると心が落ち着きます。
この子らはもう役目を終えたんだな、もう慌ただしく人に使われたりしないんだな、と思うと、静かに寄り添って自分もそこでずっと眠っていたい衝動に駆られます。

今、自分は息が出来て、手足が動いて、立って歩くことも言葉を発することも考えることも出来ています。それがいつか出来なくなる時まで、何をしたらいいんだろうと考えていたら出来た曲です。


2. ぜんぶあんたのせい

だいぶ前からあった曲で、最初に作った時は違うタイトルが付いていました。
人間はどこかで都合の悪いことを忘れ、自己を肯定していかなければ生きていけない生き物だと思います。もし生まれてから現在までに自分がしてきた全ての行いを詳細に記憶していたとしたら、少なくとも僕は罪の意識に耐えきれずにとっくの昔にこの世から居なくなっているでしょう。
自分という存在の業の深さや、人間全ての気持ち悪さ、グロテスクさを一時でも忘れて、「そんな時もあったね」と過ちを美談にして、アルコールを飲んでゲーム実況の動画でげらげら笑っていなければ、生きていく事はとても困難です。

それと同時に、全ての人間が一切の容赦なく公平に裁かれたらいいのに、と思う自分もいます。自分を含めて、神の雷のようなもので全員等しく焼かれてくれるなら、今すぐにでもお願いしたいと時々考えます。
「悪いことをしてはいけないよ、誰も見ていなくても、御天道様(おてんとさま)が全部見ているんだからね」と、日本人は昔から言い続けてきました。もし本当に神のような存在が全てを見ているのなら、と思って書いた曲です。


3. 何度でも

ゲームの主題歌として書き下ろした曲です。この頃が一番、それまでの自分から脱却したいと強く願っていた頃かもしれません(のちにまた元の場所に戻ってくることになるのですが)。

マッチョな曲にしたいなというイメージだけがあり、自分の中のマッチョイズムを音楽にした結果こうなった、という曲でした。この手のマッチョイズムを表現するには自分の感性と技術だけでは足りず、初めてアレンジャーの方をお招きして一緒に作った曲でもあります。その時の経験は確実に今の自分の血肉になっています。

「品定めされてるぞ あの日の自分に」というのは、メジャーデビュー前の、もっと言えば音楽を作ろうと決意した時の自分のことなのだろうと思います。いま自分が作ろうとしている曲が一体誰の耳に入るのかなんてどうでも良くて、何かを作ること、生み出すこと、ただそれだけで喜びを感じていた最初の自分に、今の自分はどう映るだろうか、と考えていたらこんな歌詞になりました。


4. 懲役85年

自分の意思で脱出することが叶わないという点において、生きることはそれ自体が牢獄に入れられるようなものだと感じる時があります。俺も早くシャバに出て「お勤めご苦労さんです」と言われてえなあと思いながら、大して変わらない毎日を生きています。

「人は誰でも、その日の朝に目が覚めた時、まるで今この世に初めて生まれたかのように生きることができる」と、ある心理学者は言いました。そうでも思ってなきゃとても人生なんてやってられんよ、と言っているようにも聞こえるなと勝手に思っています。そんな人生でもやめられず生きてしまうのは、きっと知らないうちに沢山のものを背負って(あるいは背負わされて)しまったからでしょう。

居なくなるには背負い過ぎた。前進するには失い過ぎた。下を向くには眩し過ぎた。
結局どうすることも出来ずにただ立ち尽くしているだけなのに、それでも、今はもう会えなくなってしまった人達のあの顔が、自分に生きることをやめさせてくれない。そういう歌です。


5. 千夜想歌

アニメの主題歌として書き下ろした曲です。美しい曲を作りたくて、どうやったら美しくなるだろうかと考えながら作りました。
作品サイドの方々から「琴と笛の音を入れて欲しい」というリクエストがあり、それを自分達のバンドサウンドにどう馴染ませていくかが難しいところ(と同時に腕の見せどころ)でした。

琴や笛の音はとても個性の強い音なので、その音が聴こえてくるだけで脳内に特定の情景を想起させる力があります。だからこそ逆に、屋台骨となるバンドサウンドに関してはいつにも増していつも通りの自分達でいようと、一人で曲を作っている段階から決めていました。
メロディも、何度も周りに意見を聞いて書き直した記憶があります。個人的に良く出来たと思っている点はBメロ(「穴の空いた〜」からサビ前まで)の短さです。

美しくあろうとすればするほど逆に自分の醜さに気が付くものですが、醜くあろうとすると逆に美しいものがより明確になる時もあるなと思いました。


6. 導(しるべ)

千夜想歌と同じ作品の為に書き下ろした曲ですが、こちらの方が先に完成していました。最初に作品に触れた時に感じたものであったり、登場人物たちの心情などを考えながら手探りで作っていたらこういった曲になりました。

こちらの曲にも「千夜想歌」と同じように笛、琴が入っています。メインテーマにギターを重ねず笛の音のみで演奏することで、こちらの方が前述の「情景を想起させる力」を素直に使った曲になったと思っています。

雄大さや、大きな時の流れ、守りたかったものを守れなかった無力さや、戦って傷つけ合う激情など、イメージの通りに作れたなと、今聴いても思います。


7. 本当

ラブソングというものを(自分が歌う曲としては)ほとんど作ったことがありません。他人が作ったラブソングは変だと思わないどころか普通に感動してカラオケで歌うまであるのですが、自分がそんな歌を作って歌っているところを想像するだけで気色悪さに耐えられなかったので、今までずっと敬遠してきました。ですが、音楽家としての人生の中で、このままラブソングを歌わずに死んでいくのもそれはそれで勿体無い気がするなあと思って作った曲です。

ヤマアラシのジレンマというものがあるように、人と人は近づき過ぎると必ずお互いを傷つけ合う生き物です。僕はそれに疲れ果てて、上辺や建前というものこそが優しさの本質なのだと結論づけて今まで生きてきましたが、傷付くと分かっていても近付かずにいられない時もあるのだなあと漠然と思いながら作っていたらこうなりました。
その呪いを解くことが出来ないから、今でも世の中にラブソングが作られ歌われ続けるのだろうなと思います。


8. 人間だもの

あなたが嫌いだ、という曲です。ただひたすらそれだけの曲です。


9. 残火(のこりび)

過去のことばかりに囚われていると感じる時が沢山あります。
「どうしてあの時、どうしてあの時」そればかりで頭の中が一杯になって、取り戻せるわけでもやり直せるわけでもないのに永遠に考えてしまいます。これ以上失敗しないために失敗した状況を脳内でリピートして、同じ状況が再び現れた時に対処できるようにするための防御反応のようなものだと何処かで聞いた気がするんですが、よく覚えていません。

人が歌や詩や絵を生み出すのは「結局どこにも行けず何も伝えられないから」だと思っているんですが、この歌も自分にとってはそうなのかもしれません。
曲調自体は自分の「好き」を全面に出したので、この曲のギターのレコーディングは楽しかった記憶がかろうじてあります。ちょっと聴こえづらいかもしれませんが、サビで自分のお気に入りのエフェクターを使ったフレーズが入っているので、よく聴いてみてください(「コーラス」というエフェクターです)。


10. 夢の奴隷

音楽をやりながらアルバイトをしていた時、「音楽で生計を立てられるようになったのでバイトを辞めます」と当時のアルバイト先に話をして、辞める時にバイトのみんなや店長からの寄せ書きを貰ったことがありました。
その寄せ書きの中で、店長からの言葉はこんな言葉でした。

「夢を追う権利を有しているのは、義務を果たし続ける者だけです」

僕は義務なんて何一つ果たせないまま大人になってしまったので、今でもこの言葉を思い出します。そして思い出す度に、自分が果たさねばならない義務とは何だろうかと自問します。税金は払ってますし、あの頃に比べれば社会の一員としてだいぶマシにはなったのかなとは思いますが、きっとそれだけではないんだろうなという気もします。

夢を追うというのは、同時に夢から追われることでもあります。時間が経てば経つほど、夢のほうがどんどん催促してくるようになるのです。おいお前、いつになったら俺を迎えに来るんだ、いつ叶えてくれるんだ、いつまでもそんなとこで何やってんだよ、と。挙げ句の果てには、お前、やっぱ無理なんじゃね?という地獄のような囁きまでしてくるので迷惑極まりないです。

夢や目標に向かって何かを成そうと行動する全ての人間は、どれだけぎりぎりでも崖っぷちでも、全員、「お前じゃ無理だ」の囁きを打ち払った勇者たちです。そういう人たちへの素直な気持ちを書きました。


11. 正解不正解

アニメの主題歌として書き下ろした曲です。「何度でも」などの楽曲で培ったマッチョイズムと、もともと持っていた繊細さのバランスを上手く取れた曲だと思っています。

この歌のレコーディングは喉の手術をする直前に行われたので、この歌が手術前最後に録音した自分の声ということになります。おかげで、手術後の長きにわたってこの曲を歌うことがなかなか難しかったんですが(感覚が掴めなくて)、最近ようやく思い通りに歌えるようになったかなと思います。


12. フランケンシュタイナー

自分の容姿が大嫌いです。どうしてこんな身体に生まれてしまったんだろうと何度も思いましたが、だからといって生まれ直すことも出来ませんし、その度に仕方がないと諦めて今まで暮らしてきました。

以前に「顔」という曲を作ったことがあったんですが、その時の感情にも通じるものがあると思います。もし自分の身体のパーツを好きに取り替えられたとしたら、それで人は幸せになれるんだろうか。少し考えてみましたがきっとなれないと思います。

自分がどういった存在なのか定義するためには他者との比較が必要不可欠なので、全人類が全く同じ容姿になったとしても、今度は所作や言葉遣いや知識量や、あるいは精神面での違いなど容姿以外の差異が殊更際立って、結局またその中で美しいとか醜いとか言い始めるのだろうと思います。

美しさと醜さ、自分とは何なのか、そういうことをう歌った曲です。


13. 世界の果て

世の中がコロナ禍に見舞われてから、最初に作った新しい曲でした。
それまで当たり前に出来ていたバンド活動が全く出来なくなり、最初の数ヶ月間は廃人のようになっていたんですが、このままではいけない、何かしなければと思って作ったのがこの曲です。

人がマイナスの感情になっている時に求めるものは、自分よりさらに不幸な人間の物語か、あるいは憂鬱を吹き飛ばすような痛快でポジティブな物語かのどちらかですが、この時はきっとその中間だったのかなと思います。

泣くだけ泣いて、弱音を吐くだけ吐いて、最低の自分にまで落ち込んだ後にやってくる静かな朝のような、そういう曲にしたいなと思って作りました。


14. 灯命

出来上がった時にはまだタイトルの無い歌でした。このアルバムを作るために未発表の曲を全てテーブルに並べて、さあどんなアルバムにしようと考えた時に、やっぱりこの曲が「灯命」だよなあと思ったので、アルバムと同じタイトルの曲になりました。

生きているものはいつか全員死にます。実家の両親が犬好きだったので、物心ついた時から僕の家には犬がいたんですが、実家の犬はみんな僕より先に逝きました。幼い頃からそうだったので、何となく命というのはそういうものなのだと思って生きてきました。
でも、命がいなくなるとはどういうことなのか、やはり何も分かっていなかったようです。

そういった感情一つ一つまでこうやって歌にして、それでお金を取って飯を食うんですから、歌を作る人間はみんな救いようが無いくらい業が深いなといつも思います。

これは命について歌った歌です。


CIVILIAN 
コヤマヒデカズ

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