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CIVILTALK 02:中山晃子

ところで時代はいま「アーティスト」で氾濫しています。誰も彼もところかまわず「アーティスト」な昨今、一時期の「カリスマ」という言葉の事例と共通するような気合いを感じます。それは以前よりも多くの人たちが、作り手に対して距離が近くなり、関心を持つようになったのと同時に、多くの人が作り手になれる環境が整ったことによって、「アーティスト」に入門するハードルが低くなったからかもしれません。

しかしむしろ「アーティスト」で溢れ返っているからこそ、本当に良い人はより輝く。中山さんの作品に触れた私たちは、その美しさと緊張感に一瞬で魅了されました。絵画表現領域だけでなく、装置製作やシステムプログラミングの構築までをもその活動領域とする彼女は、世間が捉えている「アーティスト」の枠を軽々と越えているのではないでしょうか。

2015年ではICCでの展示・パフォーマンス、TEDxHanedaでのパフォーマンスなど目覚ましい活躍をしている中山さん。その作品制作の源は「つくらずにはいられないほどの負荷、初期衝動」だと言います。しかしそれを作品にしていく過程で貪欲に他者を巻き込んでいく姿勢には、どこか儀式的な印象を受けました。インタビュー中、しきりに使っていた「上げる」という言葉の意味。本当の意味で共通に捉えることはできていないと思います。しかしそれは彼女なりの「物事にきちんと出会うための作法」とでも呼ぶべきものかもしれない、そう思いました。原体験をいまでも忘れずにまるで昨日のことのようにすらすら話す彼女に、私たちも忘れていた感覚をいまではまったく新しい感覚として思い出し、出会いました。この感覚を与えてくれる人こそアーティストである、そう再認識したのは言うまでもありませんでした。

本日、ICCの展示(ICC キッズ・プログラム 2015「しくみのひみつ アイデアのかたち」 2015年7月18日~8月30日)を拝見させていただいたのですが、他にも最近の活動があれば教えてください。

中山:7月18日に羽田のTIAT SKYHALLで「TEDxHaneda」に出演しました。普段はプレゼンテーションのイベントなんですが、私はパフォーマーとして呼んでいただきました。

Alive Paintingを披露されていますね。パフォーマンス中にお話をされているのは初めて見ました。

中山:普段は無言です。この時が初めてですね。

即興のライブのような感じですね。

中山:本当は話すつもりはなかったんですが、スピーチ用のマイクの音の拾いがとても良かったので、リハーサルで使ってみて、これは楽しいぞと思って。リアルタイムで絵の具のコンディションやお客さんの様子を感じながら、脳のつまみをキュッと回すような感じで、アドリブでしゃべったり音の出方を調整したりと、ライブでやっていますね。

インクが木の形になったりとさまざまな変化をしていますが(動画2:19~)、どうやって実現しているのですか。

中山:この樹形図になるインクは、自分で調合しています。粒子の細かさや、油性か水性かなど、組み合わせで反応が変わります。TEDxでは、前のパフォーマンスで使った排水も使っています。排水をきれいな状態の絵の具にドロップするとうまく反応が起きるんですよ。

絵の具が生きているみたいです。

中山:Alive Paintingでは、ここにいきもののようなものができたから、じゃあ名脇役を入れようとか、水をあげようとか、なにかのメタファーになるように絵を描いていっています。枯山水みたいな感じですね。象徴的に邪悪なものと繊細なものを出会わせたり、息を吹きかけて流れを蛇行させたり渦にしたり。最後に道をつくって泡をそこに流して…あなたがこの泡をなにに見立てるかっていうのはそれぞれの想像力にかかっています、っていうのをスピーチの締めにしています。

今回、はじめましてなので、私たちの自己紹介もさせてください。私たちCIVILTOKYOはクライアントワークや作品制作を行っています。また、「CIVILMAGAZINE」というアーティストやデザイナー、ミュージシャンなど、ものづくりをしている人たち10組くらいに集まってもらい、こちらで1対1の組み分けをしてオリジナルのコラボレーション制作を行ってもらう、という雑誌を1年に1冊のペースで刊行しています。

中山:コラボレーションって、難しい言葉ですよね。

コラボレーション、ですか。

中山:お互いが影響しあって共鳴するコラボレーションはやりたいし、自分の栄養になると思います。でも、そうじゃなくて絶対に関わりたくないコラボもあります。CIVILMAGAZINEは、いま見せてもらってすごく価値のあるコラボレーションだと思いますが…すごく怖い企画だな、とは思います。コラボレーション企画を立てて、説明する人の中で「コラボレーション」という言葉の意味をどう考えているのか聞いておきたいです。私は「コラボレーション」という言葉を使うのを避けるようにしていて、同じような硬さをお持ちかな、と思って…

別ジャンルの人と関わることで新たな発見をしてもらえたらいいな、と考えていますが…

中山:でも、この本の人たちは、芸術っていうひとつのジャンルの人たちですよね。私がワクワクするコラボは、自分と全然違うジャンルの人と関われる時なんです。突き詰めて考えると、芸術っていうのもいろんな学問が栄養になってできています。私の作品の場合は水の波形や流動の現象の中でできる形態学や物理学、生物の発生に関わる生物学、色彩学、光学とかも…TEDの時に宇宙飛行士の方がいらっしゃって、いまやっていることは地球の重力下で絵が成り立っているわけですが、宇宙でやったら全然違う絵になるということを話したんです。そこまでフィールドを隔てた人とコラボするんだったら、それはいいコラボだと思うんですよね。

僕たちも、ついこの間、BCL主催のBio Art Hackathonというハッカソンに参加させていただいたのですが、実際に生物学や工学など、僕たちがいままで触れてこなかったジャンルの方々と制作をしたんですよ。新しく気づくことがあったし、次の発展が見えた部分はありました。

中山:BCLのメンバーで知り合いがいるのですが、彼らも、ひとつの軸があって活動しているわけじゃないですか。その中でいろんなコラボが生まれているんですよね。そういう風に人の中で起きてるコラボ、っていうものを見つけるのも面白いな、と思います。

中山さんがいまの表現に辿り着いた経緯を教えてください。

中山:小学校の頃、書道の授業の後で筆を洗っている時に、水道の中で墨がウヨウヨしているのを見て、きれいだなって思ったんです。他にも墨の匂いとか、特有のテラっと光るところとか、作品としてアウトプットしなきゃいけないところ以外の面白さっていうのに気づいた経験が思い出されます。

今日お話させていただく前に、Alive Paintingの映像を見ながら、小学校の頃、絵の具で遊んだよねって話していました。メロンソーダつくったりとか。

中山:怒られるサイドの(笑)

ちゃんと絵を描きなさい、っていう(笑)

中山:液体の経験は誰の中にもありますよね。

忘れていた感覚を思い出しました。

中山:それから色彩の原体験で言うと、私が小さい頃に、たんぽぽとかどくだみとかの茎はなぜ赤と緑なんだろう、と不思議に思った記憶が鮮明にあります。それで自分で、色鉛筆で片方から赤で塗って、もう片方から緑で塗って、それらがなんとも言えない混じり合いをした時に、実物の茎より生々しい茎が描けた、と思った時があったんです。そういう小さな経験がたくさん積み重なっているんだと思います。

そういった経験は中山さんの中にずっと染みついていたものなのでしょうか。それとも、ふとした時に思い出したようなものなのでしょうか。

中山:私の場合、ずっと興味があるんです。例えば、目の前にいるみなさんがいま、この光源を浴びてこの色になっているっていう状態は、いまだけじゃないですか。それが消えてしまうものだってわかっているから、その記憶が別の色に着色されたり脚色されたりしてしまわないように、それを正確に記しておきたいっていう欲があるんです。私は話をするよりも描く方が得意な子供だったので、絵で留めることをよくやっていて、それがいまもなおっていう感じですね。

写真に撮っておく、というのとは違って、自分の目で見た風景やその時感じた匂い、聞いた音もそこに詰めたいっていうことなんですね。

中山:加えて、外の環境をいくら完璧にしても、自分の受け取り方が最終的なフィルターになります。そして、いまの状態の自分を維持することもできないから、自分も違う人間になると考えると、その時の自分の状態、設定も含めて保存しておくことになるんです。

自分と他人で、見ている色や形がまったく違うものかもしれませんしね。

中山:その色の見え方のあやふやさを描こうと思ってつくったのが、ICCで展示している「赤い緑、黄色い青」です。学生の頃につくった「Light on Acrylic」(2012年)も同じ構造でつくられていて、受け取り方が人によって違うから、人がものを見て認知する工程に興味があってつくった作品です。

他の過去作品についてもご紹介いただいてよろしいですか。

中山:これが2014年の作品「You and Me」で、色のついた栄養のある液体を吸わせて、出会わせて新しいものをつくるというものです。こういうふたつの別々の要素を持ったものが出会った時にできる、新しい形っていう関係性に興味があるんです。Alive Paintingも、異なる性質を持ったものを出会わせた時にできるものや、境界線の美しさが見たいんです。泡を出すのも、気体と液体の界面が一番特殊な現象が起きやすいと言われていて、空気と液体がつくるわずかな膜が魅力的なんです。加えて、これをなにかに見立てるっていうことに興味があって、泡を人のように見立てたり、インクの流れが川に見えたり、虫に見えたり。人によってなににそのイメージを投影するかはさまざまですが。

ICCで展示されている「卵」でも、「なにに見えますか」と投げかけていらっしゃいますね。

中山:今回の展示は子供向けなのですが、怖い、気持ち悪いっていう印象を受ける子もいれば、おいしそう、きれいっていう子もいます。それって、なにかに見立てているから怖い、きれいってことじゃないですか。そういうことを引き出したいんです。

同じものを見ているのに、見えている情景が違うっていうのは面白いですね。

中山:「colors on canvas」(2012年)も見立ての装置としてつくった作品です。キャンバスにアクリルなんですが、私が筆を入れた部分はひとつもなくて、美大生が捨てた紙パレットから絵の具を剥がして、キャンバスに乗せています。ゴミだと思われていた絵の具をもう一回絵にした、というわけです。極端ですけど、これも美しいものとゴミとして選別されたものの価値をひっくり返すということなんです。書道の作品より捨てられた墨の方がきれいと思った経験につながるんですが、両極にあるものの呼び名を変えるとか、そういうことに興味があるんですよね。

中山:それから、これは「皮膚と血」(2012年)という写真作品です。これは人体も流動の現象の中で組成されていく、ということに興味があった頃につくった作品です。なにになるかはわからないけど、いきものがつくられていって、なんの生物かが決定されるちょっと前の状態の、栄養がたくさん含まれた流動がつくりたい、という思いでつくりました。

どうやって撮影されたのですか。

中山:この写真の位置に、赤いインクの点滴が落ち続ける装置を製作して、インクが跳ねている瞬間を撮影しました。それから、「visual cells」はストロボを焚いて、水の滴が見えるようにした装置で、写真に取らなくても肉眼で跳ねた瞬間が見える作品です。

直接絵などに落とし込むのではなく、装置を使って表現しているのが面白いですね。

中山:この作品で使っているメディアは写真で、他の作品はインスタレーション、パフォーマンスと全部違うんですが、軸は一緒です。私がやりたいことは一気に掴むことはできないので、まずはこっちの方向から触ってみて、次の年は逆の方向から触って裏側をつくって、という感じで、見えないものをいろんな方向の手で掴むような感じで制作してます。

作品をつくる上でのこだわりはありますか?

中山:そうですね…色の見え方の話になりますが、地域や年代によって決められる色の意味っていうのもありますよね。例えば、紫が最高位の僧侶の象徴だった時代もあれば、下品な色の代表とされている時代もあるし、国旗に現れるような地域的な色の側面もあります。それと同時に、時代性や地域性は関係なく、色自体が人に作用する性質もあるんです。

青は心を落ち着かせる、みたいな。

中山:そうです。赤い店内だと時間がゆっくりに感じるけど、青いと早く感じる、みたいな。そういった、歴史的・地域的な背景と心理的な背景に加え、個人的な色の好き嫌いや記憶もありますよね。そういった、ひとつのものに対していくつかの視点があるという意識を常に持ちながら考えるようにしています。それから、私が好きだから、で終わらせないということも大事かな、と思います。

好きだからで終わらせない。

中山:私が作品づくりをする時は、つくらずにはいられないほどの負荷、初期衝動のようなものがあるんです。でも、個人的な感情を開放するためだけの自分に寄り添うような作品をつくっちゃうと外に向ける意味はないですよね。私がやりたいのはそうじゃなくて…いい言い方が思いつかないんですが…重力から解放されたい、上に行きたい、というような感覚があるんですが、それを周りの人も含めて上げたいんですよね。

上げる、ですか。

中山:重い荷物を持っていて、それが一瞬楽になった瞬間、負荷が一瞬和らいだ瞬間、というようなニュアンスですかね…絶対いい言い方があると思うんですが…

それを周りも含めて、ということですね。

中山:そこでできることって、自分のためだけに上がる時とは比べ物にならないエネルギーがあると思うんです。自分の見立てだけで作品で表現するんじゃなくて、みんなが持っている色の経験や記憶、歴史的な色彩の背景を調べて作品に反映させる。たくさんの幅と意見があった中で、「私はなにに見える」っていう自由さを、自分もお客さんも同じぐらい持てるような作品にするっていう意識はありますね。

中山さんの一番最初の経験として、捨てられた墨がきれいだと感じた時には、自分の中だけの話だったと思うんですが、どうして周りの人も含めて上げようと思うようになったのですか。

中山:私もそういう作品に救われたからでしょうね。元々は音楽で、いま持っているものの荷物が降りた経験がいいライブや曲にあったんです。聞きたくないような音が鳴っていた時に、耳をふさぐ代わりにイヤホンをして、音楽によってそれが溶かされたり、別のところへ行けたりといった、私自身が受け手として救われた経験があったんです。

中山:実は私、中学校の頃は木の医者になりたかったんです。

木を診るお医者さんですか。

中山:そうです、樹木医って言います。でも、中学校くらいの時になると、培ってきたなにかというのができ始めていますよね。私は勉強はそんなに好きじゃなくて、絵が得意だった。私が持っている技術を使ってなにができるか考えた時に、じゃあ芸術に特化した体を持っているから美大に行って、樹木医になってやりたかったことをやろう、と思ったんです。樹木医の医療行為って、自分じゃなくて他者に広がっている視点なので、そこが始まりかもしれないですね。話してて、本当かな、って思いますけど…

樹木医になりたいと思ったのはなぜですか。

中山:小学校の時に公園で木に聴診器当ててる人がいて。

え、実際に見たんですか。

中山:はい、埼玉で。いま考えると怪しい人物だったかもしれないですが…その人を見て、木の医者って仕事があるんだと思って、いろんな木にまつわる仕事があるっていうのを自分で調べて勉強して、っていう流れだった気がします。植物にすごく興味があったんですね。

いきもの全般というよりは植物ですか。

中山:植物ですね。すごく知りたいんです、植物のことを。でも植物がすごく多い地域で育っていたら芸術家になっていないと思います。

どうしてですか?

中山:私は埼玉の越谷で育ったんですが、あの辺は木を切って街や道を作って、わざわざ街路樹を植えてるんですよね。私の小学校も、もともといきものの宝庫だった雑木林を切り開いて、ビオトープにしていて。「え?」っていうようなことをしていたんですよね。

とても違和感がありますね。

中山:植物を通して、そういう憤りの経験をたくさんしたんですよね。光化学スモッグも頻繁にある地域だったので、道路沿いの木とか、すごく弱るんですよね。排気ガスで葉が黒くなって、日照ができないから、害虫が来て、奇形になって…

そういうものが身近にあったから。

中山:そうですね。私にとって、他の動物とかよりも、身近な憤りをキャッチしやすかったんだと思います。でも健康な植物も、それはそれで怖いじゃないですか。葉っぱを裏返すとつぶつぶがあったりとか。

健康に育ちすぎて迫力があったりとか。

中山:ICCの展示の「卵」を見て怖いと思った子と同じ経験を私は小さい頃に植物でしていて、生きているんだけど襲いかかってきそうっていう苦手意識や恐怖から来ているところもあります。同時に美しいとも思うし、神秘的だと思うし、愛憎混じってるんです。

じゃあ作品が怖いと思われても、それはそれで。

中山:うれしいですよ。

純な反応ですもんね。

中山:いきものっていうのはもともと、美しい側面と、気味が悪くて怖い側面と両方あるものだから、ひとつ作品の中でその両方の反応をちびっ子から受け取れたというのは、理想の植物が描けたような気がしてうれしいです。

ICCの展示は子供向けのものですが、以前も子供向けのワークショップをされていましたよね。もちろん、大人からも感じられるものはあると思いますが、子供からしか感じられないものがあって、そういった展示やワークショップに積極的に参加されているのですか。

中山:それはたまたま呼んでいただく機会が増えたというだけなのですが…実は、大学に入った後、小さい頃に自分も通っていた造形教室で先生のバイトをしていたことがあります。螺鈿細工やテンペラ画、木彫、銅版画、油絵などいろんなことを教えてくれる造形教室だったんですが、自分の思っていることを表現するのにこの技法ならハマった、っていうのがわかりやすいんですよね。自分がそこで先生をやっていると、子供が発見した瞬間に出会えることが多くて、それが面白くて。

そういった企画に呼ばれるということは、キュレーターが中山さんの子供との親和性を感じているということだと思うんですが、子供って、出会うものすべてが新しいものですよね。なにがいいのか悪いのか、なにがきれいなのかそうでないのか知らない状態で新しいものと出会うことって、名もなきものに出会うということじゃないですか。中山さんの作品を見て、また今日お話を伺って、中山さんがそういった出会いにいまも変わらず好奇心を持っていらっしゃるところがとても魅力的だと思いました。

中山:うん、うん。「名もなきものに出会っていく」って、いい言葉だと思います!メモしておかなきゃ。

ぜひ使ってください(笑)今後、やりたいことや挑戦したいことなどはありますか。

中山:もう一回、デッサンから始めようと思っています。もう一度、モチーフを見てしっかり描くということを、技法から考えたいと思っています。紙に鉛筆くらいの、シンプルというか制限のかかった状態で、でも紙に鉛筆じゃない方法でものを見ながら描く、っていうデッサンをしたいと思っています。

インタビュー収録日:2015年8月8日


中山晃子/Akiko Nakayama

東京造形大学 造形学部美術研究領域 修士課程修了。
色彩と流動性によって、うつろいゆく現象を絵画として描くアーティスト。
主な活動である「Alive Painting」ではさまざまな性質を持つ液体を扱い、要素の流れがもたらす美的な快楽と、見る者にさまざまな景色や生命を想起させる。
近年では、色の差異を即時的に画像解析、デジタル処理することによって音を発生させるカラーオルガンシステム「Fluid2wave」をエンジニアと共に開発し、音も絵も同時に奏でるパフォーマンスを行う。
パフォーマンス、写真、映像、と扱うメディアは多岐に渡るが、一貫して多種多様な原因と結果を描き、混ざり合う境界の生き生きとした姿を描く。
TEDxHaneda、Audiovisual Media festival 2015 (台湾)等、国内外問わず描いている。
http://akiko.co.jp


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