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CIVILTALK 06:we+(安藤北斗・林登志也)

美大に通っていて、特にデザインなんかを勉強してると、多くの学生がアートとデザインの違いやその2つの差について、答えが出るはずもないのに熱く議論してみたりします。「自分はアート寄りなデザインをやりたい」「コマーシャルなことはいやだ」「それじゃあお金にならない」「デザインとは商業的であるものだ」「いやだってあのデザイナーもあんなアートっぽいけど成功してるし」「あれはデザイナーって呼ばれてるだけのアーティストだから」「いや、っていうか腹減らね?」「うん、とりあえずメシ食おっか」。
実際に社会へ出てから、デザイナーとしてその「理想のスタンス」を貫ける人はどれほどいるのでしょう?

デザイナーという職を持つこと自体、現代ではそこまで難しくもありません。美大や専門学校にはデザインを学べる学科が存在するし、それでなくともアドビ社のソフトウェアを使えれば「デザイナー業」もある程度は成り立つようだし。でも、デザイナーになった上でどういう仕事をしたいか、どんなものを作りたいかという理想を叶え続けるのは簡単な話ではありません。デザイナーになったは良いけれど、自分が作りたいと思っていたようなものを作れているか、これが理想としていた仕事であるのか。そういうジレンマを抱えるデザイナーは少なく無いはずです。

we+のお2人から話を聞いていると、心底楽しそうだなと感じます。デザイナーという役割のもと、お客さんがいて成り立つクライアントワークと、自主的に作品を作って海外のギャラリーで発表する、ある意味アーティストのようなコンテンポラリーデザインの活動、そのバランスが非常に良い具合に保てているからでしょうか。安藤さんのフワッとしていながらも核心を突いた物言いや、林さんの的確冷静に物事を例える話し振りからは、他のデザイナーには真似のできない、自分たちが間違いなく「やりたいことをやっている」という自負や自信のようなものも感じます。

パリのGallery S. Bensimon、ミラノのRossana Orlandiといったデザインギャラリーに所属し、コンテンポラリーデザインという日本国内ではまだほとんど未知とも言える分野の先陣を切っているお2人にお話を伺いました。

we+はもともとお二人で始められたんですか。

安藤北斗(以下、安藤):かれこれ2007年くらいになるんですけど、もともとドリカムみたいに二人を繋げてくれた女性がいました。その女性が日本で僕と同じ大学に通っていて、林も別のところで彼女とつながっていて、面白そうなプロジェクトをやろうぜ、という話になって3人ではじめました。そのときにSIGGボトルなどの色々な自主プロジェクトをはじめました。その女性が結婚を期に旦那さんの仕事でウィーンへ行くことになり脱退してしまったので、残った二人で自主プロジェクトとして始めるようになりました。それがだんだんと忙しくなってきたので、ちゃんとした組織にしようということになり、2013年に法人化しました。

林登志也(以下、林):僕がその共通の知り合いになる女性と知り合ったのは、世田谷ものづくり学校にあったIDEEの黒崎さんの講義に通っていたのがきっかけでした。僕は一橋大学卒業なんですけど、そこにいたちょっと変わった先輩がいて、その先輩に「最近人生に悩んでます」と相談したら「俺は今黒崎さんの学校に行ってるけどお前も来るか」みたいな感じで誘ってもらって。実は僕、大学では芝居をやってたんです。どちらかというと演出とか、舞台美術とかが面白いと思っていました。芝居っていいなと思っているのが、総合演出っていうか、モノも作れば現場で演じることもあるし、もちろん音楽とか照明とかもあったりして。その延長で結構こじらせて行く奴もいると思うんですけど、僕はちょっと違うかなと思って。社会との接点を持ちながら何かを作っていきたいというのもあって、卒業後は広告代理店に就職しました。でも当然ですけれど、ビジネス色が強い中で純粋にものづくりだけではないというのを経験して、何か悶々としていたときにその先輩に相談したんです。
その世田谷ものづくり学校での講義って、特別に何かを学ぶというよりも、人を呼ぶというのが特色の講義でした。今ユニクロのクリエイティブディレクターであるジョン.C.ジェイとかをひょいと呼んできて喋らせるとか、箭内道彦さん、高松聡さんとか、第一線に立っている人をバンバン呼んできて、刺激を与えるというようなことをしていました。そこで自分から仕掛けていかないと、何も始まらないよね、ということを思い知らされましたね。それがあってwe+のコアになるような活動を始めました。

「社会との接点を持つ」ということの重要性はどのように考えていたのですか。

林:ないパーツを埋めるというか、そういう感覚でしたね。僕の場合、本当は(社会との接点は)持たずにやりたかったというのもあるんですけど、それを持たずにやるのが怖かったというのもあります、正直な話。持ってなさすぎたから、持たずに行っても何もできないだろうなと思ってました。

安藤:大学進学やら就職やらっていう場合、今であればみんな自分がどうしたいかっていうのを考えて決めると思うんですけど、当時自分は社会のことをあまり知らなかったんだと思います。盲目的・戦略的に社会との接点をつくっていくというのはあるんですけど、決して冷静にということではなくて、ある種の勢いで始めたっていうのもあるのかもしれません。デザイナーという職業の場合、腕のある師匠の下につくと、ものづくりを効率的に学ぶことができると思うのですが、そればっかりやるのもいやだなというのもありました。この話をするときによく大工さんの例えを使うんですけど、「ひたすら木を削りまくって表面をなめらかにしていく」ことに対する憧れも尊敬の念もあるんですけど、自分は一ヶ月それをやったらいやになるだろうなと。どちらかと言えば作るということ以外にも、そのプロジェクト全体を見渡すということが自分にとって社会との接点になっていたということもありますね。でも木を削り続けることや職人への憧れは今でもあります。バランス感覚というか、ものの強度がないとそもそも社会に落とせないというのもありますし。

それって広く視野を持つことで1を100にするよりも、0を1にする方が楽しいよねというような感覚でしょうか。

安藤:どの世界でもある種の歴史が確立されていて、そこで活躍していくメジャーなルートがあると思うんです。そのルートにどうやって入り込めるかというのを考えるよりも、まだ確立されていない世界で勝負したほうが自由にやれるのではないかと思います。僕たちはコンテンポラリーデザインという言葉をキーワードに自分たちの山を作っていく・文脈を作っていくという方が面白いなと考えています。加えてこれからのことを考えると海外に対してもアプローチしなきゃだめだなというのもあって、そういう考えに至っているというのもありますね。

最初の作品からここ最近の作品まで一通り拝見したのですが、お二人は意図的に「コンテンポラリーデザイン」という方向に向かって行っているように感じます。

林:目指すべきフィールドが明確化してきたというのがあります。その時に無いものが何なのかというのをいつも話していて、それを作品化させてきた時に、海外に出るようになって大きな文脈がある程度わかってきたなかで、ここにはまだ山がないなと。そういうのが分かってきました。

安藤:コンテキストという言葉を僕たちの中でもよく使っているのですけど、どの文脈に自分たち、あるいは自分たちの活動を置くのかは考えるようにしています。我々の場合はコンテンポラリーデザインという文脈をきちんと自分たちで作って明文化して、それに沿うような作品を作るということですね。結果的にですが、最初に作ったSIGGボトルもその文脈に沿ったものであったし。そうすることによって絞られてきたという感じかもしれません。周りを見ていて、海外でもそういう活動をしているような人ってあまりいないというか。理由としては、たぶんビジネスとして成立しずらいというのがあると思うんですけど、そこでやってみる価値はあるかなと思っています。それとこの山には以外と同世代が多いというのも面白みの一つですね。オランダのSTUDIO DRIFTとか。

その「見えない山」を見つける能力が高いような印象があります。周りの方々や海外に何度も展示する機会がある中で、そういう山を見つける視力が上がっているのでしょうか。

林:そうかもしれませんね。海外で展示するようになって、コンテンポラリーデザインという言葉にも出会って、食わず嫌いにならないように色々見るのが大事だと思います。

安藤:自分たちが目指す方向やものづくりに対するスタンスを早々に見つけれたというのは、ラッキーでした。見つけに行ってたというのももちろんあると思いますけど。

林:たぶんそういうことはやっておいた方がいいんだろうなというのもありますね。メディアの人と話をしていた時に聞いたのが、モノをつくる人達は最近とにかくよく喋る。プレゼン能力が高いというか、何の為につくるのかだとか何を思って作っただとか。アーティストなんかまさにそうだと思うのですが、コンテンポラリーアートだと何を話すのかの勝負であるところもありますよね。僕らも半分アーティスト半分デザイナーというポジションでやっているので、喋らないと伝わっていかない。ある種わかりやすくあるべきだし、そうすることによってネクストステップにも行きやすいというのがあると思います。

安藤:作品を見る時は単純に好き嫌いで色々と喋れると思うのですが、文脈がわかっていないと正当に評価できないというのがありますよね。歴史を勉強しないと凄さがわからないというか。そういうことをきちんと話しているからこそ、今活躍されている方は評価されているのだと思うし。我々が顔の時計を作って発表する時に、どういう文脈に乗っていて、どういうことを伝えたくて、なぜ今これを作っているのかとか、そういうのをきちんと説明しないと、たぶんモノだけで見たらただの気持ち悪い時計とか、そもそもこれって時計なのっていうところで終わってしまう。それをどう説明していくのかによって作品の受け止められ方が全く違ってくる。それがさっき林が言っていた「語ること」の重要性だと思います。

一個人としての感想ですが、世の中に発表される作品としてある文脈や歴史の上にコンセプトが成り立っていて、それが何の風穴もないくらいに武装されているものって、少し面白さを半減してしまっているのではないかなという印象があります。最終的に発表される前に、ここをこうすればこの文脈にのるじゃんみたいな。完全に文脈に乗っているのも素晴らしいと思うのですが、ある種作った人の感情的な部分が残っていて、ここは説明できないけどおもしろいじゃんというような、そこは裸で晒されてるというようなものに新しさや魅力を感じるというのがあるのですが、お二人はいかがですか。

林:それは僕らも同じようなことをよく話しています。単純に作品の強度だとか、説明しずらい部分でもあるんですけど、ビビッとくるというか、そういうものを大事にしつつ文脈とどうリンクしていくのかっていうのがないとダメだなと思っています。どっちも大切ですね。ロジックがないだけで、広く伝えられないのであれば、それは損だなとも思います。

安藤:学生時代とかの作品発表の場で、どうしようもない作品を作ってくるんですけど理論武装バッチリで、プレゼンもとてもうまい人とかいるじゃないですか。やっぱり最終的にはモノの精度やモノだけでどう人をゆさぶっていくのかって重要なところではあると思うんですけど、それに厚みを生み出すためにロジカルに語るというのも同じくらい大事だと思っています。もちろんロジック先行でもダメだし、うまいバランスで仕上げていくというのが大切ですね。コンセプトって接続詞のような気がしていて、僕らのコンテンポラリーデザインという言葉も同じく接続詞で、それをやりたい訳ではない。デザインマーケットの中でどう社会とつながっていくかっていうところで、接続詞としての役割を果たしていて、その言葉のバックグラウンドに流れているロジックもそういう役割なんだと思っています。

林:コンセプトみたいなものが発見できることで、作品の強度が上がっていくことはあると思います。ぼんやりしている部分がキュッとなるような。

お二人の作品づくりの流れを伺いたのですが、例えばこの顔の時計が作られる過程で、顔で時計を作ったら面白いんじゃないみたいなアイディアが最初にあって、制作を進める途中でこれってこの文脈に近しいんじゃない、となる場合などもあるのでしょうか。

安藤:それは間違いなくそうですね。デザイナーによって作り方って違うと思うんですけど、単純なアイディアと経験則からくる勘みたいなものがあって、何かがピンときて面白そうだなと思ったらまず一番最初に手を動かしてみる。それと同時にこれってどういうことなんだろうというのを追い求め続けて、上手くそれがすりあわないとちぐはぐなものになってしまうし、どっちも大切なので両方を高いところで融合させてみる必要はあると思うのですけど、スタートポイントは何かこれ面白そうじゃんみたいなところから始まることが多いと思います。コンセプトから発想している人もいるにはいると思うのですが。

話は変わりますが、この前フランクフルトで発表された作品はどのようなものだったのでしょうか。

安藤:4月のミラノサローネでも発表したのですが、蝋で作られた新作の花瓶です。花瓶の中は中空で、回転成形という手法で作られています。その下に照明とモーターを入れていて、下から照明を当てることで蝋だけが自発光しているよう見えています。そこにモーターで振動を与え、数秒に一度、蝋の中の水面に波紋を起こし、その影が花瓶に浮かび上がるという作品です。
モノの作り方としては比較的オーソドックスなものだと思うし、球体の照明もいっぱいあると思うのですが、我々が作品として作るものにはすべて「時間軸」というのがテーマの一つとなっています。時間軸を絡めて何かが変容していくといったものを好む傾向が強いんですよね。例えばコップを作るにしても、僕たちならすごいおしゃれな形のコップは作らないと思います。それよりも例えば氷でできているようなコップや粉でできているコップなど、形がどんどん壊れていくような、テンポラリーにしか使えないものを作るんじゃないかな。3Dのものに時間軸を加えていくというアプローチが多いと思います。時間というのが一番最初から気になっていることで、そういうのを考えていますね。

SIGGボトルから現在のコンテンポラリーデザインまで、we+のこれまでの制作活動内容の進化を踏まえて、今後の展望などがあればお聞かせください。

安藤:考えていることはだんだんと更新されていくものだと思いますし、それがないとデザイナーとしてダメだなとも思っています。作家としての軸を持ちながらも、変容していかないとダメだなと。でもそれがどのタイミングで更新されていくのか、されるべきなのかというのはその時代や環境によると思うのでわからないです。ただ作品軸がぶれるというのはここ2・3年はおそらくないと思っていて。コンテンポラリーデザインというフィールドで戦っていくことをしばらく続けるつもりです。海外なのか日本なのか、戦う場所をどうするのかという問題もあると思っています。海外からの引き合いも多く出てきているなかで、同じ場所で同じことを何十年もやり続けるということもないと思うので。たぶん場所もどんどん変わっていくのでは、という期待感もあります。

林:僕はロールプレイングゲームをやっている感覚があります。海外で展示などをしていたら宝箱があって、開けるとコンテンポラリーデザインというキーワードが手に入ったというような感じ。次はどこに行くとどんな敵がいるんだみたいな。そういう意味でいうと、今次の面(ステージ)が見えたような気がしています。その面のラスボスまで行かないといけないから、そのラスボスを倒しに繰り出しに行くというような感覚ですね。僕らのパーティーはまだ世の中に知られていないから、そのパーティーをその面で轟かせなければならないという目的があって。その面のラスボスを倒すと恐らく次の面のラスボスが現れるんじゃないかな。

安藤:どっかで秘密の階段とか別の世界に通じるドカンみたいなものに巡り合うかもしれないし、その面のなかで動いていないとそういうのにも出会えないですよね。

林:この例えでいうと今は1面から2面に行ったかな、という感覚はありますね。生活をしていく上で新たに営業しなきゃいけないという時、そういうのはちょっと面倒だなと思う時もあるじゃないですか。面倒くさいからちょっと嫌だけど、ロールプレイングゲームだと思うと途端に楽しくなる。レベル上げも必要だなみたいな。ここから先へ行くためには経験値も必要だよねとか、宿屋に行かないと死ぬとか。

安藤:でも恐らく著名な方々も、似たような感覚あるんじゃないのかなという気がします。どういうルートを行って、どういう人と繋がってクリアできるか。

インタビュー収録日:2017年2月26日



安藤北斗・林登志也 / we+
林登志也と安藤北斗により2013年に設立された東京を拠点に活動するコンテンポラリーデザインスタジオ。林は1980年富山県生まれ、一橋大学卒業。安藤は1982年山形県生まれ、セントラル・セント・マーティンズ卒業。プロダクト・インスタレーション・グラフィックなど、多岐に渡る領域のディレクションとデザインを行ない、テクノロジーや特殊素材を活用した実験的なアプローチを追求している。国内外での作品発表のほか、Gallery S. Bensimon(パリ)やRossana Orlandi(ミラノ)などのデザインギャラリーに所属。主なコミッションワークとして、Sony、マリメッコ、三越伊勢丹、フィンエアー、森美術館がある。
http://weplus.jp/


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