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「ボカ老害」になっちゃったら

どうもこんにちは・こんばんは・おはようございますcanna(なんか)です。
2022年も残りわずかに迫った師走の慌ただしい中、皆様いかがお過ごしでしょうか。

本記事はもはやボカロリスナー年末催事の恒例となった、obscure.さんによる投稿企画「#ボカロリスナーアドベントカレンダー2022 」参加記事となります。

早いもので自分も今回の記事で4回目の参加になります…が、今回は思うところあって二次会場「ゆるめの二枠目」の方に参加させていただいております。

↑こっち

さて、早速ですが本題です。タイトルを見ての通りですが…
最近、所謂「ボカ老害」への階段を着実に歩んでるな~と感じてる自分がおります。

はじめに

ボカ老害」って?
恐らく、今現在この呼称を用いている人々の間では、だいぶ定義の曖昧なものだと思います。
必ずしも否定の意味で用いられているわけではないケースも見受けられますし。(本記事を書くにあたって、同名のイベント(!)があるということも知りました。イベントを非難する意図はございませんのであしからずご容赦ください)

こちらの引用文によれば「老害」とは、こういうものであるとされています。

組織や社会で幅を利かせすぎて言動が疎まれる高齢者、あるいは、傍若無人な振る舞いによって若者に必要以上の負担や迷惑をかけている高齢者などを指す表現。ひらたく言えば迷惑な老人を侮蔑交じりに指す表現。

老害(ろうがい)の意味 - goo国語辞書

まぁ、かなり大ざっぱかつ自己流に解釈すると、「若者の思考に迎合できない高齢者」といったところなのかな、と思っています。
今回ここで定義する「ボカ老害」とは、合成音声界隈においてそんな「老害」思考に傾倒しがちな人々のことを指すこととします。

正直、まだ自分がそこまでの域に達するレベルで害悪ムーブをかましているという自覚はありません。しかし、確実に"そういう思考"に徐々に侵されてきている、とは薄々感じています。

「ボカ老害」の兆候って?

①現代ボカロと、自分の感性とのズレ

そもそもですが改めてぶっちゃけますと、当方2008年からボカロを細々聴き続けてるアラフォーです。
あっ!歳まで知らなかったってフォロワーさんはリムしないで!()要は自分が、歴だけなら最も長いボカロリスナーの部類に属しているということは、いくら謙遜しようと動かぬ事実であると思っています。
それが何かって?長くボカロを聴いていれば、トレンドも一様ではないということですよ。
すなわち、「昔のボカロ」と「今のボカロ」は大なり小なり異なるものであり、双方に共通する魅力は当然あれど、片方にしかない魅力というものも同時に存在します。
そして、「昔のボカロ」に魅せられていた人は、時に「今のボカロ」にはない"それ"を追い求めてしまい、そこに齟齬が生まれる。
そうなった時、人はどう感じるでしょうか。想像に容易いと思います。
「昔はよかった」と思うのです。
ここが、誰しもいっとう最初に陥りやすい「ボカ老害ポイント」です。

「今のボカロ」に価値を見出せない、というわけでは無論ありません。
繰り返すように、「今のボカロ」にあって「昔のボカロ」にはないトレンドだって、多々あるわけです。
ですが、ボカ老害たちはそんな「今」しかないボカロの魅力には向き合えないのです。
今、一世を風靡しているあのPの曲が全く刺さらない。
流行りの1分以内で終わる楽曲がかえって物足りない。
全ての「た」行を「つぁ」行に読み替えるのに違和感。
プ○セカに興味が持てない。

はい、まぁ概ねリアルに自分のことですね。()この際だから一気にぶっちゃけます。
これらはあくまで一例ではありますが、こんな風に流行の波にうまく乗れず、漠然とした孤立感を抱えている方も少なくないんじゃないかと思います。特にリスナー歴の長い方に。

②昔聴いてた曲を引き合いに出す

実例を挙げると…最近、こういうツイートが自分でも増えてるなと感じてます。
(※このような記事に引用してしまい申し訳ないですが紹介しているカバー動画に当記事との直接の関連性はありません!本作の投稿主様は往年の名曲カバーを意欲的に投稿されておられますのでぜひご視聴ください)
このツイート自体、特に何かを揶揄することを示唆するものではありませんが…。自分が熱心にシーンを追いかけていた頃の作品を引き合いに出すという所作が、多くなってきている自覚があります。
結局これも、前項で述べた回顧行為のひとつなんですよね。

③シンプルに古参ぶる

シンプルですね。「大学でボカロのサークルとか昔は考えられなかった」とか、ついつい言っちゃいがちです。
肯定的な言動ではある一方、古参アピがどうにもちらついてしまいます。

人知れず進む腐敗

そしてその行き場のない疎外感を紛らわすために、公衆の面前で悪態をつくようになってしまったら、それはもう立派な「ボカ老害」です。
自分としては、このラインはギリギリ踏みとどまっていると思っている(と思いたい)のですが、知らず知らずにうちにこの逆張り意識が滲み出てしまっているかもしれません。
もし、そういう言動を見かけたらフォロワーの人はこっそり教えてください!…なんて頼み込まれても、言われた側は困っちゃいますよね。言えるわけがないだろうと。
SNSとは、いわば現代社会の縮図です。表立って他人を攻撃することは、たとえ正論を突き付けるものであっても(もちろんそういう界隈がゼロではないとはいえ)ほとんどのコミュニティにおいてはタブーです。
そうすると、ボカ老害たちの"発酵"は無自覚のままどんどんと進んでしまいます。結果、名実ともに一端のボカ老害の出来上がり。
そんな悲しい話はない、と言いたいですが、「老害」ってこういう儀礼的無関心から生まれてくるのがきっと実情です。
疎外感だとか、孤独感だとか。そういう感情が、老害たちの影を形作ってるのだと思います。

「ボカ老害」を嗤う前に

ここで、先ほどの引用文を思い出してください。
"ひらたく言えば迷惑な老人を侮蔑交じりに指す表現"。慢性的に、かつ必然的に生まれてしまった異端者は、恐らく世間から侮蔑の憂き目にあってしまうでしょう。
でも、そうなっちゃった人達のことを、果たして心の底から嗤える人がどれだけいるのでしょうか?

ひとつ、今これをお読みの皆様に肝に銘じていただきたいなと思うのは、
この変化は決して皆様におかれても他人事ではない、遅かれ早かれ皆様の身にも起こりうるものである、ということです。
「今のトレンド」だって、10年20年も経てば「過去のトレンド」に変わります。
自分が一番合成音声音楽を、ボカロを好きだった時代というものは、気づかないうちに過去に変わっています。
その時、時代を席巻しているのはきっと、あなたが焦がれていた頃のそれとは異なるトレンドであるはずです。
その時分での老いも若きもはあれど、誰だって等しく歳をとります。任意の二者の歳の差が拡がったり縮まったりだとか、若い人がずっと若いままだとか、ということはありません。

我々は、いつまでも主役ではいられないのです。

むすびに

え、むすぶの? はい、むすびます。
じゃあそうならないために我々ができることは何なのか?をあれこれ考えてもみましたが、たぶん難しいと思います。絶対に無理とまでは言わないにせよ、大人が子供に戻れないのと同じで、一度なっちゃったら矯正はきっと困難。これって一方通行な変化なんだと思います。

ただし、2023年もわたしはボカロを聴きます
せめてこれ以上「ボカ老害」が深刻化しないように、なるべく傍観者になることを目指しています。時に今をときめくリスナーたちの輝かしい活動に無言の声援を送ったり、時にイキってる若いリスナーの過激な主張を眺めつつほくそ笑んだり。「達観」、いい響きじゃないですか。
そしてその傍ら、ゆっくりとでもボカロを聴きます。ソシャゲでアイテム図鑑を埋めるかのごとく、2023年も合成音声音楽界隈を掘ります。
諦めの悪いリスナーであり続けたいなというのが、2023年に向けての抱負です。

もし皆さんが「ボカ老害」を見かけても、生ぬるい目でスルーしてやってくださいね。
その実は寂しがり屋のおじさんであり、未来のあなたなのかもしれないのだから。

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