「このオタク、フォロバしないな。」の多弁な言い訳

 Vtuber界隈をウロウロするオタクになってから、いろんな人が私を見てくれたり、フォローしてくれていて、フォローバックしていないことをとても申し訳なく思う気持ちがあります。
 だから、まぁそんな需要があるのかは知らないけど、どうしてフォロバしてくれないの?って思ってる方に、私はこう考えていますというのをお伝えする機会が欲しいなと思ったので書きます。

 全部読むほど時間を持て余してるオタクはVの者界隈にいないと思うので簡潔に端的にいうと、
貴方を嫌いになりたくないというエゴなだけです。みんなすこすこオタクの業の深さを呪ってね。

 以下、詳しく書きます。要らない遍歴とかもあるので適宜読み飛ばしを推奨します。



 私にとってTwitterとは、当初、情報収集のツールでしかありませんでした。大好きな漫画家の先生が情報の発信の主軸をブログからTwitterに移行したのを見て、メイキングやら落書きやらを見落としたくない張り付き追っかけオタクは、Twitterに張り込み始めたのです。そこで、個人だけじゃなく企業や企画、作品単体といったいろんなコンテンツが情報発信していることを知りました。その頃に送るリプなんて、本当に返事なんてこない、一方的なファンレターとほぼほぼ同義のもの。たまに、本当に極稀に個別にお返事頂いたこともありましたが、本当に極稀。

 あくまでTwitterは「コンテンツの発信者側が情報を提供し、受け取る側が感想を返す場」という認識でした。

 この認識を大きく変えたのが、DYNAMIC CHORD(以下ダイナーと呼びます)のキャラクターアカウントでした。ちなみに、Starburst!というオーディション企画(現在のS+hとFrepの前身のようなもの)も同様の取り組みをしていましたが、その頃の私の頭はまだ理解がついて行ってませんでした。気づいた頃にはリプ返はこないシステムになってました。
 話を戻します。
 ダイナーのキャラクターアカウントの何がすごかったのかというと、①非公開RTの形でダイレクトな返事がくること、②そのファンとの会話がコンテンツのストーリーに反映されていくこと、でした。例えばこれが、キャラクター同士でリプライを送りあっている様子をTLに流すだけだとしたら、それは一種のコンテンツの見せ方でしかありません。ですが、こちらが投げかけた言葉でキャラクターのリアクションが変わる、キャラクター同士の会話の流れが変わる、そしてその中で交わした言葉がストーリーの中に登場する。(というとちょっと誇張かもしれませんが、冊子やブログ等に記載があるものもあります。)

 つまりこれで、「コンテンツの発信者側は情報を投げるだけ、受け取る側は声援を投げるだけの一方通行同士だったツール」が、「コンテンツの発信者側と受け手が同じ話題を共有するコミュニケーションツール」に変わったわけです。


 そして、最近のVの者とのコミュニケーションに至るのですが。これは、個人宛にダイレクトにリプライが返ってきますよね。(めっちゃ有難い。てぇてぇ。スクショのオンパレードだ。)でもこれは、まだ「発信者と受け手のコミュニケーション」の域を出ません。私の中ではその認識に近いものがあります。

 つまり、何が言いたいかというと、Twitterが「コンテンツの受け手同士のコミュニケーションツールである」という概念が、私の中でしっくりきていないのです。元々自分が好きなものについてはひた隠して一人で想うタイプのオタクをしてきたので、誰かと共有して語る経験が少なかったこともあります。
 私は正直、自分の「好き」という気持ちが誰かの「好き」と同じではないと強く思っているし、そのことに対して劣等感を持っています。私の気持ちは私にしかないものですが、私が持たない気持ちで好きな人を想えることに、嫉妬や劣等感を感じてしまうのです。そしてその差異を感じた時、相手にがっかりしたりされたりするのが、とても嫌だなぁと思うのです。ここら辺の話もいつか追々。

 つまりは、フォロワーさんのことをフォローして見ていない今の段階で、フォロワーさんの推しへの想いを気にしまくっているのに、それがタイムラインに並ぶとなると、どんなメンタルになるか分かったもんじゃないな、と怖がっているのです。
 一番厄介なのが、皆さんが推しに送ったリプが私の目に止まってしまうということです。ともすれば、自分の送ったリプと並んでしまうわけです。比較と自己嫌悪のパレードのファンファーレが鳴り響き兼ねません。

 しかし、勘違いしていただきたくないのは、皆さんの言葉を目に入れること自体が嫌なわけではない、ということです。どんな人がいるのかな、どんな想いがそこにあるのかな、って気になってリプ欄を確認することもあるし、気になった人のプロフや@のついてないツイートを見に行くこともあります。推しの♡欄から、あなたのリプや何でもないツイートを眺めたりもしてます。

 これって、私のメンタルが安定してて、ちゃんと自分の中でそれを昇華できる時に、自己責任だからできていることなんですね。例えば界隈とは関係ない実生活でメンタルを抉られることがあって、鬼のように凹んでる時、皆さまの言葉に出会ってしまうと、それが新しい発見ではなく巻き込み型の大事故になる可能性があるわけです。この事故、「あなたが推しを推してたのが悪い!!」とはならないですよね。私が自衛してないことに非があると思うのです。でも、弱ってる時って理不尽に誰かに当たってしまったりする人間なんですよね。そんな気持ちを、推しを推してくださってる皆さまに抱くのは大変不本意です。私が私を許しません。

 その理由は、めちゃくちゃ単純でエゴです。そんなの推しが望まないだろうから、です。好きな相手が望まないことをしてしまうほど、不本意で不甲斐ないことはありません。そんな不甲斐ない自分になってしまうことが、自分で許せないくらい、変なところで潔癖主義なのです。すみません。めちゃくちゃ理想高くて、負けず嫌いで図々しい人間なようです。すまんね!

 噛み砕いてまとめると、「ミュートやブロックする程ではないけど、同担拒否が出てしまう可能性があるから、全自動で皆さまのツイートが目に入ってくる状態は避けたい」ので、フォローをお返ししておりません。

 でも、フォローしてないからといって、話しかけられたりフォローやいいねをしてただいて嫌だとは思っておりません。ゆえに、ましまろを置いたりDM解放したりしました。フォローしてなくても、使っていただいて大丈夫です。逆に、それらが欲しい欲しいと思ってやってきた訳ではないので、煩いな、合わないなと思ったら離れていただいて、ミュートやブロックも是非してくださいという気持ちです。私のことを煩わしく思って嫌って、あなたが好きな人から遠ざかってしまうことほど、勿体ないことはありません。何より推しが悲しみます。あなたの好きな人を、悲しませないでください。配信のコメントでお前を見るだけで不快だよ、というご意見に関しては、何らかの形で頂けましたら配慮は致しますが、とても謙虚に遠慮することはお約束できません。図々しい上に、曲がらないところは曲がらない頑固でもあるみたいなので。めんどくさいですね。私も生きにくそうだなと思います!(他人事)

 私はこんな風に、言葉を尽くして惜しまず、なるべく自分の気持ちを「言い得て妙だ」と納得できる形で出したいがゆえに、多弁になってしまいます。Twitterでも、いつも長話してしまってすみません。それでも見ていてくださる、何よりここまで目を通してくださってる、あなたに本当に感謝しています。ありがとうございます。
 こんな私ですが、どうぞこれからも関わったり関わらなかったりしてくださいませ。あなたの気持ちのさじ加減で。

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