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人生

ああ、なんだかムシャクシャする。
せっかく車で、こんなに遠くまで来たっていうのにさ。
今日は早く帰りたくない。
帰らないぞ。絶対に帰るものか。
絶対にいかがわしいお店に入ってやる。


その固い決意とは裏腹に、田舎の街道は車を走らせども走らせどもいかがわしいお店どころか何にも出てこない。
車を包む暗闇の中、辺り一面に広がっていると思われる田んぼからは、焦る俺を嘲笑うかのようにカエルの鳴き声が途切れることなく聞こえてくる。
クソっ。


車が寂れた商店街にさしかかり、ようやくピンク色のネオンが見えた。
手書き風で書かれた看板には、「スナック パール」と書いてある。
パールか。
ジャニス・ジョプリンの不細工なつぶれた笑顔が頭の中いっぱいに浮かぶ。一瞬、心が弱気な方向に差し込むが、恐らくこの先を進んでも、店も何も出てきやしないであろう。
このパールが最後のチャンスだ。
意を決して車を駐車場に停め、店に飛び込んだ。



「いらっしゃいませ〜」


しゃがれた声。
ジャニス・ジョプリンと菅井きんがフュージョンしたかのような老婆が1人、カウンター越しにグラスを拭いていた。
客は誰もいない。
しまった!と思うが、もう遅い。
もはや逃げられない。意を決してカウンターに腰かけた。


「女の子、後から来ますんで」


菅井ジョプリンのこの一言に救われる。
後から来る女。十中八九期待できない事は分かっているが、今はその微かな希望にすがりついている自分がいる。


「何、飲みますか?」


「えっと、水割りで」


ロイヤルコペンハーゲン風のお皿に無造作に乗ったチャームが出てくる。ピラミッド型の小袋に入った柿の種と、キャンディ風の包み紙のチョコレートだ。チョコレートの方をかじると、辿々しい手つきで水割りが出てきた。


「お姉さんも何か飲んで下さいよ」


心にも無いセリフを己のライフを削ってなんとか絞り出す。


「ありがとうございます。おビールいただいてもよろしいですか?」


「いいよ。じゃあ、俺もビールいただこうかな。ビールで乾杯しようか」


ラガーの小瓶がポンと空いて、薄い小さなグラスに辿々しくビールが注がれる。


「このお店の名前、パールだけど、由来は?」


「よく聞かれるんです。実は、私の誕生石なんです」


「ジャニスのパールは関係ないんだ」


「なんですか?」


「ジャニス・ジョプリンは関係ないんだ」


「なんですか?ジェームス・ディーンですか?」


「いや、いいや。忘れて」


「ゴメンなさい。私、難しい横文字、わからないんです」


「いいんだ、いいんだ。忘れて」


なぜか突然頭に浮かんでくる「生きながらブルースに葬られ」という一文。あれ、いったいどういう意味なんだ?

柿の種のピラミッド型小袋を雑に引き裂きながら、遅れてくるという女の子の容姿を想像する。
顔も年齢も期待はしない。ただ、グラマラスであればそれでいいと自分に言い聞かせる。
願わくば、身体の線がわかるピタピタのドレスを着て登場してほしい。
その生地は光沢があってスベスベしてるやつ。色は、・・・グリーンだ!


「カラオケ、歌いますか?」


「ああ、そうだね」


菅井ジョプリンが不意なタイミングでカラオケをフってきたので、焦る。
菅井ジョプリン、カラオケの振りが早いな。もうちょっと俺に会話を仕掛けてこいよ。どこから来たのだとか、おいくつですかとか、もっとジャブを撃ってこいよ。いきなりカラオケ攻撃じゃ、俺の心は軽くスウェーするだけだぜ。いやそれとも、俺の不機嫌な感じが露骨に出ちゃってるのかな。いかん、いかん。

「何、歌います?」

「じゃあ、ルビーの指輪いこうかな」

そうね、誕生石ならルビーなの、の「ルビー」の所を「パール」に変えて歌ってやると、菅井ジョプリンは手を叩いて喜んだ。
歌い終えると、

「女の子、後から来ますんで」

と、菅井ジョプリンがまた言った。
後から来る女。十中八九期待できない事は分かっている。が、相も変わらずその微かな希望にすがりついている俺がいた。こんな場末のスナックで、一体俺は、何を待っているのだろうか。

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