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腐っていた20代。私は「誰でもない」から不安で不安で死にそうだったでござる


腐っていたあのころ

もうすでにいいトシの私にも10代、20代のころはありまして、別にキラキラはしてなかったけれども40代の今よりもずっと、選択肢は多かったなあと。

そこそこの高校、そこそこの大学に通う、ひょろっとしたにーちゃんで。

まあ文章を書くのは好きだったけれども今みたいにネットなんてなかったので、ハガキ職人でその有り余る自己顕示欲を発散する日々。

大学に入ったらハガキさえ書かなくなって、図書館、合コン、ゲームで若さをすりつぶしたりして。

「いつか、なにかになりたい」。「なにかになれるはず」という根拠のない自信と、実際は何もしない、自己評価と行動力の、解離

当時も今と変わらず意識の高い学生はいて、彼らがその持ち前の行動力で経験値を貯めている間に、自分は経験値ゼロのまま成人になりはてたりして。

「文学部の教授たちに、文才を褒められる」みたいな、ちょっとしたキラキラエピソードもないではない。でもそれに甘んじて、賞にも応募せずにウダウダしているうちに、自分よりずっと後ろにいると思っていた後輩が作品を書き上げて文壇デビューしていくという、リアル山月記。

そうこうしているうちに母が死んで留年して仕送りが打ち切られ、バイトしながら卒業して、掲示板に貼ってあった適当な出版社に入社して。

当初志望の編集じゃなくて営業部門にまわされて、地方の書店、図書館を渡り歩く。

死にはしない。けれど、生きてもいない。与えられた無限の選択肢が、地球が一回転するごとに狭くなっていく実感。

誰でもないまま年を重ね、なににもなれないまま、プライドだけは持ったまま「ごと」腐っていく。

悪事はしない。けれど、誰でもない。

それが私の20代だったなと。

でも人生ってそんなもん

YouTuberきおきお君がダルビッシュと会った年齢に私は「誰でもなく」。

YouTuberドズル君が会社を立ち上げた年齢に私はまだ「誰でもなかった」。

別に卑下とかしているわけではなく、人生って、おおむねこういう形ですすんでいくよねと。

いまは運よく、ゲームとかYouTubeみたいな、仕事感のうすい職業につけて、それはとてもありがたいことです。

そして、いやだからこそ。今現在「誰でもない」人たちからの相談を受けることが多いのです。

「ゲームに関する仕事につきたい」「eスポーツに携わりたい」「エンタメに興味がある」など。

気持ちは、わかる。

彼らは、あのころの僕だ。いやあのころの僕よりも行動力があるぶん、偉いよ。

甘いけど。

甘いけど偉いよ。

この文章は、そんな彼らに捧げるメッセージです。

正しくばかりは生きれない

そしてふと、いまの私の周りにいる凄い人たちを見渡すと、10代、20代のころからキラキラして、抜群の行動力で打席に立ち続け、素晴らしいキャリアを積み重ねてきた人が多いわけで。

彼らは言う。

「行動力だ」と。

彼らは言う。

「目的を立てて、それに向かって継続するだけだ」と。

それはまったくもって正しいけれども、目的が見つからない、どうしていいかわからない「誰でもない」人はそれを聞いて、ただ焦るだけじゃないかなとも思ったり。

みんながみんな、かっこよくは生きれない。

どうなんだろう。どうすればいいだろう。わからない。

自分にとってのあの20代を思い返すに、おおむね今の役に立ってるとは思うけれども、それでもやっぱり、もうちょっとなんとかなっただろうみたいにじくじたる思いは、ないではない。

ただ30代になって、スマホゲームにはまったり、ブログを書いたり、それが縁で転職をしたり、面白いことにはなってきた

20代のときの自分に教えたら何て言うだろうか。失望されるか、褒めてくれるか。わからねえ。

どうしたらいいんだろうね


うーん。この駄文を読んでいる「誰でもない人」たちもきっと、思い切って飛び込んでみたら死なないし、やってみたら変わっていくし、変化したらネガなことよりポジのことのほうが多いんじゃないかなとは思います。

別に、上からとかじゃなくて…。

私は自分のことを相応にダメな人だと思っていて、ほんとうに凡人なので。

ただ凡人であるからこそ、超人には見えない景色も見えるので。

「誰でもない凡人」はがんばらなくてもいいので、自分をどこかに繋げるだけで変わることも多いので。

無理をせず、超人ではない自分を受け入れつつ、面白いことをいろいろ試してみてください。

きっとみんなは何かになれる。

そして、何かにならなくてもだいじょうぶ。

別に死にはしないし、君は君だし、自分の飯代を自分で稼いでるだけでも、たいしたものだ。

その時点でたぶん、何かになっているのだ。

いやでいやで仕方がなかった営業仕事で、それでもたまにはお客様に「ありがとう」と言われて、給料もらって、お酒を飲んで。「この仕事も悪くないな」なんて思ったりして。

有名でなくても、影響力はなくても、あのときの「ありがとう」を思い返すと、「腐ってないぞ、なにものかでは、あったぞ」と今なら言える気がするのだ。

以上、よろしくお願いします。




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