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「時には“モブ”になって誰かの人生を豊かにしよう」という話—あるいはドズきおぼんはらとのゆかいな記憶@広島

6月に、スマホゲームの『クラロワ』のお仕事で広島に行ったときのこと。

東京に帰るにあたり、天気もいいやということで駅には徒歩で向かった。

私のほかにはきおきおさん、おおはら君、ドズル社長、ぼんじゅうる氏といった面々だ。

風がさわやかで空気も澄んでいて、心の洗われるような時間だった。

そんな我々の横を浴衣のカップルが通りすぎた。

そこで私は彼女らに聴こえるように「うわー綺麗だなー。隣を歩いている男の人、羨ましいぜぇ」と言った。

彼女はどこか恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、はにかんで、隣の彼氏も肘で彼女をつっつく。

満足げな私に向かって、ぼんじゅうる氏が「お兄さん、何言ってますのん」と苦笑する。

私はときどき、道端でこのように「脇役」に徹することがある。

なんていうのかな。今日この日、浴衣を着て地方都市の中心部を歩く女の子はきっと、主役だ。

彼女からすれば、私たちはたんなる「モブ」だろう。(マンガとかで、名前もついていないような雑な顔のキャラクターが「モブ」だ)

よくマンガで主人公をはやし立てる名もなきキャラ。私は時にそれになって、誰か、知らない人の人生を彩ることに快感を覚えるのだ。

同じように私はドズル社長と一緒に撮影現場に行ったときも、同じような思想のもと「有名ブロガーでござい」なんて顔はしない。

有名YouTuberに会っても「へっへっへ、あっしはpontaと申しますが、クソよりマシな程度のケチな野郎でござんす。明日にはもう名前を忘れていただいてかまいません。あなた様の貴重な脳細胞のリソースの邪魔でございます」といった顔で、現場の隅に引っ込む。

卑下でもなんでもなく時と場合で「分をわきまえ、モブに徹する」ことが私は大好きなのだ。そして、誰かを主役として彩ることに快感を覚える。

もちろん、自分が演者になるべき場では、それにふさわしいふるまいをするけれども、でしゃばらずに他人を盛り立てることに徹する自分もまた、大好きなのだ。

それによって他人が晴れがましく、やりやすい一日をすごせたら最高ではないか。

ちなみにきおきおさんと、ぼんじゅうる氏はこの考えにひどく感銘したらしく、「モブかーなるほどー」としきりにうなずいていた。

そこに、かわいい女子高生が通りすがった。

ぼんじゅうる氏が「かわいい!彼女かわいいよ!」と大きめの声ではやしたてた。

しかし女子高生は喜ぶどころか、眉をひそめて足を速めた。

「いやぼんさんがJKにそういう声かけしたら、もはや事案じゃねーか。モブになるには彼女の心理的安全性を確保しなきゃだめだよ。それだともはやモブじゃないから。悪い意味で」

私がそうたしなめたあと、きおきおさんが「なるほど心理的安全性ね、はいはいはい」とうなずいて、「いよっ!かわいいね!」とか「素敵ですね!」と大きな声で女性たちを盛り立てる。

いや、これじゃモブを通り越して、タレントの街歩き番組だよ。

ちょうどいいやつぁ、いねぇのかよ!(東京03)

すると、きおきおさんの陽気さに当てられたのか、ひとりの中年女性がこちらに近寄ってくる。

目が座っている。もちろん誰も面識がない。

「あなたたち、私の子供知ってます?」だったか「道を教えてください」だったか、そんな質問をしてくる。

その後、「年齢いくつ?」とか「どっからきたの?」といった質問をぶつけてくる。

距離感の詰め方が、『るろうに剣心』に出てくる斎藤一の牙突並みだ。

言葉をぼやかして言うと、キチガイのそれだ。

われわれはドン引きしつつ、適当にいなし、お引き取りいただく。

しばらくたってからぼんさんは言う。

「…何?今のドッキリ?」

ドッキリであれは呼ばない。呼べない。

「でもさ、あれをうまくさばいたら、俺もさあ、演者として一人前と言っていい気がするんだよなあ。どうしたらいいだろう…」

ぼんさんの変なスイッチが入ってしまった。彼は考え込む。

ドズルさんはそうした私たちのやり取りには何の関心もなさそうで、「東京に帰ったらどんな生放送をするかなあ」と「お腹すいたなあ」だけしか頭にないような顔をしていた。

つまり普段通りだ。


これが僕の、そして僕たちの広島の思い出だ。


ブログ3000万PV達成!ファミ通でライティング。クラロワや他ゲームの取材、企画、記事執筆、台本依頼はTwitterまで。 https://twitter.com/claclaponta http://geriburo.com/