演奏は「意思」を持つのが大事という話

みなさんこんばんは。
毎回毎回遅れますが更新が途絶えることはないnoteのお時間でございます。

さて、今回は読み物系というか、久しぶりにクサノの考えを書いていく回にしてみようと思います。

レッスンをしていると教えている側も学びがある、というのはよく言われますね。

最近レッスンをしていて強く思ったのが

「明確な意思を演奏前に持てるかどうかが演奏の質を大きく決めていそう」

ということです。

・説得力とはなんだろう。
・ある種の思い込みやのめりこみが演奏者にとっては大事なんじゃないか。
・なんで音楽家は変な(ズレた)人が多いのか(笑)

などの考察をしていきたいと思います。

今回は「意思」のお話。

やや抽象的になるかもしれませんが、お付き合いくださいますと嬉しいです。

クラシック音楽における説得力とは?


演奏会に行くと上手いとか下手とかいう次元ではないところで心をぐわっとわしづかみにされるなんて経験をたまにします。

なんかわからんけど感動した!
良く知ってる曲なのに涙が出てしまった。
胸がいっぱいになってしまった。

みたいなやつです。皆様も一回はありますよね。
僕は師匠のモーツァルトを聞いて客席で泣きました。

このようなとき、クサノ的には上手いとか下手とかいう「技術」というベクトルではなくもっと違う力が働いていそう、と思うのです。

それは何かというと

「意思」の力

です。

僕って神様とかお化けとか妖怪とかそういうのって信じないタチなんですけど、こと音楽に関しては「第六感」的サムシングが存在すると思っています。
ヨーロッパなどではよく「霊感」なんて言いますね。
(お化けの霊感ではなく、インスピレーションってことだと思います)

レッスンで長年教えている生徒さんの演奏を聞いたときに、なにかもう一つ身が入ってないような、どこか借り物のような印象になったことがありました。

音符は吹けているし、なんなら今まで聞いた中で一番吹けてる。
でもなぜか聞いていて心が動かない感じがある。

こういう時は「意思」の力が少ない時が多いとクサノは思っています。

そんな時は

どんな色でどんな風景でどんな匂いの曲だと思う?
最初にこの曲を聞いたときに何を感じたかな?
気分だとしたらどんな気分だった?

みたいな質問をよくするのですが、意外と音符を吹くのに一生懸命になっているときって、初心と言いますか、何を表現したかったんだっけ?っ
てのは忘れがちになっちゃうんですよね。

質問に答えてもらいつつ頭を整理し
「自分はこの曲で何をしたいんだろう?」
という意思を精査していくとやっている内容はあんまり変わらないのに、なぜか演奏が真に迫るような印象に変わることが良くあります。

これは演奏に意思が生まれるからだとクサノは思います。
これを(この現象を?)第六感とか霊感とかその他もろもろの音楽における不思議な力なのかなと思うわけです。

わかりやすいように感性の方面から攻めましたが、これは音楽のロジックからも攻めることができると思います。

・和声はどうなっているからここはこう表現するべきだよな
・ここのテクスチャはここにも登場するじゃないか、それを意識して統一感を出そう
・時代考証的にこういうスタイルで演奏するべきだよな 

などなどですね。


で、どっちのアプローチで攻めるにしても、何かを演奏する場合

この曲は絶対こうじゃん!

っていう思い込みの力が大事だと思うんです。

それがすなわち意志の力になり、演奏の説得力にもつながると思うんですよね。

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