見出し画像

気持ちのいい日(とりとめのない話)

自転車で走る通勤時間が好きだ。
日常の時間のトップ3に入るくらい好きだ。

特に今日みたいに、
空がどこまでも青く(でも雲も好き)、
緑がキラキラ輝いていて、
風は手触りのいい布みたいにヒンヤリ柔らかい日。

本気で「神様、私のためにこの素晴らしい空を用意してくれてありがとう!」と祈ってしまう。
我ながらなんと安上がり。かつ、おめでたい思考回路。

地上でもこんなに綺麗なんだから、天の御国は一体どんだけ素晴らしいんだろうとか思う。

同時に、いつもちょっと落ち着かない気持ちになる。
この美しさ、気持ちよさを全身で受け取りたいと思うんだけど、自分の感受性が足りなくて、受け止めきれずにいっぱい取りこぼしているような気がする。


今日は仕事を早めに切り上げたので、
こんな日に直帰するなんて勿体なーい!!とパン屋さんでサンドイッチ、コンビニでアイスコーヒー買って公園に行った。
前カゴに入れたアイスコーヒーがこぼれないかヒヤヒヤした。

最高な景色を眺めながらモグモグ。
ここで、ああ最高、と言いたいところなのだけど、
前述した通り、私の感受性不足により、景色の美しさとパンの味を同時に処理できませんでしたとさ。この感じ伝わる人いるだろうか。
もちろんシチュエーションは最高に気持ちよかった。


いつか、これも思い出になるんだろうか。
「あのころ、仕事終わりにパン買ってこの公園で食べたりしたな」とか思うのかな。

最近思ったことだが、思い出になるというのは、「あのころ」だけだから思い出なのだ。

一人暮らしを始めて一年ちょっと経ち、
ことあるごとに
「いつか、この日々を懐かしく思い出すんだろうな」
と思ったりするのだけど、
ふと
もし、この先10年経っても20年経っても、今と同じような生活をしてたとしたら?と、

10年後の私が、今と変わらずコンビニでアイスコーヒーを買って夜一人で散歩している所を想像したら、ゾッとした。
おお、おそろしや。

今、この日々は尊い。
でも、今だけでいい。
今だけだから尊いのだ。


あまりにもとりとめのない文章なので、書いてはみたがどうしようと思ったけど、
わざわざ下書き保存するのも自意識過剰なので晒しておこうかな。
クリスチャンらしく最後にみことばでも載せようか。笑

「あなたたちは喜び祝いながら出で立ち 平和のうちに導かれて行く。
山と丘はあなたたちを迎え 歓声をあげて喜び歌い 
野の木々も、手をたたく。」イザヤ書55章12節(旧約聖書)

今も世界の色んなところで、
日本でも、痛ましい出来事がたくさん起こってるけど、
少なくとも今日私の住む街は、まだ空が青いよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?