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ホメロス叙事詩はラップバトルか

古代ギリシア最古(紀元前8世紀後半ごろ)の作品として知られるホメロス叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』。

アメリカの hip hop カルチャー発祥のラップバトル。

一見すると突拍子もない組み合わせに見えるかも知れません。しかし、その二つを結びつけるキーワードがあります。そう、「リズム」「即興」、そして「伝統」です。順番にお話ししましょう。

リズム

ホメロス『イリアス』、『オデュッセイア』を日本語で読もうと思い立った人は、おそらく岩波文庫を手に取ると思います。あるいは最近は京都学術出版会から『オデュッセイア』の新訳がでたのでそちらを読むかもしれません。どちらにせよ、ホメロス叙事詩はふつうの文章、散文で書かれています。

しかし、ギリシア語の原文ではホメロス叙事詩は韻律を伴っています。ごたくを並べるのは野暮なので、実際に聴いてみましょう。こちらは佐藤二葉さんによる『オデュッセイア』の朗読です。

一見(一聞?)して分かるように、決まった韻律で構成されています。これはヘクサメトロスと呼ばれる韻律で、叙事詩で用いられるものです。

一方、ラップバトルも当然、リズムを伴っています。
リズムキープはラップの重要な要素の一つです(この動画を参照)。ラッパーによって各々ノリ方は異なるものの、ビートにのせた言葉を聞くと、自然と体も揺れていきます(楽しい)

ホメロス叙事詩もほんらいは口誦詩、つまり声で伝えるものでした。
叙事詩人たちはヘクサメトロスというビートに乗せて、例えば戦闘場面は激しく、あるいは人の死にゆく様を語る時はすこしゆったりとしたフローで口演していたのかもしれません。

たとえば『イリアス』第二巻で「軍船のカタログ」と呼ばれる、ひたすら軍船を読み上げるパートがあり、一般的に退屈とされている部分も、いい感じのフローで聴けば印象も変わるかもしれません。

ここで「叙事詩人たち」と申しましたとおり、「ホメロス」の前にも叙事詩の先輩詩人たちはたくさんいました。しかし、ホメロスに帰される作品が、現存する最古のものなので、先輩たちの詩はわれわれにはアクセス不可です。(残念)

ちなみに叙事詩の韻律以外にも、古代ギリシア・ローマにはたくさんの韻律があります。もっと知りたいと思った人はこちらをどうぞ。

即興

叙事詩人たちはヘクサメトロスというリズムで詩をつくりあげていました。彼らはその場その場で、つまりは即興で叙事詩を作っていた。これは、ちょっと驚くべきことです。

しばしば「ホメロス叙事詩が書かれた」と言うふうに書かれますが、ホメロス叙事詩は「書かれる」前に「口演されていた」というのが重要です。

『オデュッセイア』(1.325ff.)でペミオスという詩人が登場する場面をみてみましょう。

こちらでは、求婚者たちのために高名の楽人(引用者注:アオイドス)が歌い、一座が静かに聴き入っている最中であった。楽人が歌うのは、アカイア勢(引用者注:ギリシア勢)の帰国談で、トロイエから帰国の途次、パラス・アテネが彼らの上に降した、苦難に満ちた帰国の物語であった。(岩波文庫、松平千秋訳)

ここで登場するアオイドスこそ、即興で詩を語ることを生業としていた者だと思われます。

彼らはこのようにトロイア戦争などといった神話的題材をもとにして各々の叙事詩を創作していたのでしょう。

MCバトルでよく「ネタ」という言葉が飛び交います。MCバトルにおける「ネタ」とはあらかじめ考えてきた韻を披露することで、即興性を重んじる人からすれば低く評価されます。

例えば CHEHON vs. Nidra Assassin の試合では、ニドラがチェホンに対して「お前はネタだ。フェイクラッパーだ」とdisります。それに対してチェホンが反論する、という場面があります(残念ながらそれに対するニドラのアンサーはよく聴き取れません)。

このようにMCバトルでは即興性が重要視されます。が、当然、毎回ゼロから生み出しているわけではありません。自分の作った楽曲を部分的に用いる、ということもあります。

例えばこの試合(TERU vs SKRYU)ではスクリューが自らの楽曲である『超Super Star』のバースを歌って観客をアゲています(セルフ・サンプリング)。おそらくアオイドスたちも過去に歌ったものを再度歌い、アレンジを加える、といったことを日常的に行っていたことでしょう。

伝統

ラップバトルが行われていく歴史の中で、伝統が育まれていきます。例えば2017年の戦極ミメイ vs T-Tongue戦でミメイが「お前が大蛇丸か じゃあ首斬ります 桃地再不斬」と韻を踏んだところ、T-tongueに「桃地再不斬」をライム読み(相手にライムを読まれること。やられた方はちょっと恥ずかしくなる(?)やつ)されてしまいます。これに対してミメイが「頭冷やせよ氷枕」で踏み返します(上手い)

これを踏まえて2018年でミメイ vs. ミステリオ戦でミステリオの「エイブラハム・リンカーン」をミメイがライム読みしたときにミステリオが「頭冷やせよ氷枕」を返します(ミステリオはなぜがミメイに言わせると見せかけてパンチします)。

このようなバトル中でのバースだけではなく、MCバトルはHip hopの伝統に根付いていることは、例えばR指定が即興ラップをやる中でただならぬ数の楽曲をサンプリング(既存の曲を抜粋して用いること)ことからわかります(それを分かりやすく解説している動画

アオイドスたちも即興の口演を繰り返すことで、決まった定型句を生み出していきました。ホメロス叙事詩によくみられる定型句としては、「足の速いアキレウス」といったものがあります。「足の速い」というのがアキレウスにつく枕詞のようなもの(エピセットといいます)で、別に走っている場面でなくともアキレウス=足の速い、と表現されます。

あるいはもう少し長いもの、「典型的場面」と呼ばれるものもあります。例えば武装シーンでは「膝当て→胸当て→剣→盾→兜→槍」のように描写されます。こちらは『イリアス』3.324ff.からの引用です。

パリスは見事な武具を身につける——まず脚には、踝に留める銀の金具を施した見事な脛当を、ついで胸には、兄弟リュカオンから借り受けた胸当を着ければ、ぴたりとその身に合う。肩にはまず銀鋲打った青銅の太刀、ついで堅牢無比の大盾を懸ける。また、逞しい頭には馬毛の飾りを施した見事な造りのを被る、飾り毛は不気味に垂れ下がってゆらゆらと動いた。最後に、彼には手頃の頑丈なを取り上げたが、他方、勇武のメネラオスも、パリスと同じく物の具を身につけた。(岩波文庫、松平千秋訳)

このような「既存のフレーズ」を用いつつ、彼らは即興で自らのオリジナルな詩を語っていたわけです。

紀元前11-9年ごろは、いわゆる「暗黒時代」と呼ばれる史料のとぼしい時代ですが、その時代を通じてあまたの叙事詩人たちが数々の定型句を作り上げていったわけで、これはすごいことです。

というわけで、ホメロスとラップバトルを絡めてお話ししてみました。これからホメロス叙事詩を読むときには、実際の口演されていたころの景色を思い浮かべながら、ちょうどラップバトルのように熱を持って語っていた詩人の姿に想いを馳せていただければと思います。

最後に、『イリアス』はリズムを伴ったオーラルな詩なので、ラップ風に演奏できるのだということを、論より証拠でお見せして筆を擱くことといたします。

ラップ風『イリアス』


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